4/4 放課後
「あら鯖江さんでなくて?」
帰宅途中、昼間食事をした味伝奇を過ぎたあたりで、ヴェネチアングラスを叩き割るような声が聴こえてきた。
「もしかして帰る方向一緒なのかしら?貴女も寮暮らし?一緒に帰」
鯖江は走った。セリヌンティウスを見捨て妹の結婚式に出席するメロスのように走った。走れる。おお文豪太宰治よ。借金から逃げるためにひたすら走りまくったら自分の実話を美化して後の世の国語教科書にした貴方は天才だ。今なら走れる。私は友を見捨て、走るのだ。
「生身の人間にしてはなかなかのパワーのスピードですわね。ですが所詮その程度ですわ」
「・・・んで。・・・へ、屋に。いんの、よ・・・?!!」
息を切らせ膝をつく鯖江の前に、優雅にティーセットの準備を始めているイロナがいた。
「ここ。わた、しの部屋で、しょ??!!」
「と、同時に私の部屋でもありますわ。ルームシェアというものですのね」
二人分の紅茶を入れたイロナは立ち上がって制服のリボンに手をかけた。
「とはいえ、私もこれがなければ貴女追い越す。などという芸当はできませんでしたけど」
イロナはブラウスを脱いだ。続いてスカートを外す。その下にあったのは。
「なにその変なレオタードは?」
黒のハイソックスと長手袋。は、いいとして。ゴシック調のレオタードから延びるガーターベルト状の紐のようなものはなんなのだろう。太ももと二の腕部分に同じような太さ、材質の紐が見られ、ゴシックレオタード部分と繋がっている。
「これはエグゾですわ」
「エクゾ?なにそれ」
「エクゾも知らないとは異世界で魔王を倒そうとしてドラゴンに踏みつぶされて死んだ方は違いますわね」
「悪かったわね。どうせ私の前世はヘボ勇者よ。で、なにその変な下着は?」
「正式名称Exoskeleton(戦闘用外骨格)。装着者の動きに合わせて稼働するパワーモジュールを基本とし、無線機、ボディアーマーなどの追加装備を取り付ける。現在はガイア社が世界シェア一位を占めています。全世界で四百六十七万着以上製造されているがあくまで歩兵の身体能力及び生存性向上の為の補助兵装に過ぎず、二千発以上の核ミサイルをマルチロックして同時に撃ち落とせるだとかあらゆる攻撃を防ぐバリヤーを展開することが出来るだとかそのような機能は一切持ってまったくないのですわ」
「なんでそんなもんをあんたが着てるわけ?それ戦争の道具でしょ?」
「エクゾは基本素体があくまで油圧電動式パワーモジュールが根幹ですの。例えば防弾チョッキの代わりに耐火服をつければ、消防署で使えるのではないか。そういった理由でガイア社は他国のエクゾ輸出、開発を容認する姿勢をとっていますわ。とはいえ軍用エクゾが足りないのも、そもそもエクゾ関連の基礎技術が足りないのも事実。そういったわけで日露共同でエクゾ開発が行われることになり、私も御母様の命により二十四時間エクゾを着用して生活することで研究開発のお手伝いをしている事ですのよ」
てことは学校はもちろん、食事の時も、トイレも、風呂も、寝る時もこの変な下着つけたまんまかいな。
「ていうかなんで日露開発なの?」
「企画自体はアメリカのガイア社がエクゾを市場に出した時からあったらしいですわね。間に日本の岩村重工が入っているのは世界的に有名な工作機械メーカーであるのと、両社間の橋渡し役として適任者だった、らしいですわね。ただ、アメリカ政府と相手企業側の『メンツ』を護るため、社交事例を通す議論を重ねること五年。実際に開発するのに十年。ようやく私が身に着けているような実用的なものに漕ぎ着けたということかしら」
「そんなに時間がかかるものなの?」
