第四話.地獄の幕開け
「『全能強化』だ」
すでに杉山は素早さに補正をかけ、トロールのもとへと向かっていた。
とびかかっていく杉山に対して、トロールは持っていた棍棒を振るう。
「きかねーよ。『全能強化』!」
その瞬間、杉山は自身の防御に補正をかける。次の瞬間、棍棒が杉山の腕に炸裂する。メギョッという聞いたことがない音が、はるか後方にいる拓哉たちにも伝わる。そして……。
どさりと何かが落ちてきた。
「……」
いや、飛んできた。数十メートル先から。地面をこすりつけるように向かってきた、それ。杉山……。その……。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」
抉れた上半身だけっ!
悲鳴と混乱に支配されていた。
それも当然だった。杉山の防御力は522。おそらくあの瞬間、『全能強化』を防御に行ったはずだから、実数値は5220。それを持って、一撃で死んだのだ。つまり。
ここにいる全員一撃で死ぬ。
「み、御木本君! さ、さっきみたいに、倒してよ、あいつを!!」
「……っ!」
茜の言葉に対して御木本はさっと首をそむける。
「無理だよ、茜! 奴はさっきのやつとはレベルが違う。あのモンスターはオスとメスがいるらしく、オスはメスに比べて強いんだっ! あんなのには勝てない。奴の攻撃力を参考までに教えてやろうか」
「や、やめろ、赤神君」
無意味な混乱を呼ぶと知ってだろうか。だが、とまらない。
「9891……だっ!」
「やめろっ!」
「杉山の防御力は522。それも補正で10倍になっていた。つまり、5220。最低ラインさ。やつらの攻撃を一回耐えるにはそれ以上の防御力がいるんだ!」
「やめろと言っているんだ、赤神君っ! それより広域検索を常に使え! 逃げるぞ。それしかない」
「言われなくてもオート機能だよ。後ろ百メートルに敵はい……な」
いや、現れる。
「うそだろ……」
「……敵がいるということだけは君の表情で分かった。後ろに敵か……」
「ああ、五体だ」
「――ッ!」
御木本の表情が狂気にひきつる。
「くそっ。なら前方を突破したほうがいいな。一体だ」
「御木本君、つまりそれって」
茜が心配そうに言う。
「みんな、聞いてくれっ! 杉山くんが死んだ。これは夢でもうそでもない。明確な、事実だ! 我々ではあのモンスターに勝てない。少なくても今は一時引くしかない!」
「……に、逃げるしか」
あわてたように何人かが後退を始めようとする。
「とまれっ! 後ろには敵がすでに五体! つまり、あの前方の敵の前を通らなければならない。通路の幅は約5メートルだ。奴も一撃でそれだけの範囲を攻撃することなどできないはず!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、御木本」
「全員一斉に走るっ! 生き残った者は何とか体制を建て直し、力を合わせて生き残る道を探してくれ。以上っ!」
「御木本ぉおおおおおおおおおおおおっ!」
混乱するように飛び出た坂上は御木本の胸ぐらをつかむ。
「それしかない。全員で生き残れる可能性もゼロじゃない。ゼロじゃ……」
「だけど……。そんな」
坂上はちらりと地面に転がっているそれ、を見る。
「く。わかった……。おれのスキルは『範囲速化』だ。自分より半径5メートル以内に存在するすべての生物を対象にSPを10倍に補正する。一丸となって駆け抜けよう」
坂上の固有スキル。範囲5メートル以内にいる生命体の素早さを10倍に補正する。
「みんな。おれの半径5メートルにいれば素早さが10倍になるっ!」
「10倍……なら。一応あいつの素早さを俺たちが超える計算になる。回避は不可能じゃない」
「わかった。それで行こう! 一気に駆け抜けるぞ」
「それしかない! みんな! 坂上君を中心に集まるんだ」
あとは一か八かだっ!
「行くぞっ! 『範囲速化』」
坂上はスキルを発動させる。5メートル以内にいるすべての生物の素早さを10倍に補正する。
そのまま、走り抜ける。
通常の素早さでもオリンピックも真っ青な素早さがあったがその十倍となるとかなりのものだった。あまりの速さに体がついていかない。だが、このスピードならば、おそらくやり過ごせるか?
「素早さが遅いものに合わせて一丸になるんだっ! 全員で生き残るぞ!」
坂上がちらっと拓哉のほうを見てそういう。
「っ……」
たしかに拓哉の素早さは151。坂上の素早さは400を超えるのだ。単純に一緒に全力で走ったのではおいて行かれてしまう。
ちなみにクラスで一番素早さが遅いものも149で、拓哉と大差はない。つまり拓哉に合わせるように走れば全員がこぼれることなく、範囲速化の効果範囲内にあるまま敵を突破できるということだ。
そして敵まであと十メートル。このまま突き抜ける。何人かはやられるかもしれない。しかし、行くしか……。
「やったっ!」
先頭にいる御木本が歓喜の声を上げる。振り返る。すでに敵は後方にあった。抜けたのだ。一人の犠牲者も出さず。
いや……。
「おかしい。今の敵あきらかに、わざと通した?」
そうだ。いくら素早さが倍加しているとはいえ、それほど広くないこの通路なのだ。一度くらいの攻撃はできたはず。そしてそうなれば数人は死んでいただろう。それが、なかった。
なぜか?
「みんなっ! とまれ!」
拓哉は怒鳴り声を上げる。その先である。
その先。拓哉の索敵範囲の、もっとも奥。
うごめいていた。
その瞬間、拓哉の足が一瞬とまる。
「あ……。拓哉くんが」
「っ。今とまるわけにはいかない。走れっ!」
違う。
一瞬の逡巡ですでに一団からは五メートル以上離れる。つまり、範囲外へと出る。そうするといくら走り出してももう、差は開いていく一方だ。
「とまれぇええええええええええええええええええええっ!」
拓哉は力いっぱい叫ぶ。その先。
三十体近い化け物が、その先に反応していた。もう、声も、届かない、か……。