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3 孤独なシーソーゲーム その2

 北山先輩に誘われ、顔見知りのサークル仲間6人で祇園祭へ繰り出すことになった。宵山の四条通は人で溢れかえり、携帯電話はアンテナが3本立っているものの、まともに使えない状態だった。電波より人波が勝っているのだろう。一カ月間にわたって行われるこの祭りは、今日、明日でクライマックスを迎えるとあって熱気に満ちていた。

 計画を立てたのは先輩なのに、なぜ架純がいるのか少々疑問に思ったが、きょうは楽しむことだけに集中する。決して二人きりではない。そう考えたら気持ちも山鉾の提灯のように明るさを増し、太鼓や鉦、笛の音色が心地よく感じられてきた。大通りでは人とすれ違うのさえ容易ではない。歩道、車道とも左側通行など関係なし。脇道から出入りする者や、頭上にカメラを構えながら強引に山鉾へ近づこうとするなど、みなが行きたい場所へと動く。歩行者〝天国〟にあらずで、6人一緒に行動するのは無理があった。先頭を歩いていた北山先輩は気にせず、趣のある細い通りに向かう。はぐれないように注意はしていたが、よりによって架純と二人で取り残されるとは。

 「まいったな、先輩たち見失っちまった」

 人の流れにのみ込まれ、思うように動けない。しかたなく浴衣の袖をつかみ架純と四条通に戻った。携帯の混雑はさらに悪化しているようで連絡は取れそうもない。この状態では待ち人と会えないで困っている人も多いのではないだろうか。迷ったときの集合場所を決めておくべきだったと反省する。大きく『月』と書かれた鉾の前を通りかかった際、人ごみに酔ったのか、提灯の明かりで照らされる架純の顔が辛そうに見えた。

 「しんどいなら少し休むか」

黙ったまま架純は首を振る。無理しなくてもいいから、と言い袖を引っ張ったら、今度は素直に頷いた。そして、僕を支えにするように腕を組み、「ありがとう」と蚊の鳴くような声を出した。少し休憩すれば治りそうだったので、とりあえず人出が少ない鴨川に出た。川を渡る風が心地よい。架純も安どの表情を浮かべる。

 何も考えずに来たが、ここには『鴨川等間隔の法則』が存在する。川の流れを眺めながら語り合うカップル同士の距離に暗黙のルールがあり、後に来て割り込むときは合間を測ってから座らなければならないのだ。四条大橋から三条大橋の間が特に有名で、夏場の河川敷は夕涼みのメッカになる。その間隔は混雑の具合にもよるが、2~4メートルとささやかれている。今夜はお祭り気分の連中が多く、花火で騒ぐ迷惑なやから、酔っぱらって大騒ぎする学生の姿が目立つ。いつもだったら煙たい存在が、今の僕には、ピンチに現れるウルトラマンのような救世主に見えた。

 絡まれるのだけは避け、近からず遠からずちょうどいい距離を測り、架純を川に向かって座らせた。祭りの日だけは、法則も適用外である。小さく丸まった背中が、なぜか寂しそうに映る。ポケットに手を突っ込み立ったままの僕に、彼女は目で座るよう促す。迷っているみっともない自分を想像すると、ばかばかしく思えた。

 ――気分の悪い女の子相手に、なに意地を張ってるんだろ

意識し過ぎるのもよくないと考えを改め、足を投げ出して横に座り込んだ。桂川のときと違うのは、僕の心中だけだと思うと、やるせなくなる。架純は何も悪いことはしていないのに。沈黙がしばらく続いたあと、横に視線をやると、架純はぼんやり川の流れを見つめていた。すごく穏やかな表情だった。

 「わたしね、こうやって鴨川に好きな男の子と座るのが夢だったの。うーうん、勘違いしないでね。氷室くんには好きなひとがいて、それがわたしじゃないことくらい分っているから」 

 ビクッとなる僕をしり目に、横から架純が天使のような微笑みをのぞかせた。ピコンピコンピコンと胸のカラータイマーの点滅が段々と速くなるように心臓を刻む音の速度が増していく。『だから、その顔はズルイって。反則だ』と心の中で叫ぶ。

