4 数奇な運命 その2
次はいよいよ舞台は岡山へと移ります
やはり血筋というものは争えない。向き合った二人の横顔はそっくりだった。出会った人々や食生活など、育った環境が違えば顔つきも変わるものだと言われる。『人は苦労すればするほどシワが増えていくんだよ』。ふと、祖父から聞いた話を思い出す。日本人とは一線を画した風貌に変化した中国残留孤児の人たちを見るたびに、納得したのを覚えている。極端な例と一概に比べるものではないと承知したうえで言わせてもらうと、ふたりは環境の違いなど微塵も感じさせないほど似ていた。詩織はバイオリンを習えるほどの恵まれた家庭に育った。一方、架純は父子家庭で晩御飯もろくに食べれない状況だったようだ。加えて、突き付けられた父の死という現実。それだけを比べても幸不幸の差は歴然だった。が、どうだ。離れ離れに育ったふたりは、いくつもの共通点を残していた。透けるような白い肌、鼻筋の通った端正な顔立ち、瞬きすると音がしそうな長いまつ毛に大きな瞳。同じ髪型にして街中を歩けば、ほとんどの人が姉妹として扱うだろう。
ただ、僕の中での印象は、詩織が儚げな美人で、架純は可愛い妹キャラなのだ。神聖なる場で、しかも一世一代のときに不埒な理想の将来像を頭で膨らませる。やはり、僕は聖職者には向いていない。架純がこれほどまでに純粋で明るく優しい女の子に育ったのは、奇跡だと言っても過言ではない。待ち合わせ場所に教会を選んだのは、『素直になれる』、正確にいうなら『荘厳な雰囲気が素直にさせる』からだ。三人にとって思い出がつまった白いベンチも近くにある。ここ以上にうってつけの場所があるなら教えてほしいくらいだ。
午後7時前。夏休みが始まったころに比べると、日が落ちるのがずいぶん早くなった。そうはいっても、まだ西の空には明るさが残っている。先に来ていた詩織はすでに礼拝堂で待っていた。見たことのないような緊張した面持ち。入口の外にいる僕のところまで深呼吸が聞こえてきそうだった。独りの方が落ち着くだろうと、一旦ドアを閉めた。
五分もしないうちに、もう一人の主役が手を振りながら駆け寄ってきた。
「夕暮れの教会ってきれいだね」
涼しげな表情。だが、絵の具を塗ったようなパープルに染まる空を見上げる笑顔は、いつものとは違い、どこかぎこちない。大学に呼び出したときもそうだったが、頭のいい彼女なら、教会を待ち合わせに選んだ意味を理解しているに違いない。ひょっとしたら、別れを持ち出されるのではないか、と気を揉んでいるかもしれない。
案の定、それを悟ったような質問が飛んできた。「烏丸さんが暮らしている学生寮ってあれかな」架純は古びた建物を指さした。そうだよ、と答えると、間髪入れずに「で、どこにいるの」と言い、敬礼のポーズのように右手をおでこに当ててキョロキョロする。
「俺のやることは何でもお見通しなんだな」
「好きな人のことくらいわかるよ。何回言わせるのかな」
呆れ気味の僕に、ファイティングポーズを崩さない。今日ここで決着つけてやるくらいの意気込みが伝わってきた。しんみりしたムードより、元気あふれる架純の方が、やはり架純らしい。詩織との対決、もとい、対話に明るい兆しが見えてきた。
「ではお嬢様、こちらへどうぞ」僕は静かに中へと招き入れ、内からドアの鍵を閉めた。
「礼拝堂に入るのは久しぶり。なんか小学校の頃を思い出すなー」
架純は中央にたたずむ詩織を確認すると、上下左右を見渡しながら無邪気な笑顔を振りまいた。わざと明るく演じているのではなく、自然とハイテンションになっているのが見て取れる。すると、背後にいた僕を横に並ばせた。
「教会の中っていうことは、今歩いているのはバージンロードだね」
高い天井に反射した声が堂内に降り注いだ。そして、エスコートする僕に向かってステップを踏みながら、ゆっくりと詩織が座っている場所へと進んだ。
「はじめまして――じゃないですよね。こんばんは、岡崎架純です」
