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孤独なシーソーゲーム その10

第3章の終わりです

次から第4章が始まります


 「お姉ちゃん、ごめんなさい、本当にごめんなさい」

 許しを請うことしかできない少女をそっと抱きしめ、詩織は何も言わずに頭をなでる。何度も何度も髪の毛をとくようにして。しおらしい姿に、仲の良かった頃の妹をだぶらせて安堵の表情を浮かべた。僕はもらい泣きしそうだった。

 「私からもあなたに謝らなければならないことがあるの」美里ちゃんは、洟をすすりながら詩織の顔を仰ぎ見た。「下宿を訪ねて来たとき、実は私、ドア越しにいたの」

詩織は、戸惑いながら固まってしまった美里ちゃんに経緯を説明した。横で聞いていた僕も、そんなことがあったのかとびっくりした。美里ちゃんがもう一度、決意のままに動いていれば、僕の出番はなかったことになる。

 「仲がよかった頃に戻りたい」美里ちゃんが小さな声を振り絞った。嗚咽を呑み下す。

 「私もよ、美里。だからもういいの。泣かないで」

 詩織のTシャツが濡れるほどの涙を流した美里ちゃんは、やっと落ち着きを取り戻した。雪解けを確かめ、自分の役目は終わったと感じた僕は気を利かせた。

 「終わったら呼んでくれ。誰にも邪魔されないように鍵を掛けておくよ。俺は外のベンチで待っているから」

 「陽斗くんにも聞いていてほしいの」

引き留めたのは詩織だった。ドアの方へ一歩踏み出していた僕は、振り向きざまに詩織を見た。続いて美里ちゃんの顔色を確認すると、一人では不安そうだったので、きびすを返し再び腰を落ち着かせた。再度、妹を向き合う形で椅子に座らせた詩織は、自分が知る限りのこと、それに対する感情を包み隠さず打ち明けた。

 「子どもの頃から納得できない疑問はたくさんあった。けれど中学までは、母に言われたとおり、お父さんは病死したものだと思い込んでいた。真実を知ったのは、お父さんが本当に亡くなったとき。あわただしく参列の準備をする母は、珍しく動揺していたのか、私が傍にいるにもかかわらず、ポツリとお葬式の話題をしたの。その場はバレないようにごまかしたわ。でも、親子だからいくら取り繕っても分かるよね、そんな大事なこと。結局、声は掛からず、葬儀に出られなかったことは今でも恨んでいる。でも、その時点では、まさか実妹がいるなんて思わなかった。そして高3のときに存在を知った。すぐに逢いたいと思った。でもね、あそこまでして両親が隠したい真実ってなんだろうと考えると、怖くて訊けなかった。薄情な女よね、私って」

 天井に視線をやり、ゆっくりと思い出しながら正確に当時を振り返った詩織は、助けを求めるような眼で僕の方を見て寂しそうな笑みを浮かべた。

 「陽斗くん、わたしのこと嫌いになったでしょ」

 「そんなことあるわけないだろ」間髪入れずに否定した。少々怒り気味に。

 美里ちゃんは横で、信頼に満ちた眼で姉をじっと見つめている。

詩織は安心したのか、堰を切ったように複雑な胸の内を語った――美里ちゃんを実の妹のように可愛がっていたことや、育ててくれた両親に対する感謝の気持ち。そしてその対極にあった懐疑心が、いかに自分を苦しめてきたのかを。

 心の闇はブラックホールのように拡大し続けた。迷いをぶつける場所も見当たらず、もがき続けてきた2年間。さぞかし苦しかったであろう。美里ちゃんとの和解をきっかけに、本来の柔和な詩織に戻ってほしい。

 「なんか胸が軽くなった。今なら垂直跳びの記録がでそう」

 詩織はスッと立ち上がり、伸びをしてからジャンプした。なんのおまじないかは知らないけど、しんみりしたムードをリセットするには効果がありそうだ。姉らしく気丈に振る舞うその姿には、サッパリした表情がうかがえた。今聞いたすべては偽りのない詩織の本心だと確信する。それと同時に、幸せな家庭を崩さないために、ずっと我慢してきた彼女の心中を思うと、胸がギュッと締め付けられ、やるせない思いがこみ上げてきた。詩織は僕と出会ってから心の緊張が緩和されたと言った。どれほどの安らぎを与えられたかは分らない。けど、こんな自分でも役に立てたのなら嬉しい。

 おとなしく聴き入っていた美里ちゃんが一気に感情を爆発させた。

 「なんで、なんで言ってくれなかったの。私がいじわるして、お姉ちゃんを困らせていたときも、責めることなく我慢していたなんて……」

 ホットケーキに載せたバターが溶けるように涙が一気に頬を流れ落ちた。アアーンと叫んだ後は、謝罪の言葉を押し出すだけで精一杯だった。「お姉ちゃん、ごめんね」再び号泣する美里ちゃん。さっきもひとしきり泣いたのに、まだ身体からあふれ出す水分が残っているのかと思うほどに。涙が枯れれば姉妹の蟠りはなくなるはずだ。

 そして、そのときはすぐ訪れた。詩織が美里ちゃんの手を包み込み優しく言った。

 「美里、あなたが許してくれるなら、妹を探したいの。きっと淋しがっているから」

 美里ちゃんは赤くはれ上がった目を擦りながら詩織を見つめて頷いた。

 「妹がどこにいるか分らないけど、お父さんが亡くなってからは一人ぼっちかもしれない。最悪の場合は孤児院にいるかも。それに比べたら私は幸せよ。育ててくれた両親もいるし、こんな素敵な妹がいるのだもの」

 ずっと実妹を探したいという強い願望を必死に封印してきたのだろう。そう言って詩織は美里ちゃんを強く抱きしめた。ふたりの心がつながった瞬間だった。


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