4/4 午前の授業
島霧鯖江は、一度コンタクトにしようかなと友人に相談した事がある。
「ダメ。あんた眼鏡が癖になっちゃるってるから」
眼鏡がまさに顔の一部というか、眼鏡が本体というか。
眼鏡は拘束具ではなく、むしろ眼鏡を外すと女子力が下がってしまうというか。
既に眼鏡なしでは生きられない肉体になってしまっているらしい。
悔しい。でも眼鏡しちゃう。カチャカチャ。
そんな鯖江は眼鏡を一旦外し、ハンカチで埃を拭いてから、改めてかけ直し、教室に入ってきた教師を見た。
身長の高い、痩せ方。眼鏡はかけておらず、清潔感のある髪と朝ちゃんと髭をそったであろうアゴ。
昨日クリーニング店から引き取ってきたであろうスーツとネクタイ姿。
それなのにどこか関わりたくない不吉な感じのする男性だった。
彼は背を伸ばしたまま歩き、そして黒板に文字を書く。
”十六才庸平”
「じゅうろくさいようへい?」
「音読みするんじゃない。訓読みで、”トロクサイ”だ。見ての通り俺は四十二歳のオッサンだ。お前たちの教師として勉強を教えてやる。教師として敬え。さて、さっそくだが最初の授業だ。そこの音読み眼鏡」
十六才庸平という名の、四十二歳の教師は、鯖江を指さした。
「え?私?」
「この教室の中で眼鏡女は貴様だけだ。よく似合っているぞその眼鏡。貴様は一生眼鏡でいろ。これは単なるアドヴァイスだから金は払わんでいい。もちろん貴様は軍人じゃないから俺の命令を聞く必要もない。ただ、なんとなく。あくまでなぁんとなあくだが。これはあくまでも俺の直観だが。貴様は一生眼鏡女でいた方が絶対に幸せになれるはずだ」
教室内で他の生徒がくすくす笑う声がした。鯖江は顔を真っ赤にする。
「お前たちは不幸か幸せか?簡単な二択問題だ。答えろ」
鯖江は四十二歳の十六才というパッと見はありがちではあるがよくよく考えると奇抜な名前の担任教師のその質問に、
「たぶん、幸せなんじゃないでしょうか?」
と回答した。
「正解だぁ音読み眼鏡」
「あの私に変なあだ名をつけ」
「いいか。お前たちはビックリするほど幸せだぁ。魔術師共との戦争はお前らが小学生くらいの頃終わった第二次魔力解体戦争が人類優勢で停戦合意したおかげで日本は平和そのものだなぁ。もっとも、ユーラシア大陸、南北アメリカ大陸、アフリカ大陸では魔術師共による自爆テロが耐えない。奴らは存在そのものが人間爆弾だからだ。怖いなぁ嫌だなぁ。そんなわけで日本政府はお前たちに魔術師殺しの方法を義務教育の延長として教えてくれることになっている。有り難いよろこべぇ」
「あの十六才先生」
「なんだ音読み眼鏡」
「私は兵隊になるつもりはありません。だから人殺しの方法を教えてもらっても無意味です」
「知ってるぞ。この榛名第三高校を卒業しても世界統一政府軍に入る必要はない。よかったなぁお前は本当に幸せ者だぁ」
「だったら」
「教室の外を見てみろ」
鯖江は首を動かし、ガラス窓越しに外を、学校のグラウンドを見てみた。
そこにはオレンジ色に塗装された二本足で歩くショベルカーのような機械があった。
「・・・あれって」
「ST-3テコドント。魔力解体戦争の最初期にヨーロッパでソロモン七拾七柱を名乗る魔法貴族の集中蜂起があってな。まぁ奴らも人間なんだから戦力の集中投機くらいは考えるだろうな。欧州各国の軍隊は次々と壊滅し、主要都市が次々と陥落していった。当然イギリス軍も壊滅したんだが、オックスフォードの工業高校の生徒がバーミンガム港から脱出する際、破壊された正規軍の戦闘車両から武装を引きはがして作業用重機にくっつけたもんで魔術師共と一戦やらかして無事アメリカまで逃げ延びてな。で、アメリカで八千百機ほど生産してマナフェル粒子と共に欧州奪還作戦に投入したのがあれだ」
『よーしぶっつけ本番だ。並べられたコーンの間を真っ直ぐに歩けー。ゴールまで着いたら次の奴と交代だー』
グラウンドではメガホンを持った教師の指示の下、生徒がテコドントを動かしている。少し離れた場所には順番待ちの生徒が塊を作っている。二、三十人はいるだろうか。
「ほら。衛星放送で海外ドラマやってただろ。あのムッチャクチャな内容の奴」
「いえ。知りません」
よくわからなかったので、鯖江は素直にそう答えた。
「それって『ブリタニアナイツ』ですか?」
別の生徒が答えた。
「あーそうそう。それだ。なんつーか。学生部隊が世界統一政府軍に編入されたこと事態は史実通りらしいんだが、それ以外に出鱈目な描写が多くてな」
「十六才先生。具体的にはどう出鱈目なんですか?」
さらに違う生徒が尋ねる。
「なんかさぁ。襲ってきた魔術師と水中で戦う話あったんだが」
「あれのどこがおかしいんですか?」