立ち上がった詩織に、架純は落ち着かない様子でペコリと頭を下げた。詩織は妹を包むような優しい表情を浮かべ、あいさつを交わした。「烏丸詩織です。急に呼び出してごめんなさい。今日は大事なお話があるので、来てくれてありがとう」
着いてからずっと緊張していた詩織だったが、元気ハツラツの架純を見て安心したのか、表情に余裕がでてきた。なんだか喋り口調もお姉さんぽい。僕は依頼された役割を果たすべく、二人を向かい合うかたちに座らせてから、架純に事情を説明した。
「今日の僕はあくまで立会人としての参加なので、すべて詩織に任せている。いっさい口を出さないつもりだけど、困ったことがあったら要望には応えるので、そのときは声を掛けてくれ。じゃあ詩織からどうぞ」
架純に真面目な話だと理解させるために、あえて冷たい事務的な言い方をした。セッティングをした時点で、架純の精神状態が不安定になるのも、狼狽して泣き崩れるのも覚悟はしている。どのような展開になるかは神のみぞ知るところだが、僕だけは冷静でいられるように努める。あとは詩織を信じるしかない。けれど、架純から待ったがかかった。
「なんで、ハルトくんは関係ないような顔するの。わたしと詩織さんが対峙するということは、ハルトくんを巡っての話以外は考えられないじゃない」
尤もな意見だ。省略しすぎた感は否めない。仕切り直しが必要だと考えた僕が口を開きかけると、すぐさま詩織が遮った。そして、相手の目をまっすぐに捉え、低いトーンで語り始めた。架純は喉をゴクリと鳴らせて緊張の面持ちに変わっていく。
「架純ちゃん、これから話すこと、驚くなとは言わない。だって私が知ったとき、腰が抜けそうになったもの。驚天動地っていうのは、こういう事なのかって思ったくらい。私にとっての救いは、知る過程において段階があったこと。それに支えてくれる人もいた。だから、今日は陽斗くんにも同席してもらったの」
詩織は感情を込め、心の底から押し出すように強く優しく言葉に思いを乗せた。架純は静かなる迫力に呑み込まれるかのように、さっきまでの自由奔放な態度は鳴りを潜め、押し黙ったまま聴き入っていた。災害情報を流すラジオに耳を傾けるように。
「これだけは信じて。あたし…あたしね。すべてが判ったとき、すごく嬉しかったの」
架純はどうリアクションすればいいのか分らない表情で、ただただ次の言葉を待っていた。直球勝負でくるのか、順を追って説明するのか、僕にも予測不可能だった。テニスの試合をコートサイドから観戦するように顔が左右に動く。見つめ合う二人に声援を送りたい気持ちでいっぱいだが、ここは邪魔をしないよう傍観者に徹する。咳払いも出来ないほどの緊迫感が周囲に広がっていた。
「私の家族は両親と妹。複雑な家庭環境で、私が母、そして妹は義父の連れ子なの。母が再婚したのは、私がまだ小さい頃で記憶もおぼろげ。それ以前はまったく覚えてない。それでも不自由なく育てられ、両親に対してはなんの不満もなかった。いえ、ただひとつを除いては」
詩織は最後の言葉で語気を強めた。横で僕は唾を呑む。
キョトンとした顔で聞いている架純に詩織は核心に迫った。
「架純さんは亡くなられたお父さまから何か聞かされていない?」
「いえなにも。突然の事故だったので」
架純は姉の存在どころか、母が生きていることさえ知らないようだ。父親は話すきっかけが訪れないまま無念の死を遂げていた。思った通り、ゼロからの説明になりそうだ。
「そう。だったらお母さまがどこにいるのかも知らないのね」
「母は私を生んでからすぐに亡くなったと聞いています。それがなにか」
架純の不信感がメラメラと燃え上がる。なんであなたがわたしの家族のことを持ち出すの、といったような防御態勢をとる。対する詩織は一歩も引かない姿勢を見せた。
「では姉がいることも当然知らなかったのね」
「姉なんているはずありません。さっきも言った通り、母はわたしを生んで……」
「じゃあ、これを見て」詩織が架純の言葉を遮るように、一枚の写真を差し出す。
