4 数奇な運命 その1
いよいよ真実が動き始めます
どうぞご覧ください
4 数奇な運命
三人は卓上にある一枚の封書を、固唾をのんで見つめている。
ここはなぜだか僕の部屋。大合唱しているはずの蝉の声すら聞こえやしない。いつもは朝っぱらからジージー、シェエシェエとうるさいくせに、なんでもいいからBGМがほしいときには一匹さえも鳴かないのだ。静まり返る空間に、さっき付けたエアコンの音だけが遠慮気味に響く。密室にしようと窓を閉め切ったので、汗が噴き出てきた。前もって連絡してくれたなら準備をしておいたのに。とりあえず冷えたジュースだけは用意した。
詩織がうちにあがるのはもちろん初めてのことだけど、美女ふたりに挟まれ、違う意味で緊張している。今度は詩織ひとりで、などと妄想してしまうのが男の浅はかさなのか。何もできないくせに想像力だけはたくましい。目の前には息がピタリと合った美人姉妹。朝早くから、僕にも立ち会ってほしいと、昨夜に母親から渡された封筒を未開封のまま持ち込んだのだ。断る理由は見つからず、もちろん興味もあって、今の状況を作り出している。なぜ僕の部屋なのかは、女子二人だけが知るところで、拒否権などないも同然だった。
実妹を探すと決断してから真相に辿り着くまで、さほど時間は要さなかった。詩織と美里ちゃんから迫られた母親には防御の手段など残っていなかったのは容易に想像できる。実の娘と愛情を注いで育てた義理の娘が手を結んだとなると、母親にとってこれ以上の最強タッグはいない。すべてが判った訳ではないが、十数年もの間、封印されてきた重要なファクトは明らかになった。
お互いに連れ子がいるバツイチ同士の結婚だった。愛し合った末かどうかは分らないが、詩織の母がお金に困っていて、結婚相手の義父が裕福だったことだけは間違いない。そして、義父から出された条件が『分かれた元夫とは二度と会わないでほしい』だった。詩織の母は納得して受け入れた。でも、心中を推し量ると、我が子を幸せにしたいがための苦渋の決断だったのだろう。承諾した以上は何があっても守らなければならないと考え、幼少の詩織についた嘘が『お父さんは病死した』だった。
その話を聞いたところで、僕にはまったく理解できないが、現実を受け止めるしかなかった。もちろん烏丸家にしてみれば、僕は赤の他人。いくら腹立たしくても、怒鳴り込むことはできないし、余計な口出しすらできない。でも、この件に首を突っ込んだことは後悔なんかしていない。これから詩織の運命を僕なら変えることができるかもしれない、と本気で考えているからだ。
安心材料も二つあった。母親が引き裂かれた実妹の存在を認め、今まで隠し続けていたことを涙ながらに謝罪したこと。そして父が事故死してから、実妹が田舎で暮らす祖父母に引き取られ、幸せに暮らしているのがなによりだった。
この中には実妹の氏名と住所が書いてあるという。消印は3年前の8月。一度開封してから糊付けし直した跡があり、なぜか裏に記載されているはずの住所と名前が消されていた。詩織の母親も娘ふたりに詰め寄られ、相当つらかったらしく、『あとはあなたたちで決めなさい』と言って封書を託したそうだ。詩織が覚悟を決めさえすれば、いつでも会いにいける状況となる。今手にしているのは、未来へとつながるドアの鍵なのだ。ただ、向こうは実姉の存在を知らないので、慎重を要することになるけれど。カラコロンと溶けた氷がグラスにぶつかる音がする。このまま封書とにらめっこを続けてもしょうがない。場を和ませようと沈黙を破ったのは美里ちゃんだった。
「ハルトさんって、綺麗好きなんですね」
大慌てで押し入れに詰め込んでおいて助かった。さっきまでガラクタが飛び散り悲惨な状態だった。北山先輩の散らかっていた下宿を思い出す。おじゃまするたびに片付いていく部屋に、テキパキと掃除する美里ちゃんの姿を重ねた。
「そうでもないよ、普通と思うけど」一応、周囲を見渡してから、まんざらでもなさそうに答えると、きついパンチが待っていた。
「いえ、綺麗って、姉さんのことですよ」
ゲホゲホゴホゴホ。僕は思わずジュースを吹き出しそうになる。
さっきの妄想は撤回だ。先輩の部屋で淑やかに料理をつくるエプロン姿の美里ちゃんが浮かんでいたのに……。最近、いろいろあり過ぎて妄想癖がひどくなっている。これじゃいかんと首を三度振る。気づいた詩織が冗談になっていない冗談で追い打ちをかける。
「だめよ、私の大切な妹なんだから」
鼻の下でも伸ばしていたのだろうか。否定もせずに咳払いをした僕を、美里ちゃんが「大丈夫ですか」と気遣う。やはりほんとにいい子なのだ。その横で詩織はクスクスと笑っている。これぞ見事な連係プレー。実の姉妹のように二人が認め合おうとするなら、僕はいつだって酒の肴にでも道化師にでもなってやる。こんな嬉しいことはないのだから。
しかし、封書の中身は、そんな楽しい時間を一変させるほど破壊力があった。
詩織が満を持して封筒にハサミを入れる。僕はテーブルに手をついて乗り出すと、横で美里ちゃんが生唾を呑む音が聞こえた。田舎暮らしと聞いたが、そんなに遠い場所なのだろうか。何をしているのだろうか。中には詩織の母親宛に届いた一通の手紙が入っていた。拝啓で始まり、達筆で近況を知らせる内容。僕らはさらっと目を通した。そして二枚目をめくると、僕の眼球に飛び込んできたのは見覚えのある4文字だった。
――岡山県美星町○○、岡崎架純の祖父より