 「やだなー氷室くん。そんな真面目な顔しないでよー。こっちが恥ずかしいじゃない」

架純がバシバシと肩を叩いてきた。冗談にしてはズシリと重い手だった。照れ隠しだろうか、水面に反射する明かりで映し出された彼女の顔はほんのり赤く染まっていた。京都市内の大学に通う学生なら一度はしてみたい〝法則〟に迷い込んだのだ。先輩に電話してもまったくつながらないし、架純の笑顔を見ていたら、しばらく迷路で彷徨うのもいいかと思った。

 「なにひとりで意識してたんだろ」

 「なに、なにか言った?」

 やべー。ついうっかり声に出ていた。聞こえてないようだったので、なんでもないよと答える。架純がじっと僕の顔色を覗いながら、今度は性悪な笑顔を浮かべた。

 「なにを意識してたって。ねえねえ、わたしのこと?」

 「うーーー。聞こえてたのなら訊き返すんじゃないってば」

 「はっきりとは聞き取れなかったんだよ。半分あてずっぽで言ったの」

 「ひっかけたのか」

 「ということは、やっぱりわたしのことだったんだ。わー、嬉しいな」

 胸の前で左右の手のひらを合わせて喜ぶ架純。その仕草に、またしても僕の胸はキュンとなる。自分を好きだと公言する女の子なのだが、アピール感がまったくない。彼女が生まれ持った能力なのだろう。詩織と会う前に、架純が現れていたら、すぐさま告白していただろう。外見だけでなく内面の美しさも兼ね備えた、僕にはもったいない女性なのは疑いのない事実だった。たわいもない会話が続き、天使と小悪魔が同居するカスミワールドにいざなわれた僕は、いつの間にか、その愛くるしさに心が奪われていた。

 「きょうひとつ、私の夢が叶ってよかった」

両手を上にあげバンザイのポーズをとった架純は、おもむろに大きな深呼吸をした。浴衣の袖が肩まで落ちて、白い二の腕があらわになった。詩織といるときには感じたことのない色っぽさにドキッとする。そして架純は、急に神妙な顔つきに変わり、なにかに取りつかれたように小さな声で思い出をつなぎ合わせた。

 「小さい夢だと笑うかも知れないけど、わたしにとっては、男の子と並んでおしゃべりするのは勇気がいることなの。小学校の頃にいじめられてから、男子が苦手になった。そのころ氷室くんに出会ったの。こんな優しい男の子がいるんだって……。でも私の周りにはいなかった。立ち直るきっかけをくれたのはあなたに間違いない。小学校を卒業してから、いじめる子はいなくなったけどトラウマは残ったまま。中学生になっても話すのは女子だけだった。けれど引っ越した岡山はすっごい田舎でね。1クラス20人しかいなくて、やっと男子と普通に会話できるようになったの。だけど今もコンプレックスを断ち切れたわけじゃない。だから私にとって氷室くんは特別なひと。昔も今も。そしてこれからもずーーっと想いはかわらない」

 中学以降もそんな苦しい過去があったのかと思うと、僕の心は切なさでいっぱいになる。そういえば、大学でも他の男と話し込んでいるのを見たことがない。周りにいるのはいつも女子。これほどの美貌があれば、近づいてくる男なんて山ほどいたはずだ。なのに……。

まったく真の彼女を理解せずに接してきたなんて、独りよがりもいいところだ。このままじゃだめだ。もっと架純のことが知りたい。頭の中で疑問が渦を巻く。架純の本音を確かめるために、あえて冷たい訊き方をした。

 「なんで、そんなこと俺に話すんだよ」

 「だからね……だから……」

 「……心から許せる相手が氷室くんだけなの。再会して確信した。あのベンチで出会ったあなたが、わたしの初恋の相手なんだって」

 初恋―深く胸に突き刺さる言葉だった。でも、今の僕にはどうしてやることもできない。

 「いいの。今は傍にいられるだけで十分だから。氷室くんに好きなひとがいることは分かってる。二人きりでデートしてほしいなんて言わない。だけどこれだけは約束して」

 表情は穏やかなままだが、一転して強い口調に変わる。

 「私を避けることだけはしないで」

 語尾を上げた架純の力強い言葉と眼力で、ひ弱いハートは打ち抜かれた。心を見透かされないように、右往左往していた自分を恥じた。これからは架純を正面から受け止める。絶対に逃げることだけはしない。