冷静に答えていた架純の表情が一変する。そこには見覚えのある風景をバックに二人の幼女が写っていた。手を繋いで微笑む詩織と架純。後ろには、そっと見守る父の姿もあった。二歳の頃とはいえ、自分のことを見間違うことはない。いくら足掻いても消えない過去。しかし、疑いようのない証拠を前にしても、架純は認めようとしなかった。無理もない。尊敬していた父から聞かされ、信じていた事実が今、崩壊したのだ。
「わたしが持ってる写真には、父とのツーショットしかなかった」
横に写っているのは、たまたま遊びに来た近所の子供とでも言いたいのだろう。気持ちは理解できるが、なんの否定にもなっていない。
「あなたと手を繋いでいるのが私」詩織は理詰めするように冷静な物言いをする。
写真を握りしめた架純の手がわなわなと震えだす。どうしていいか分からなくなり、僕の顔を見つめて助けを求めてきた。
「俺も岡山から送られてきた手紙を見た。君の祖父殿の名前が書かれていたんだよ」
「架純ちゃん、私が血のつながった姉なの。信じられ…」
「ちょっ、ちょっと待って」架純が突然大きな声を出して話の途中に割って入った。
「うそじゃないの。……信じられないと思うけど、あなたのお父さま、私にとっても血を分けた実父なの。そして母は再婚し私と一緒に暮らしていた」
「うそよ。そんなことあるわけない」
動揺した叫び声が乾いた空間に響き渡る。見る見るうちに紅潮した顔が、今度は血が引けたように青白くなった。架純は両耳を手でふさぎ、これ以上聞きたくないとポーズをとる。頭の中を整理するのに時間がいりそうだ。生まれて十九年間、まったく聞かされていなかった衝撃の展開。脳内がショートしても仕方のない状況である。実の母親が生存していて、なんの連絡もしてこないという事実がショックを倍増させているのは間違いなかった。今まで、父と暮らし、岡山で第二の人生を描いてきたキャンバスが突然真っ白になろうとしている。僕は詩織に遠慮もせず、架純の肩を抱き寄せた。腕の中ですすり泣く彼女は、Tシャツが裂けそうな勢いで僕の脇腹辺りを掴んだ。
「ハ・ル・ト・くん、い・つ・から・知っ・てたの」
壊れたラジオみたいに言葉がとぎれとぎれになる。落ち着かせようと、頬にかかった髪をゆっくりと耳にかけ頭を優しくなでた。他人である僕との未来は願ったとしてもどうなるか分からない。しかし、血を分けた姉妹の関係は断ち切ることなどできないし、決して抗うことのできない運命なのだ。だったら、親の都合で引き裂かれた絆を取り戻し、互いを認め合い、助け合って生きていくことが最善の選択なのは間違いない。
僕は架純に、知っている一部始終を語りかけた。
――カスミ、そのままで聞いて。
親父が管理する寮に詩織が下宿しているのは知っていると思う。突然、引っ越してきたのは、実家に居づらくなったんだ。美里ちゃんていう義理の妹がいて、架純の存在を知ってから、詩織に当たるようになった。それまでは仲の良い義姉妹だったのに。イタズラがいじめに変わり、その行動はエスカレートしていった。僕は、なんで親が止めないんだ、と怒りさえ覚えた。美里ちゃんの行動は結局、姉を君にとられたくないという嫉妬だった。詩織は義父にも負い目を感じていた。金銭面で不自由なく暮らせる幸せな生活を代償に、一番大事な心の自由を奪われていたのかもしれない。架純は優しい父の愛に育まれ、束縛されない自由な暮らしだったけど苦しいことも多かった。これはまったく僕の想像だから、二人とも許してほしい。けれど言わしてもらうよ。離婚した両親に、姉妹の絆まで奪う権利なんてないんだよ。今からでも遅くはない。お互いを認め合うんだ。血の繋がった姉妹は、ここにしかいない。詩織も架純も何も悪くない。ただ運命に引き裂かれただけだ。
だから、だから、心許せる姉妹になってくれないか――。
僕の言葉に反応するように、腕の中で架純の身体がひくひく動いた。
今突きつけられた現実を架純には受け入れてほしい。明らかなのは、二人とも間違ったことは何一つしていないこと。架純さえ首を縦に振れば、すぐにでも和解できるだろう。詩織はすでにその態勢に入っている。ここは神聖なる教会。ウソ偽りなくお互いの心をぶつけ合うには一番ふさわしい場所なのだ。