「岡・崎・架・純」漢字一文字ずつ間隔を置いて読み上げる。思わず天を仰ぐと、見慣れた天井がグルグルと渦を巻き始めた。架純を知らない美里ちゃんは、僕の肩を揺さぶり「どうしたんですか」と叫んでいる。正気に戻った僕は、心配して詩織の表情を追いかけた。予想に反して驚いた様子は読み取れない。僕に気を使って平静を装っているのだろうか。いやリアクションに困っていると言った方が正しいかもしれない。
「シオリ」僕が小さな声を発すると、きゃしゃな肩がビクッとなり、ハイと答える。
「まだ同一人物と決まったわけじゃない」
「オカザキカスミさん、漢字もまったく一緒なの?」
「ああ……。岡山から出て来たのも一致している」
疑う余地さえない。冷静に考えると、性格は違うが外見が似てると感じたことは幾度もあった。まっすぐでサラサラの髪質や目から鼻にかけてのライン、くっきりとした大きな瞳、それに輪郭までもがそっくりだ。やはり人間の思い込みは恐ろしいものだ。苗字が違うだけで、赤の他人と片付けてしまう。その常識さえ取り除けば、答えは易々と出ていたかもしれない。架純のお父さんが事故で亡くなったことも本人から聞いて知っていた。そして岡山で祖父母と暮らしていたことも。架純が『大学に通えるのもお父さんのおかげ。何かあったときのために、多額の保険金を掛けてくれていたの』と話したことを思い出す。それになにより、僕自身が小学校時代、京都で、しかも近所で出会っていたのだ。今思えば、それらは偶然の一言で片づけられるものではなかった。点と点を結べば線となり、その線で囲めば面になる。シオリという名の矢を放つと、かなりの確率でその面に命中したはずだ。まあ、遅かれ早かれ判明することに違いはなかったのだが、想像の範囲なら心に余裕ができていたに違いない。
僕が途方に暮れていると、またも救ってくれたのは詩織だった。
「知っている人で良かった」僕は一瞬、耳を疑った。
「それに陽斗くんが気に入っている子なら、なにより私が安心できるもの」
うろたえるだけの情けない僕を励まそうとしてるんじゃない。詩織の本音がじんじんと伝わってくる。この胸の高鳴り――。僕はそういう心優しい詩織にただならぬ愛情を抱くのだ。横で美里ちゃんが、うんうんと頷く。大体の事情は察しが付いたのだろう。
ここは僕がしっかりしなければいけない。そう、血を分けた唯一の妹が判ったのだ。当事者の詩織は、僕の数倍、いや数十倍もの驚きとショックを受けているのは明らかだ。隠されていた真実を前にして、必死で受け止めようとする詩織を支えられるのは僕しかいない。傲慢な言い方をすると、複雑に絡んだこの 〝三姉妹〟を全員幸せな方向へ着陸させるのが僕の背負った宿命なのだ。腹をくくって、詩織に立会人になると申し出た。
詩織は嬉しそうに「お願い」と言った。頼られてる感じがして、いい気分になった。
待ち合わせのセッティングは僕がするとして、誰がこれまでの経緯を説明するかが問題だ。架純は残念ながら、詩織のことを恋敵だと思っている。その狭間にいる僕が切り出すのも少し違うような気がする。美里ちゃんはもっと違う。その場に、まったく面識のない美里ちゃんが居ていいものなのかも疑問だ。迷っていると、詩織が口を開いた。
「私がすべて話すから。陽斗くんは、そばにいてくれるだけでいいよ」
僕があれこれと頭の中で迷っているうちに詩織は答えを出した。しかも頭の中を見透かされたようにキッパリと。「だって私は……。お姉ちゃんだもん」
うっすらと涙の膜がかかった大きな瞳には、数奇な運命に立ち向かう力強さがあった。これは僕が出る幕はなさそうだ。黙って二人の会話を見届けよう。
「そうだよ、お姉ちゃんなら大丈夫。頑張って」
美里ちゃんは気を使って参加するのを辞退した。超が付くほど複雑な関係となってしまった三人で、対話に臨むこととなった。もちろん主役はふたり。野球に例えるなら僕は審判で、ルールブックに記載されている〝石ころ〟に徹しようと思う。
仲直りした義姉妹が帰った後、部屋には沈黙のエアポケットが残った。
さっきはなぜか、大それたことを言い放ったような気がする。一人になって深く考えてみれば、何をどうしたらいいか分らなくなってきた。大切なふたりを同時に失う最悪の可能性まで頭をよぎる。ネガティブの渦に巻き込まれてしまいそうだ。まるで焦燥感という洗濯機の中に掘りこまれたように頭がグルグルと回り始めた。
恋をするっていうのは、知らないうちに好きになって、気づいたら後には戻れず突っ走るしかない。ある小説の一部分に、なるほどと頷きながら感服した覚えがある。けれど今、僕の置かれた状況は、突っ走ったら袋小路に迷い込んだようなものだ。自業自得とはいえ、抜け出す糸口すら見えない。こんな悪戯な運命があっていいのだろうか。初めて神様に文句のひとつでも言いたくなった。
確実なことは、逃げられないという現実。深くかかわった以上は、最後まで自分に責任を持つ。横道に逸れながらも出た答えは、誠実な対応をするのみ、だった。これは神が与えた試練。気持ちを切り替え、詩織と約束した〝大役〟を無事にこなすしことに集中するしかない。となれば行動あるのみ。先延ばししていると気が狂いそうなので、すぐさま架純に電話して約束を取り付けた。もちろん、核心部分を避けながら。いつもと違う積極的な僕のアプローチに、架純はいぶかしがる様子もなく受け答えしてくれた。
〝決戦〟は三日後の夜。とにもかくにも架純と話ができたことで気が楽になった。




