暗中
「まさか、ここで暴れる気ではなかろうね? ここは、君らの上位団体さんのお気に入りの店だよ。何かあったら、大変だと思わないかね」
リーダー格の男の目線が泳ぐ。佐藤が場違いな高級中華料理店を選んだのは、ここが安全地帯だと知っていたから。そして、この男は、物騒な連中とトラブル発生中ということも理解した。
そして、俺がそれにきっちり巻き込まれてしまっている事も理解できた。
「わざわざ、君たちの目の届く場所に戻ってきたのは、再度交渉をするためだよ。だから、坐りたまえよ」
渋々といった風情で、4人の物騒な連中が佐藤の言葉に従う。視線で射抜くほどに恐ろしい目つきで佐藤は睨まれているが、気にする様子はない。たいした度胸だった。
次々と料理が運ばれてくる。2人で食べるのは、量が多すぎると思っていたが、こうなることを、佐藤は予想していやがったのではないかと、今にして思う。個室にこだわったのも同じ理由だろう。
佐藤は、4人に頓着なく料理に手を付ける。ひょろひょろした体格のくせに、かなりの健啖家だ。俺は、茶が気に入っていた。それを飲みながら、たまに料理をつまんでいた。
リーダー格の男は、ため息をついて箸を手に取る。それを見て、3人の物騒な男たちは、まるで毒気を抜かれたかのように、食事を始めた。
その場を支配する、そんな不思議な雰囲気が佐藤にはあり、俺はそれに飲まれて家に入れてしまったのだ。店も、物騒な男のリーダー格も、例外ではない。
ここまで状況が酷いと、これからどうなるのか、俺は心理劇を楽しむ観客の気分だった。
「2人、私の後をつけてきた者がいましてね。その連中に私は暴行を受けました。ほら、みてくださいよ」
佐藤は、袖をめくって、痣になった二の腕を見せる。
「うちとは、関係ないぜ」
箸をテーブルの上に投げ捨て、リーダー格の男が凄む。普通なら、相手はここで怯む。こいつら4人は本職のヤクザだ。脅して怯ませるのが仕事。なかなか堂に入っていると、俺は感心した。
佐藤は、ナプキンでお上品に口を拭い、それを丸めてテーブルに載せる。落ち着いた動作だ。全く怯んでいない。相手は勝手が違ってやりにくいだろうなと思う。
「あなたたちのところの『社員』……たしか、『社員』って呼ぶんですよね? 木下君と金山君。調べた方がいいですよ。木下君は鼻を怪我しているはず。金山君は腹痛かな?とにかく、具合が悪いと思いますよ」
リーダー格の男に目配せされて、4人のうちの1人が携帯電話をポケットから出しながら個室を出る。佐藤は、椅子の背に寄り掛かるようにして食事の余韻を楽しんでいる様に見えた。佐藤のこの態度がもしも演技なら、中々の役者と言えるだろう。
硬い表情で個室に戻ってきた男が、リーダー格の男に耳打ちする。リーダー格の男は苦虫を噛み潰したような顔になった。佐藤の口角が上がる。無力な獲物を前にした獰猛な猫を思わせる嫌な笑みだった。
「では、ビジネスの話。私の原稿の買い取り価格が上がります。提示価格の2倍ってとこですかね」
リーダー格の男のこめかみに青筋が立つ。ヤクザの本性丸出しの顔だった。それでも、佐藤は平気で、食後のお茶を啜っていた。
「ふざけるな」
凄みを効かした声で、むしろ静かにリーダー格の男が言う。佐藤はため息をついて、手にした碗を置いた。
「ふざけるなんて、とんでもない。こっちは大真面目ですよ。一度手打ちにしたのを、反故にしたのはそっちじゃないですか。契約は破棄。新たに契約を結ぶ場合は、罰金上乗せが常道でしょう」
視線だけで相手を殺せそうなリーダー格を平然と見返して、佐藤が言い放つ。剣呑な雰囲気が個室に充満していた。荒事になりそうな気配だ。
俺は、音を立てずに椅子を引き、手の中に金属製の箸置きを握り込む。いきなりチャカをぶっ放すなんてことは無いと思うが、ドスくらいは抜くかもしれない。その対処だった。
物騒な場所で用心棒なんかをやっていると、危険に関して敏感になる。俺の中の「危険レーダー」ともいうべき直感は、警報を発していた。