「ST-3ってようは二本足で歩くブルドーザーに過ぎないからな。そんなもんが海の中で泳げるわけないだろ?」
「え?でもドラマでは戦ってますよ。大きな剣持って」
「それ。ウォーターアイランド監督のアイデアらしいですわね。実際は空を飛んでくる魔術師相手にひたすら対空砲火していただけらしいですが」
「え?そうなんですか?」
「でも演出の都合で水中で戦わせたそうですね」
「そうなんですかぁ」
「海と、欧州奪還作戦は史実通りとして。なんで6シーズン目で宇宙で戦っているんだ?なんで月の裏側に魔術師共の基地があって、月面で戦っているんだ?ST-3。いや。現行機種の4-Xシリーズだって大気圏外仕様は想定してねぇぞ?」
「それはスポンサーからの指示だそうですね。主人公達を宇宙で戦わせてほしいと、玩具メーカーから要望されたそうです。父の友人から聞いた話なのでほぼ間違いないかと」
「スポンサーからの要望で公共の電波で流す史実を捻じ曲げていいのか?」
だが教室内の女子生徒達は十六才というの名の、四十二歳のロートル教師に同意する気配はない。
「娯楽作品ですし玩具もゲームも売れたからいいんじゃないですか?」
「そうですよ。私お兄ちゃんの持っていたロボット借りてお人形さん遊びよくしてましたけど全部の手足が動くんですごく重宝しました」
「なんつーか。がっかりするような意見が多いなぁ。まぁ日本は民主主義国家だからな。俺とは違う意見があるのは当然だ。そうでなくちゃ困る。うんうん」
「あの先生」
鯖江は手を上げて質問した。
「なんだ音読み眼鏡」
「私と、あのロボットと。何か関係あるんでしょうか?あれに乗って、人殺しをしろと先生は言うんでしょうか?」
「言わない。お前は幸せものだぁ。お前。日本が今、徴兵制か志願制か。どっちの国か答えてみろ。簡単な二択だ」
「えっと。志願制?」
「そうだ。嫌なら戦争に行かなくていい。お前たちは本当に幸せ者だなぁ。じゃあなんで徴兵制じゃなくて志願制なのか理由はわかるか?」
「えっと。わかりません」
「そうかぁ。わからないかぁ。だが安心しろ。お前ら生徒で、俺は教師で、ここは学校なんだ。お前らがケツの拭き方がわからないと言えばちゃんと教えてやるし、赤ん坊がどこから来るのかわからないと言えばちゃんと教えてやる。俺は先生だからな」
「セクハラしないでください」
「俺が不幸だった頃の話をしてやろう。あのクソクソ忌々しい魔法使いどもは赤ん坊の造り方を教えてやると言って俺の姉をレイプして、見ることは勉強だとほざいて俺をぶん殴った後授業料だと言って財布を奪っていった。姉?連中に連れ去れたまま行方不明だ。よかったなぁ。この国は警察と世界統一政府軍旗下日本自衛隊がお前らを守ってくれる。レイプされることもぶん殴られて金を盗られる事もない。どうしてお前らがこんなにも幸せだか、一度でも考えた事があるのか?」
「・・・ありません」
「じゃあその理由を説明してやる。忌々しい魔法使いどもと俺達人類は休戦状態だ。ただの休戦じゃない。3:7で、『俺達人類が優勢』で、自然休戦状態。これがポイントだ。テストにでるぞ。覚えておけ」
十六才は黒板に『3:7』という数字を書いた。
「なぜ3:7という微妙な数字かと言えば各国に魔術師共生派、いわゆる人権団体様がいて、魔術師連中の保護活動を行っているからで、また世界統一政府軍は『全魔術師の根絶』という目標を掲げて設立されているものの、各国の政府・軍が陰で協力的な魔術師達を秘匿利用している事は暗黙の事実だ。故に3:7という微妙な数字に落ち着いているわけだ。で、今世界は魔術師共との休戦、つまり大規模な戦争は起こってはいないが、断続的に地方によっては小規模な紛争や、魔術師共によるテロ行為が頻発している。にも関わらずお前らは徴兵制ではない。元々最初に魔力解体戦争が始まった際、日本政府が魔術師共との戦争で兵隊が足りなくなるのではないか。そう危惧して学徒強制召集令という法案を国会に提出し、高校での軍事訓練が義務化された。が、蓋を開けてみればどうだ?第一次第二次とも人類側の圧勝人間様万々歳で自然休戦ときたもんだ。よって強制召集令、即ち徴兵制度はゴミ箱ぽいとなったわけだ。よかったなぁお前ら」
話が長いので、居眠りをしている生徒もいた。だが、十六歳という名の四十二歳のオジン教師は眉をつりあげることすらしない。自分の言葉に価値などないと理解しているのだろう。
「すいません。徴兵制度が廃止されたのならなんで私たちが人殺しの訓練なんかするんですか?」
「文科省が言い出したんだ。『日本人の平均体力を向上させたいので体育カリキュラムを増加させてほしい』。よって兵科訓練という名のマラソン大会はそのままだぁ。よかったなぁお前ら。健康になれるぞぉ」