良い魔術師は、死んだ魔術師だけだった
『味伝奇』の入り口の戸には『本日貸切』の張り紙がしてあった。
店主は思う。若い娘が、少し遅めの夕食を戴りに来ただけだと。
水着か下着のような強化服を来てようが、そのうち一人が白くべたつく粘着性の電動液を髪の毛から髪の毛全体に塗りつけていても何ら気にする必要はない。
入り口から三番目の席に鯖江が、五番目の席に白い粘々した何かを髪の毛にまんべんなく塗りつけたイロナ。
真ん中の席に座っている黒髪の少女は、今日初めて見る顔だ。まぁ学校の生徒なのだろう。
彼女たちの担任の教師は三万円ほどカウンターにおいていった後、
「こいつでなんでも好きなもの食わしてやってくれ。俺は警察とか、いろいろ話つけてくるわ」
そう言って出て行ってしまった。
直前までいた客が街で戦車とロボットが暴れているとか話していたから、その関係だろう。
とりあえず温うどんでも作ろうか。鍋に火をかけると、カウンター席に座っていた三人の少女のうちの一人が口を開いた。
「私の兄も、私も、抗日ドラマが好きだった」
「抗日ドラマ?」
鯖江が聞いた。
「悪の日本帝国軍と戦う人民解放軍の兵士の活躍を描く、ドラマだ。第二次大戦中日本帝国陸軍が残した飛行戦艦ミカサを使い、ユーラシア大陸侵略を目論む日本軍と戦う人民解放軍の勇士たち。兄はその姿に憧れていた。私もそうだった」
第二次大戦が起こったのは百年前だよ。と店主は言いたくなった。
「それって、もしかして軍事施設でもなんでもない、戦略的無価値な万里の長城とかの観光地を悪役が攻撃して、観光客の欧米人を意味なく殺傷して、それを正義の味方がやっつけるって内容?」
沈んでいた少女の顔が、パァと明るくなる。
「見た事あるの?」
「あ、に、似たようなものを・・・。でも車から落ちた兵士がお尻が破けたズボンで走って追いつくなんてないと思うわ」
「そうね。人民を護るために戦っているのだから立派な軍服を支給してほしいわ」
おい。主人公がケツの破けたズボンで悪人を追いかける場面があるのか。
どんなドラマだ。
「二年前の春節だった。人民ぐ・・・」
そこまで言ってから言いよどんだ。
「私と兄は、政治家の偉い人に招かれた。その人はブリタニアナイツという、海外の番組を見てた。ューヨークに上陸した魔術師が、学生の乗った作業用ロボットに敗北するシーンを見ながら彼は言った。
『お前達魔術師の軍隊を金と時間をかけて作ったのは失敗だった。人間爆弾としてせめて人民の役に立て』。
スプレー缶を、ワイングラスのように持ちながらその政治家は言った」
「マナフュルスプレー・・・」
「私と、私の兄はあくまで魔術師解放同盟の人間。そういう事になっているどこの国の兵士でもない」
「はい。うどんができましたよ。冷めないうちに食べてくれ」
ネギとかまぼこが乗った素うどんが三人の前に置かれた。
「私にさっきの男の子供を産ませるのだろう?それならもっといいものを食べさせた方がいい」
幾分なげやりな声音の彼女に、入り口の扉を開けて入ってきた男はこう答えた。
「いんや。俺は自分の教え子に手を出す趣味はないなぁ。お前たちは幸せものだぁ」
「十六才先生・・・」
店に入ってきたのは四十二歳の高校教師だった。
「オヤジ。とりあえず熱燗頼まぁ」
「へい」
「それとだ。そこの真ん中の新入生」
「えっ?」
鯖江とイロナの間に挟まれて座る少女。即ち4-XHの操縦者であり、国籍不明の魔術師解放同盟の人間は四十二歳の怪しげな男から一枚のカード状の物体を渡された。
「警察等の連中にはとりあえず話をつけておいた。周辺の道路を封鎖して、数日中にお前さんが乗ってた4-XHを固唾けることになった。スクラップとしてな。で、後でそれに榛名第三高校の学生服来て、お前の写真貼っておけ」
国籍不明の少女が受け取ったのは、榛名第三高校の学生証だ。ただし写真の部分は空白。
「お前さんの偽造身分証と戸籍を用意しておいた。4-XHに乗っていたパイロットは俺達が殺した。そういう事になっている」
「十六才先生どうして?」
十六才はベレッタを鯖江の素うどんの隣に置いた。銃の中には、一発だけ。9ミリの銃弾が装填されている。
「不満があるならそいつでその娘を撃ち殺せ」
「え、それは・・・」
「じゃあ店のオヤジ。やってくれ」
「お断りしやす」
まて。なぜそこで店のオヤジに生殺与奪件を委ねる。
「じゃあ決まりだな。今日からお前は、『紅蘭理絵子』。俺の教え子の三番目の生存者だ。以上」
鯖江とイロナの間に座る少女は、今日から日本人、紅蘭理絵子となった彼女は渡された学生証と、四十二歳の高校教師を見比べる。
「あんた、何考えているの?魔術師に寝首かかれるとか考えないの?」
「そこの店のオヤジの女房は魔術師だ。もうこの世にいないがな」
電気冷蔵庫と、電気炊飯器の間に二十代前半の若い女性の写真が飾られている。きっとこの店主がまだ若い時に亡くなられたのだろう。
「で、どうする?嫌なら今からでも」
「店主。オカズ。ご飯物」
「あいよ。理絵子ちゃん」
店のオヤジは冷蔵庫から卵と、ケチャップと、ニンジンと鶏肉を取り出した。
「トロットロッのオムライスを作ってやるからな。心が暖まるぜ」
オヤジはパラパラのケチャップライスを産み出すため、フライパンを火にかけた。
「そういえばさっきからイロナさん何食べてるの?」
素うどんに箸をつけず、黙々と口を動かし続けるイロナに、鯖江は尋ねた。
「豚足」
二皿目の豚足を平らげて彼女はそう答えた。