掌の中に何か物を握っていると、パンチの「重さ」が大きく違ってくる。俺はそれを経験上知っていたのだ。
リーダー格の男は、とぼけた顔のまま臨戦態勢を整えた俺を横目で見た。彼の内心の葛藤が俺には分かった。佐藤一人なら事を荒立てず静かに暴力を行使することが出来る。しかし、「不確定要素」である俺がいた。
俺が荒事に慣れしていることも見抜いただろう。
佐藤は、俺を彼らに紹介しなかった。もちろん、わざとだ。「誰だこいつは」と相手に思わせ、疑心暗鬼にさせるのが目的なのだから。リーダー格の男は色々と可能性を考えたはずだ。
『佐藤の知り合いの警察官?』
『佐藤がケツモチを依頼した対立組織の人物?』
『暴行の証拠を押さえるための興信所員?』
そんな想像をしていたかもしれない。ここは、上位団体の幹部のひいきの店というのも、直接的な暴力行使を躊躇させる要因の一つだろう。
ちょっと脅してやれ。そんな命令を出したのはいいが、襲撃が失敗し即日反撃されるとは、想像していなかったというのもあるだろう。
細かい経緯は俺にはわからないが、佐藤はこのヤクザを強請っている。そして、支払わざるを得ない状況に追い込んでいるのだ。まさか、ヤクザが「脅迫されました」と、警察に駆け込むわけはない。従って刑事事件になる可能性は低いが、危険な橋を渡っている事には違いない。
「わかった。そっちの言い値でいい」
リーダー格の男は、苦渋の決断をした。リスクの大きさと金銭的な損失を秤にかけた結果、下した結論だろう。がっくりと肩が落ちていた。
佐藤の顔が笑みに崩れる。だが、その目は笑っておらず、あの昏い光が揺らめいているように俺には見えた。
実に嫌な笑顔だ。
「今日中に、この口座に振り込んでください。振り込みが確認されましたら、領収書と誓約書をお送りします。あ、ここの支払いもお願いしますね。では、ごきげんよう」
佐藤は、メモをリーダー格の前に置きながら一気にそう捲し立てて、店を出てゆく。俺はそれに続いた。気が付いたら、4人の登場から我々の退場まで、俺は一言もしゃべっていない。「疑心暗鬼を招く」という意味なら、結果的にそれでよかったのだが。
移動は地下鉄を使った。通勤・通学の時間ではないので、車内は空いている。佐藤は車内のシートに座って足を投げ出すと、天井を向いてけくけくと、カエルじみた声で笑った。
「想像以上に上手くいった。君のおかげだよ」
佐藤はそういって、俺に握手を求めてきた。
俺は、それを無視した。
佐藤は差し出したてをしばらく宙に彷徨わせていたが、やがて引っ込める。
「あいつらは『企業舎弟』というやつさ。ヤクザの資金源になっている表向き堅気の企業の事だよ。私が交渉していた男……叶って名前の男だけど、彼の会社のシノギは『人材派遣業』と『ゲームセンター』。裏でやっているのは『売春』と『違法カジノ』だな。金と女。わかりやすいだろ?」
佐藤はそう言って、またけくけくと笑った。俺はそんな話を聞いても、少しも面白くない。まともな相手じゃないとは思っていたけれど、叶という男は想像よりだいぶヤバめの相手だったことが気に入らなかった。
それに、説明なく巻き込みやがった佐藤にムカついていたというのもある。
佐藤は、俺のそういった気分を敏感に察したのか、居住まいを正して俺に頭を下げた。
「申し訳ない。事前に話したら、君が協力してくれないと思って、騙してしまった。叶から分捕った金は2倍になったので、半分を進呈する。それで許してくれまいか」
稼ぎの半分を差し出すとはずいぶん剛毅だ。叶を相手にずいぶん意地汚いように見えたのは、相手を油断させる演技なのかもしれない。弱点が見える者は侮られる。相手が侮ってくれば、隙も生まれるのが道理だ。
俺から見ると、今の佐藤から金銭に対する執着は見られない。俺も、金銭について淡泊なのでよくわかる。ではなぜ、ああいった手合いから銭をむしり取ることに、佐藤という男は情熱を傾けるのか、俺の好奇心はそこにある。




