プロローグ
思春期の子を持つ親が、自分の子に読ませたいと感じる小説です。卑猥な表現は一切なく、純愛に徹しています。どうそ、一読してください。
プロローグ
落ち合う場所は、いつも決まって神学館だった。
キャンパスの喧噪が嘘のような、二人だけの世界が広がる空間が、お気に入りとなった。しのびあう間柄ではないが、見られたくないという心情は確かにある。自然に足が向くといった表現が適切かもしれない。誰にも邪魔されることなく語り合える、小さな空き教室は、二人だけの秘密基地へと育っていた。
異彩を放つ外観は歴史を感じさせ、ミッション系大学のシンボルとなっている。銅が錆びたような薄緑に変色した最上部の円形塔には鐘があり、その上には十字架がそびえ立つ。校内の隅でひっそりとたたずむ姿は、受験案内用パンフレットの表紙を飾り、どこから見ても絵になって風格さえ漂う。三十年ほど前までは、希望した卒業生が礼拝堂で結婚式を挙げ、結ばれたばかりのカップルが永遠の愛を誓うため鐘を鳴らしたそうだ。
一歩踏み入ると、明治モダンな見た目の華やかさとは対極にあるような地味な造りが広がる。サナトリウムを思わせる冷たくて無機質な内部構造が、部外者の立ち入りを拒んでいるかのようだ。一般学生は、興味本位で中を窺うことはあっても、再び入館することはない。そう、まるで幽霊屋敷みたいな建物なのだ。でも、魅力を一度知ってしまうと、病み付きになるほどの心地良さ。そこに居るだけで幸せな気分になってしまう。
この洋館がにぎわいをみせるのは、たまに開かれる礼拝堂での集会ぐらい。一階に事務室、二階には手狭な教室が二部屋あり、講義がない午後は人の気配すらしない。太陽がまぶしく、歩いていると汗ばんでくる夏日でも、中はひんやりしている。レンガ造りの壁に寄り添うようにして立つ大樹が午前中は光を遮り、午後1時を過ぎる頃には、木漏れ日が降り注ぐ。その時を狙って僕らは教室に滑り込む。柔らかな昼下がりの印象を与えてくれるこの時間帯は、上質の安らぎをもたらす空間に変身するのだった。
いつも僕は窓に背を向けて語りかける。邪魔にならないかと心配するほどの長いまつ毛、吸い込まれそうな神秘の瞳、すらっと伸びた鼻や淡く桃色に光る唇。表現が難しいほどに美しく整った彼女の顔がクッキリ浮かび上がるような位置関係をとる。たまには黒髪が反射し天使の輪が輝く姿も捨てがたいと思ったりもするけれど、僕が逆光側の窓枠に腰掛けるのは、もう一つの理由がある。それは、彼女と対峙するとき、イマイチ自信が持てない自分の表情をごまかす手段でもあった。
新緑がまぶしいこの季節、僕にとって至福のときが訪れる。春でも夏でもなく、期間限定の贈りもの。樹木の茂みを縫うようにして、ほんの数分だけ強い光が差し込んでくる。まぶしそうにする彼女。目を背けることなく秀麗な顔を堪能できる唯一のチャンスなのだ。許す限り、じっくりと見つめていたいのに、このときにしか叶わない。なぜなら、今の僕には、吸い込まれそうな笑顔をまともに受け止める勇気がない。そして、そのたびに誓うのだ。いつかは太陽の力添えがなくても見つめ合えるようになるのだ、と。