「御母様の若い頃、極秘に開発しては新兵器を敵国に強奪される。それを何度も何度も繰り返していた中立国があったそうですわ。奪われるくらいでしたら事前に相手方に『これこれこういうものを造りますので承認していただけますか?』と大人の外交努力を続けるべきですわ」
「へぇ、新兵器を開発するたびに敵国に強奪される国があったんだ。一体どんな国だろう?」
「そういうわけですから貴女にもご協力のほど、宜しくお願いいたしますわね?」
「協力、ってまさかそのレオタードを着ろと?」
「ええ。こちらに用意してありますわ」
ビニールにラッピングされた布地と、細長いプラスチックチューブ状の物体。そして説明書らしきものを手渡された。
「着用方法は説明書に書いてありますので参照に着てみてくださいまし」
多少の疑問点はあるものの、興味もあったのでとりあえず着てみることにした。
「エクゾ一式を受領したら更衣室で着替えます」
鯖江は窓を見た。窓には金縁がしてあって、ちょっとだけゴージャスなカーテンがかかっている。
「貴女の裸体を楽しんでいるのは私だけですわ。どうぞご遠慮なさらずに」
どうやらこの部屋を更衣室扱いしてもよさそうだ。
「えっと、まず『先端にリング状の留め具がある長い伝達ケーブルを手に取ってください。』これか」
説明書通りにリング状の留め具が先端についたケーブルというものを手に取る。
「『リングを開いて、首の部分に取り付けます。ロープ上のケーブルが必ず背中に来るようにしてください』」
指示通りにロープのようなものを背中に回し、リングを首に回して固定する。
「『ロープの途中にある左右に伸びる紐を胸の先端あたりに持っていき、仮固定します』」
指示通りに左右に伸びた紐を胸の先端辺りまで運び、仮固定とやらをする。
「『先端部分はデリケートガードになっています。ロープをお尻とお尻の間を通し、子宮の前あたりに仮固定してください。デリケートガードは女性器付近に加わる衝撃を緩和する機能があります。また、家庭用石鹸で洗浄可能な他、ロープを少しずらすだけで排泄も可能です。着用中トイレに行くような緊急時に備え、覚えておいてください。』ふむふむ」
ロープを下半身部分に装着。試しにお尻の部分の紐を引っ張ってみる。なるほど。確かにその気になればこれを着たままトイレにもいけそうだ。
もちろん行く気などないが。
「『脚部保護用サイハイソックスを着用してください。』この青い靴下ね」
ようやく衣服の番か。鯖江は太ももまで長さのある丈の靴下を履いた。
「『腕部保護用長手袋を着用してください。』はいはい」
肘の上まで届く長ぁーい手袋をはめる。
「・・・レオタードがない?」
左手でからっぽになったビニール袋と右手に説明書を持ちながら鯖江はつぶやいた。
説明書を裏返す。
レオタードを着ろとの指示がない。
「すいません。イロナさん。これレオタードが入ってないんですけど」
「ええ。それを設計したエクゾの開発者の方がこの様に考えたんですのよ。所詮エクゾなんて歩兵用の強化装備、服、いや下着だ。仮にこれを着けて戦場を歩いたとしよう。銃弾はともかく、戦車の大砲を喰らったら一発で死ぬじゃないか。じゃあ裸同然じゃないか。むしろ裸でいいよね」
イロナはひも状の動力ケーブルで、乳房の先端と股の間のみを隠した姿。靴下と手袋をしている以外はほぼ全裸の鯖江を指さした。
「それで設計したのがこれらしいですわ」
「おい」
「ですからこんなものは不要」
イロナは窓を開け、鯖江が直前まで着ていた学生服を部屋の外に放り投げる。
「うわぁああ!!なにをするのだうわあああああああああああ!!!!???」
そして服を慌てて取ろうと窓に駆け寄った鯖江の腕をイロナはぎゅわっしとつかみ、部屋の外に放り出される。
寮の外から何かが落下する激しい音がしたが、イロナは気にせずに窓を閉め、鍵をかけて再びちょっと遅めの午後の紅茶を室内で楽しむことにする事にした。
