孤独なシーソーゲーム その9
ヒロイン詩織が主語の差し込みです
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夏休みになっても私は、実家に帰ることはなかった。いざとなれば、タクシーで半時間も掛からない。でも、近くて遠い距離を感じてしまう。わがままを言って出て来たのもそうだけど、はやり一番の理由は、まだ美里と顔を合わせたくないからだった。
親からの仕送りを当てにしないため、期間限定のアルバイトを始めた。何不自由なく育った私にとって初めての経験。お金を稼ぐ苦労も身にしみて分かった。あの家にずっと守られてきたのだと強く感じた。ある雨の日、私が下宿に戻ると、誰かが訪ねて来た痕跡があった。入口の前が濡れていたのだ。傘を立てかけていたのだろう。コンクリートのシミが乾いていないということは、入れ違いになった可能性が高い。よく見ると、ドアの部分にも水滴があった。すぐに帰ったようには思えない。最初は陽斗くんかなと勘違いした。というのは、ストーカー以外、他に思い当たる人物がいないから。よくよく考えてみると、彼が前触れもなしに部屋を訪ねてくるわけがない。付き合いだしてからも、待ち合わせをするのは、いつも教会か近くの公園。寮に足を踏み入れるなんて想像がつかない。用事があっても遠慮して電話すら掛けてこないシャイな男性なのだ。
じゃあ誰なのか? あと一人だけ、心当たりがあった。大学の友達は、この春から私が下宿生活を始めたことさえ知らない。陽斗くん以外に考えられるのは、住所を伝えている身内しかいない。両親が連絡もせずに来ることはあり得ない。残る選択肢は妹だけだった。
たまたますれ違った寮の住人に尋ねたところ、ドアの前で行ったり来たりする女子高生を目撃したという。間違いない、美里だ。何が目的かは知らないが、気になったので、実家に電話して探りをいれた。母親の話では、最近、美里の落ち込みようがひどいという。食も細くなり、ずいぶん痩せたらしい。表面上は明るく振る舞ってはいるものの、私がいなくなったのが相当ショックなようだ。電話を切る前に『たまには帰って相談相手になってあげて』と言われた。やはり私の親は、ちっとも事情が呑み込めていない。私が訴えた際、美里を叱ってくれてさえいれば、こんな状況にはならなかったのに。
愛情はお金では買えない。そう思ったら妹も被害者のような気がしてきた。
私と同様、美里も友達が多い方ではない。勉強が忙しいとはいえ、近いうちに必ずまた来るとふんだ。ビデオカメラを仕掛けるわけにもいかず、部屋に居る時は注意深く外の様子を確認することにした。来たときの対応は考えていない。ただ、ベルを鳴らしたらドアを開けよう。あとは出たとこ勝負だ。
予想通り、監視を強めてから三日後の夜、美里が現れた。音をたてずにスコープから覗くと、胸の前で大事そうに手紙を持っている。意味ありげに歩き回っては、ドアの前に立ち止まる。同じことを何度か繰り返すと、ベルを押すこともなく走り去っていった。広角レンズ越しだから、痩せたかどうかは確認できなかったが、覇気がなく別人のようだった。活発な印象も、私に嫌がらせをしていた意地悪な顔つきも消え失せていた。
声を掛ければよかったと後悔した。遠いところを訪ねてきては、何もせずに帰る妹が可愛そうになってくる。封筒の中身が気になる。でも、ドアを開いて招き入れる勇気は、まだない。姉として失格。私は、そこまで大きな器量を持ち合わせてはいないのだ。
でも直感した。妹の中に棲みついていた魔物は出て行った、と。
次は笑顔で出迎えよう。しかし、美里の行動はプツリと途絶えた。
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