十分くらい経っただろうか。架純が小さな声で何かを発した。
「顔を上げて喋らないか」
架純は泣き顔を見られるのが恥ずかしいのか、僕の胸に頭をつけた状態で首を振る。なんだか少しくすぐったい。乙女心を感じると、心臓までくすぐったくなる。
「じゃあ、このままで聞いてくれ。さっきの質問だけど……。俺も詩織も、架純が妹だと知ったのは3日前。だから詩織のことを責めないでやってほしい」
架純が腕のなかでコクリとうなずく。いっぱい泣いて少し落ち着いたようなので、「じゃあ顔を見せてほしい」と肩に回していた両手を頬に優しく当てた。そっと見上げる涙をためた瞳には、優しさが漂っていた。芯の強い子だから、もう大丈夫だろう。そう確信した僕は、そのまま手を取って詩織の両手に重ねた。
詩織は「ありがとう」と言って、ポシェットから封筒を取り出した。
「これ、岡山から母に送られてきた手紙」
封筒には詩織の実家の住所と母の宛名、手紙の最後には架純が暮らしていた美星町の住所と祖父の名前が書かれていた。二人がつながっている証拠を目の当たりにしても、架純の表情は少ししか変わらなかった。しかし、祖父がしたためた手紙を読むと、また涙が止まらなくなった。大事な契約書に目を通すような真剣な眼差し。実姉の詩織を受け止める準備は整った。
「ほんとうにお姉ちゃんなの?」
「そうだよ。ひとりにさせてごめんね」
詩織が手をぎゅっと握りしめる。それを握り返す架純。
「うーうん。ハルトくんが言ったとおり、お姉ちゃんが悪いんじゃないよ」
「違うの。私の都合で二年間も待たせてしまったの。実の妹の存在を知ったのは高3だった。そのとき、今みたいな勇気があれば、母を問い詰めることもできた。だから、私の身勝手を許してほしい。ほんとうにごめんなさい」
「大丈夫だよ。わたしの高校生活はみんなに誇れるものだったから。すべてを打ち明けられるタイミングは今が最高かも。ただ……」
「ただ、なに?」
「うーうん、なんでもない。偶然ってあるんだなーって」
そう言い終わったあと、架純が僕を睨んできた。思い当たる節がないので、詩織に『なんのこと』と眼で合図を送ると、二人は同時に肩をすくめた。
姉妹が初めて同時に微笑んだ瞬間だった。それから半時間ほど、お喋りが続いた。
架純が岡山での高校時代を振り返ると、詩織は興味深い顔で聴き入った。詩織はバイオリンを習っていることや女子大での生活ぶりなどを話した。訊きにくい話題は避け、まずは友達から始めましょう、といった和やかな雰囲気だった。まるでお見合いの男女を見ている感じがする。初々しさがあり、それでいて互いに惹かれているような。離れ離れになった両親の話も出なかった。知りたいことは山ほどあるだろう。でも、空白を埋めるのには長い時間が必要だ。重要なことは、納得するまで話し合えばいい。これから先、二人に用意された時間はたっぷりとあるのだから。僕はひとつ大きな確信を抱いた。二人の未来には何の障壁もなく何の心配もいらない。眼には安心感が宿り、無理している様子がまったくない。ごく自然な振る舞いに驚かされた。詩織の懐の深さに架純が飛び込んだのだ。生まれたときから苦楽を共にしてきた姉妹のように映った。
詩織はそっと立ち上がり、妹の手を引っ張り上げて最前列に誘導した。架純は躊躇いもなく素直に従う。祭壇の前で向かい合うと、両手をギュッと握り直して、新郎が新婦へ語りかけるように宣言した。
「これから述べることは偽りでないことを誓います」
十字架を見上げる詩織に習い架純も同調した。架純が小学生の頃、『ときどき礼拝にきていた』と話していたことを思い出す。立った二人を比べると背丈もスタイルも同じだった。僕は後方から、その美しさに見とれていた。すると、詩織が手招いた。
「陽斗くん、立会人なんだから近くにいなきゃだめじゃない」
架純がクスッと笑った。心からの笑顔は今夜初めてだった。僕はきょう一番の役目を果たしたように感じ、少し肩の荷が下りた気がした。「ゴメン」と言って、別の場所に向かった。二人が訝しげな視線を送ってくるのをブロックして、パチンとスイッチを入れた。薄暗い礼拝堂に祭壇だけが浮かび上がる。そして身廊に駆け寄り十字架を正面に見る位置に立ち、二人を見守った。