彼女が粘性の高い蜂蜜をでろ~りとたらし、ティーカップの中で溶かしていると寮の階段を駆け上がる音と、廊下を走る音と、そして部屋のドアを蹴り開ける音がした。
「何するさらすんじゃボケガァアアアアア!!!!!!」
「28秒。びっくりしましたわ。もっとお外でゆっくりなさってるかと思ってらしたのに」
「んな格好で外歩けるかっ!!!!」
鯖江は学生服を室内にばらまく。
「お外で着替えなさってからでよかったのに。全裸同然の姿でお外からこの部屋まで走ってくるなんて、貴女変態さんですの?」
「お前殴らせろ!一発殴らせろ!」
「いいですわよ」
イロナは言った。
鯖江は少し躊躇したが、いやここは殴っておくべきだろう。そう判断した。顔以外なら大丈夫だろう。
腹の中心部をめがけて拳を突き出して。
彼女に拳を握り止められた。
「う、ぎゅうっ!!?」
右手で紅茶を飲みながら、左手のみでパンチを止める。実に優雅に。そう。鯖江のパンチは彼女の御茶菓子に過ぎない。
「な、なんてばかぢからなの、っ・・・!!?」
「私の力では御座いませんわ。先ほどご説明いたしました通り、エクゾは元々個人用強化装備。伝達パワーモジュールによって腕力・脚力などを大幅に増幅させることができますの。学校からの帰り道貴女より先にこの学生寮の部屋に辿り着けたのもエクゾの補助機能のおかげ。脚力増加とジャンプ用ブースターを併用してまるでニンジャのように家々の屋根を飛びながら近道させていただきましたわ」
「私もあんたと同じそのえくぞ、ってやつを着けているはずでしょ?!!なんで一方的に力負けしてるのよっ!!?」
「伝達ケーブルから途中で切れたり、繋がっていなかったり、そもそも主電源バッテリーが空だったりすると機能しませんのよ。自動車もガソリン入れないと動かせないでしょう?」
イロナは鯖江の手を離すと、彼女の背後に回った。そしてその背中にある背骨に沿って取り付けられた伝達パワーモジュールに触る。
「後で鏡か何かで確認していただくとよいのですけど、貴女の場合はこの背骨部分にバッテリーランプがありますわ。一本20パーセント表記で五本。これが全部なくなるとエクゾは機能を完全に失いますの。今は腕にも足にも伝達ケーブルが繋がってませんから腕力も脚力の増加もなく、最低限の生命維持機能のみですわね」
「最低限の生命維持機能?」
「その新型アンダーウェアには体温調節機能がありますの。だから貴女を安心して外に放り出しましたわ。周囲の大気温度を自動調節いたしますから、周囲に天然氷、ドライアイスなどがあったら融けてしまいますわね。まぁ実験ではダミー人形に-5℃だったそうですけど」
「それってバリアーみたいなもんなの?」
「ただの体温調節機能ですわ。まさかドライアイスを弾丸にして撃ちだすような魔術師なんてこの世界にいないでしょうし。まぁいてもこのスーツには『装甲のない状態で』無意味化できますけど」
「それで鯖江さんに御相談があるのですが。御母様の御仕事の都合上、これを下着として身につけたうえで日常生活を送って下さる方を必要としているのです。もちろんお風呂に入るとき以外は普通の服を上から着用してくださって問題ありませんわ」
「私が、はいそうですか。と言うとでも?」
「榛名第三高校では毎週月曜日に昼食補助の名目で全生徒に三千円が支給されます。もちろん各自家で弁当を用意するなりすれば黒字にする事も可能ですわね」
「そんなの関係ないでしょ」
「この試験用アンダーウェアを下着として着用して上から学生服を着て生活して頂ければ、毎週三十万円の報酬が別途用意され」
鯖江は自室のフローリング床の上に膝をつき、イロナに頭を下げてこう頼み込んだ。
「ぜひこの島霧鯖江にやらせてください」
「あら素直ですこと」