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交渉

 佐藤の昏い目。大東さんの昏い目と似ている。

 六年も一緒に働いていたのに、俺は大東さんの秘密を打ち明けられることはなかった。それが、俺の心に棘のように刺さっている。

 俺が、この不遜で奇妙な男を知りたいと思ってしまうのは、『佐藤』という代替で大東さんの件で出来た傷を埋めようとしているからなのかもしれない。

 ハメられたにしても、佐藤を手伝ったことは別にいい。どうせ、抜け殻のように生きている俺だ。誰かの役に立てればそれで構わない。ただ、騙されたり、裏切られたり、そういった事が俺は気に入らないのだ。

 俺たちを乗せて地下鉄が走る。正面の窓には、疲れ果てた顔をした俺と、上を向いて喉仏を見せている佐藤とが並んで映っていた。

 「お前は、なぜ、毒蛇の巣に手を突っ込むような真似をしているんだ?」

 俺は、隣ではなく、窓に映る佐藤にそう話しかけた。一度だけ、佐藤の喉仏が上下する。

 「私は、ジャーナリストだよ。くんくんと嗅ぎまわるのが仕事さ」

 佐藤が言った言葉の中で「ジャーナリスト」という単語に、侮蔑の響きがあった。この男はジャーナリストを名乗りながら、その職業を軽蔑しているように俺には聞こえた。

 「ただの『強請屋』かと思ったぜ」

 俺がそういうと、佐藤はまたカエルじみた笑いをもらした。

 「情報を銭に変えるのをジャーナリストと定義するなら、私は紛れもなくジャーナリストの端くれだよ」

 多摩の田舎から、千葉までを貫くように走っている路線は、23区内のうちの殆どが地下を走っている。荒川を超える際に2駅分だけ地上に出るのだが、千葉県と東京都の境にある終点までは、また地下に潜る。

 俺はその終点の駅から徒歩で20分という場所に住んでいるのだが、佐藤はその3つ手前で降りた。そしてホームに佇み、左右に視線を走らせる。

 「今回は、尾行なしみたいだな」

 この駅では、俺と佐藤しか降りなかった。佐藤はさっさと反対側のホームに移り、反対車線の電車に乗ってわざわざ1駅戻った。その駅は、中川と江戸川の合流点の近くにあり、中川にかかる橋の上からは、屋形船などが係留されているのを見ることが出来た。

 俺は、何度もこの駅を通ったが、実際に降りたのは初めてだと気が付いた。駅前は小さなロータリーになっていて、佐藤はそこにある銀行のATMで現金を下ろしていた。金額は50万円。無造作にそれを備え付けの封筒に入れ、俺に渡す。

 「なんだ?これは?」

 佐藤は、俺にそれを無理やり持たせ、

 「これは、君が私を助けてくれたおかげで奴らから更に引き出せた分だよ。約束通り、君に進呈する」

 と言った。つまり、目の前にいる貧相で蓬髪を風に踊らせている変人は、100万円もの大金を、あの『企業舎弟』とやらから毟り取ったというわけか。

 「こんな大金、うけとれねぇよ。返すぜ」

 佐藤に封筒を突き返す。佐藤は困ったような顔をしていた。この男と知り合って、まだ半日しか経っていないが、初めて素の感情を出した表情を見た気がした。

 「では、助けてもらった礼金と、迷惑料ということでどうだろうか?」

 佐藤が妥協案を出す。金を突っ返されるという事態は想像していなかったらしく、困惑したオールドイングリッシュシープドックに見えて、俺は笑いたくなってしまった。

 思えば、俺が笑いたくなったなんて、大東さんが消えてしまいバッド・カンパニーに勤務するようになって以来初めてのことだ。

 「この金で1ヶ月、用心棒として雇われてやってもいい。ただし、今日みたいな騙しはなしだ。それでいいか?」

 なぜ、俺がこの男に関わることにしたのか、決定的なものは分からない。

だが、夜の間中ずっとクズやバカ相手に暴力の気配を巻き散らかして威圧する仕事よりはマシだと思っていた。

 「用心棒か……なるほど、用心棒ね。君は私に『荒事』に関する技術を売る。そういうことだね?」

 友情とか、義理とか、人情とか、そういったものなら、俺は信じない。多分、佐藤も信じないだろう。ただし、技術を提供してその対価を受け取るというシンプルな仕組みなら俺にも佐藤にも理解出来るし信用も出来る。

 「よかろう。取り分は7対3でいこう」

 佐藤が宣言する。俺は首を振った。技術を切り売りするなら、安売りはしない。慈善事業ではないのだから。

 「いや、5対5だな」

 最初は吹っかける。これが交渉の基本で、特にアジアで民芸品を仕入れる際に必要なテクニックだと大東さんは言っていた。

 「では、間をとって6対4ではどうだね」

 こうして、相手から妥協を引き出せたら、そこで手を打つ。

 「OKそれでいこう」

 佐藤が握手を求めてくる。俺は、今度は握手を拒まなかった。


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