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あれから二時間後、私は家に帰っていた。
さっきまでの『タマドル』姿ではなく、ブロンズ髪のオランダ人に戻っていた。
シエルに戻った私には、さっきまでの体の痛みはもうない。
どうやら『タマドル』限定の痛みなのだろうか。
長い髪をポニーテールにして、天井の低い廊下を歩く。
その家は、六畳一間の風呂なしアパートだ。
そこに私は一人暮らしをしていた。
この和室を、私なりに改造していたからだ。
壁一面には、アニメのポスターが並ぶ。
テーブルと、テーブルの下にはフィギュアがびっしりだ。
まさに、これが私の追い求めていた日本のオタク文化だ。
「やっぱりいいなぁ」
私はすぐに『魔法少女サトカ』の抱き枕に抱きつく。
「サトカちゃん、やっぱりかわいいっ!」
私は抱き枕の魔法少女に、顔をこすりつけた。
アニメ絵の女の子は、可愛くポーズを取っていた。
「ねえ、聞いて欲しいの。シエルは」
そして、この魔法少女サトカに語りかけるのが日課だ。
魔法少女サトカ、このアニメの日本での放送は再放送メインだ。
元々深夜放送のアニメでやっていたものだけど、私は偶然それを見て一目ぼれした。
これが、私が日本に来ている理由。
将来の夢は、もちろん日本のアニメ文化をオランダに広めることだ。
(シエルが日本のアニメ文化を、しっかり学んでオランダに持って帰るです)
私は親の知り合いがいた、采女第三高校に留学していた。
将来的には、アニメーターの学校に入学も考えていた。
「相変わらずだな、お主の魔法少女趣味は」
カードになったイースターが喋ってきた。
「シエルは魔法少女が大好きです。
魔法少女だけじゃない、ロボットものも、BLも大好きです」
「それはいいが、気になることがある」
「なんですか?」
「お主が追いかけられなかった、砂利の上を走る人物」
イースターの言葉に、私は顔を上げた。
「サトカちゃんはどう思うですか?」
「あれはきっと悪の怪人サモラ怪人よ、シエルちゃん」
「そうですか、サモラ怪人ですか。納得です」
「サモラ怪人とは何じゃ?」私の三文芝居に、ツッコミを入れるイースター。
「サモラ怪人は、魔法少女サトカの敵ですよ。
イースターは見ていないんですか、こんなに神アニメ」
「見るかっ、そんな設定ではないじゃろ」
「イースターは、怒んないでってです。でも怪人だと思いますよ」
「なら怪人だとして、お主にそんな力があるのか?」
「う」イースターに言われて、私は意表をつかれた。
「言っておくが変身しても、魔法が使えるわけじゃない。
怪力や、常人離れした運動能力が身につくわけじゃないぞ」
「シエルは運動が、得意ですよ」
「それに、黒い車のあの女」
「撫子のことですか?」
「見たところ知り合いのようだな。何かわかっているのか?」
「去年、同じクラスでした」
私は撫子とは同じクラス。席も近かったので、それなりに話もしていた。
だけど、一学期が終わる頃から彼女と話さなくなった。
もちろん、アレが起きたからだ。
思えば、あの時から私は友達を作るのをためらっているのかもしれない。
「そういえば、何か鳴っているぞ」
イースターが指摘したのは、私のスマホだ。
この着信音も、『魔法少女サトカ』のアニメの音楽だ。
私は、抱き枕をやめてそのまま制服のポケットに手を伸ばす。
そして、スマホを手にして画面を見ていた。
(メールか)
それはオランダ語で書かれていた。もちろん、これは海外のメール。
その内容を見て、私は驚いていた。
「『前回の試験結果を見た、なんだあの成績は……』だって」
一瞬にして、私の顔が引きつった。
先週行われた中間試験があった。
試験の結果は、学校側から家族に通知が毎回送られていた。
私はそこで、全体の順位の半数以下の成績になってしまった。
そのことを警告するメールが送られて、しんみりした顔になっていた。
そんな文面が並んで、私の顔がだんだんと沈んでいく。
批判的な文章が並ぶ中、最後に決定的な言葉が書かれていた。
『留学は日本を学びたい、シエルの意思を尊重したものだ。
だけど、成績が落ちるのならばオランダに帰ってきてもらうしかない。
六月終わりに、日本ではまた試験があるそうじゃないか』
その文面から私は、嫌な予感がした。
『次の期末試験で、成績半分以下になった場合は学校を退学させる』
メールを見た瞬間、私の表情は凍りついてしまった。