 「俺が悪かった。ダメなことはダメ、イヤなことはイヤと言い合える仲になる。君からもう逃げないと約束する。神に誓って」

 架純は再び天使の笑顔を取り戻した。波間に揺れる光がふたりを優しく包み込む。僕の身体にまとわりついていた葛藤を洗い流し、彼女が抱えていた淋しい過去も拭い去ってくれたような気がした。蟠りが無くなった二人には言葉はいらなかった。騒いでいた連中もいつの間にか姿を消し、清らかな川の流れの音が心に沁みる。しばらく沈黙が続いた。

 「シオリさんには、なんて呼ばれてるの」

 「ぶしつけになんだよ。下の名前だけど」

 「じゃあ、一つだけお願いがあるの。私もハルトくんって呼んでもいい?」

 「お願いって、さっき一回しただろ。一日一回までだ」

 「ブー。あれはノーカウント。お願いじゃなく約束だもん」とほっぺを膨らませた。

 「勝手にしろ」返答に困り、投げやりな言い方になる。冗談で突き放したら、架純は「わーい」と嬉しそうに「ハールトくん」と、ちゃかすように猫なで声を絡ませた。

 『ったく』と軽く怒る場面ではあった。しかし。

 アイスクリームがとろけるように表情が緩んでいくのがわかる。

 〈俺は妹キャラに弱いのか〉そう自問自答してみたが、答えは出なかった。

 言葉はいらないという感情は、すぐさま訂正だ。『言葉』の前に『オブラートに包んだ』という修飾語が必要になった。しんみりした時間が長く続くと冗談を言って明るく振る舞うのは、沈黙を極端に嫌う彼女独特の照れ隠しであろう。これも人に気を遣って生きてきた術かと思うと、いっそう愛おしくなる。そして、少しでも詩織と対等でありたいと願う本心が垣間見えた。ここでもやはり優柔不断な僕は、知らないうちに架純のペースに巻き込まれていくのだ。会話も表情も計算していないのが逆に憎らしい。言い方は悪いが、まるで魂を吸い取る小悪魔のようだ。僕に好きな人がいると分かっていながら、気持ちを隠さずにぶつけてくる。そして僕は、友達としての彼女を失いたくないという男のいやらしさがあって……。自然に接してくれる架純に対し、意識し過ぎて斜に構えていた自分が恥ずかしくなった。

 「ハルトくん、やっぱり優しいね。子どもの頃から変わってなくてよかった。それに加えて男らしくなった。かっこよくなったよ」

 「お前、完全に俺をバカにしてないか」無邪気な架純を見ていたら、だんだん気分がハイになってきた。ここは頭を冷やすしかない。そう思った僕は考えるより先に身体が動き、すでに足は水の中だった。架純の純粋な気持ちに応えたい。彼女を喜ばせたい。ヒマワリのような笑顔がみたい。そんな思いが一つとなって川に向かわせたのだ。

 空梅雨でしばらく雨が降っていない鴨川は澄んでいて、ひざ上くらいの深さだった。酔っぱらって入水するヤツを目にするたびに『またバカがいるよ』とさげすんでいたが、今はその気持ちが分かる気がする。というか、しらふでしかも一人で飛び込むなんて、バカに輪をかけた大馬鹿やろうじゃないか。しかも靴をはいたままで。今まで見た酔っぱらいのほとんどは、靴下まで脱ぎ、ズボンをめくってから入る用意周到さがあった。今の僕にはそんな余裕もない。でも川に入ると足の冷たさが脳に伝わり急に冷静になった。『もうどうにでもなれ』と思ったら高揚感に包まれ、自然と足は向こう岸を目指していた。

 「危ないから戻ってきて」

必死で引き留める架純をよそに、僕は興奮を抑えられず、バシャバシャとしぶきをたてながら、ゆっくりと大股で闊歩する。丸まった石がまとわりつき、小さな岩に蹴躓きそうになる。浅くても夜の川は危険がいっぱいだ。途中で架純の声も聞こえなくなった。幅は約25メートル。無事に渡り切って向こう岸についたら、なんだか様子がおかしい。振り返ると触発された学生らしき数人がふざけ合って水しぶきを立てていた。向こう岸で心配そうに見つめる架純に向かって大きく手を振った。なにか叫んでいるようだが、声は当然届かない。僕は号泣県議をまねて、耳に手をやり聞こえない仕草をした。すると彼女は無意識に前へと進み、入水しそうになる。あわてて腕をまっすぐ伸ばし、大声でストップ、ストップと叫んだ。そして、今度は大急ぎで、転びそうになりながら引き返した。