「架純、待たせてごめんね。これからはずっと一緒だから」
その一言で二人とも目が真っ赤になり涙が止まらない。心に染み入るセリフに僕も涙腺を絞るのに必死だった。詩織は架純をまっすぐ見据えて慎重に言葉をつむいでいった。
「父が生きていたのを知ったのは事故死した直後だった。私が生まれてすぐに病死したと聞かされて。お葬式にも呼ばれなかった。それから約2年、高3のときあなたの存在を知ったの。父が事故死したのを聞いたときよりショックだった。なぜ母がそこまでして隠すのか理解できなかった。―妹に逢いたい―。名前やどこにいるのかも分らず、探す方法は母を尋問するしかなかった。でも、そのころは仲が良かった義妹の美里が頻繁に嫌がらせをするようになり、不自由なく育ててくれた両親への恩義もあって決断できなかった。ごめんね。私のわがままを許して」
すぐに行動を起こさなかった自分に後ろめたさがあるのか、自然と謝罪の言葉が口を付いて出る。悲しい表情の詩織を見ているだけで僕の心は曇り、いたたまれなくなる。詩織が悪いわけではないのに。それでも、黙って聞いている架純の涙に温もりを感じることが救いとなった。
「自分を変えなければいけないと思い、この春、下宿を始めたの。そこで陽斗くんと出会った。架純ちゃんの存在を知った義妹の美里と仲直りさせてくれたのも陽斗くん。その美里が心を開き、あなたを探すのにも協力してくれた。嬉しかった。二人揃って両親に詰め寄り、手がかりの書かれた手紙を渡された。それが5日前のこと。もっと早く行動すべきだった。長い間、寂しい思いをさせてごめんね。至らぬ、不甲斐ない姉を許してほしい」
架純は聞き終えると、詩織に抱きついた。
「もう謝らないで。お姉ちゃんは全然悪くないんだから」
「かすみ」心が通じ合った二人には、もう言葉なんて必要なかった。
抱き合う姿を目の前にして、僕の涙は止まらない。もう我慢する必要もない。心配はしていなかったが、よかったという月並みな言葉しか出てこない。立会人としての責務は果たした。しばらく黒子に徹することにしよう。気づかれないように、すり足で一歩一歩後ろへ下がる。初めに座っていた中央付近までくると、美しい姉妹がシルエットに浮かび上がる。映画のラストシーンのようだ。どんな名作を観たときよりも僕の心は感動で揺れている。涙が枯れるまで泣いた二人は、手を取り合って身廊を引き返した。契りをかわした姉妹は笑顔に包まれていた。そして僕の前に立ち止まり、声をそろえて感謝した。
「ありがとう。陽斗くんに出会えてよかった」
「おいおい、これでお別れみたいじゃないか」
照れ隠しでとっさに返した言葉は裏目に出た。頬を当てて近づき、並んだ四つの眼がいじわるそうに僕をにらんだ。
「お別れ? なにを言っているのかな」「始まりに決まっているでしょ」
最強タッグの完成だった。「ハルトくんには最後まで責任とってもらうわよ」
長く抱き合っていたと思ったが、どうやら耳元で僕に対する仕打ちを相談していたらしい。そうでなければ息がぴったりすぎる。
「いや、責任って、立会人としての責任は全うしましたが」
もう何を言っても無駄だった。でも、本当によかった。終わりよければ全てよし。飛んできたルートは違うけど、最高の着地点に辿り着いたのだから。違った美しさを備え持つ姉妹に涙は似合わない。笑顔の大輪がふたつ咲いた後、詩織がポツリとつぶやいた。
「亡くなる前に一度、お父さんに会いたかった。架純を見ているとわかるよ。愛情いっぱい受けたのが。いいお父さんだったんだね」
それを聞いた架純はにっこりと笑った。真夏に咲き誇るヒマワリのように。
二人の瞳に映ったステンドグラスがこれからの姉妹を祝福していた。
外に出ると、辺りは真っ暗だった。三角屋根の向こうにはカシオペアが輝く。
さっき瞳に焼き付けた、手を取り合って喜ぶ二人の姿を重ね合わせた。