 下半身がびしょ濡れになりながらも転倒せず無事に戻って来ると、架純が目くじらを立てて怒った。見るからに本気だった。「この前も、酔っぱらった学生が、おぼれて死んだっていう小さな記事が新聞に載っていたんだからね」

 ここ鴨川は、増水すると水かさが腰以上になる。見た目より流れが速くなるので深みに持っていかれることがあり、たまに酔った人が亡くなるのだ。憩いの場としてのイメージが強く、緩やかな流れで心を癒してくれる清流も、油断をしたら時として牙をむく。架純が本心から心配しているのは分かったが、僕は強がってみせた。

 「俺は酔ってもいないし、水深が浅いから大丈夫だよ。水浴びしたい気分になっただけ」

 「もう、子どもなんだから」と架純はあきれた顔になる。

 「それに……」――「それに、なによ」

 架純が人懐こい子犬のような眼で僕を覗き込む。店の灯りがキャッチライトになり、濡れた瞳がゆらゆらと揺れ、僕を幻想の世界へ引き込もうとする。

 〈その瞳は反則だ〉無言で訴えながら視線を逸らす――可愛すぎ。

 『ギブ』と口から漏れそうになるのを何度も堪え、必殺技を掛けられたプロレスラーのように、必死でロープへと逃れる。

 言える訳ないじゃないか――――『君といたら楽しい』なんて。

 耳を澄ませば、遠くからコンコンチキチンコンチキチンの祇園囃子。目の前には京の夏の風物詩、納涼床がまぶしく映える。架純を休ませるために河川敷へ来たのだが、僕が熱を冷ます羽目になってしまった。当の彼女は、すっかり元気になったみたいで、芝居だったのか、と勘繰りたくもなる。でもよく考えると、恋愛に不器用でまっすぐな架純が、人をだますようなことができるはずもない。彼女は会ったときから一途だった。優柔不断なのは僕の方で、いつまでたっても治らない。屋台で買ってきたたこ焼きを爪楊枝でつつく。誰がどう見ても仲の良いカップル。そう思われてもいいじゃないか。だから開き直ることにした。なるようにしかならない、と。

 「あれっ」架純が突然声を上げ、三条大橋を指さす。「橋の上に越野くんがいたんだ」

 確認したけど、らしき人物は見当たらない。「見間違いじゃないのか」

 「絶対といったら自信はないけど……。でもわたしたちの方を窺っていたから間違いないと思う。それに、女の人と一緒だった」

 橋の上には街灯もなく、周辺の明かりだけが頼りだ。行き交う人は多いが、立ち止まっている人はいない。こちらを向いていたら目に留まるだろう。どうやら本人だったようだ。でも、順平のやつなら、架純と目が合った時点で、手でも振りそうなものだが。

 「会ったときにでも訊いておくよ」

 「そうだね。わたしたちに気を遣ったのかも」

 あいつなら祇園祭に誘う女友達くらいはいるだろうと、これ以上は気に留めることもしなかった。僕の持っていた舟は、いつの間にか空になっていた。

 「よく食べるやつだな。さっきまでは青白い顔をしていたのに」

 「なんか胸のモヤモヤがなくなったら、お腹がすいちゃった」

 満足げに川面を見つめる横顔は、とてもきれいだった。

 「おーい、やっと見つけたよ。携帯もまったく繋がらないし」会話が弾んでいたところに、北山先輩たちがやってきた。1時間前なら助け舟が来たと喜んだだろう。しかし今は、ちょっともったいない気分だ。素の自分で、久しぶりに架純と話せたのに。

 後から分かったことだが、すべては先輩の計らいだった。事前にメンバーを僕に知らせることなく架純を誘ったのも、人ごみで二人がはぐれたのも。携帯の電源をわざと切っていたことも判明した。すべて、僕と架純の気まずい関係を考えてのことだった。さすがに先輩でも架純の気分が悪くなることまでは想定外だったようだ。本末を聞いて呆れたが、今は感謝の気持ちしかない。元通りの関係に修復できたのだから。


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