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薄明

 サチ姉との会話の数日後、俺は面接を受けた。

 面接の場所は、繁華街の中にある喫茶店だった。眠そうな顔の男が俺を面接したのだが、こいつが俺の雇い主になる国分っていう名の男だ。

 国分は、時代遅れのロックンローラーみたいに、テカテカに整髪料で固めたオールバックの髪型をしていて、病気かと思うほど肌色が青白男だった。

 夜の店で働いているので、昼夜逆転した生活をしている関係で、十年近く日焼けをしていないそうだ。

 「面接と言っても、形式だからさ。まぁ、ちょっと雑談しとこか」

 欠伸を噛み殺したような声が、国分の第一声。そして身振りで、向かいの席に座るよう促してきた。

 俺は、普段着でいいと言われていたのでジーンズに生成りの白いTシャツ、それに革のブルゾンをひっかけた格好。

 国分は、だらしなく着崩したしゃれたスーツ姿。昼間の喫茶店では、どちらかというと国分の方が「浮いた」格好だったけど、彼は全く気にしていないようだった。

 「サツカン殴ったって?」

 ずずずっとストローでアイスティを飲みながら、戸惑い気味に国分の向かいに座った俺に言う。顔は笑っているが、目は笑っていない。俺を値踏みするような目つきが、どうも居心地が悪かった。

 「ええ、まぁ、そうス」

 彼の言う『サツカン』の意味が分からなかったけれど、多分『警察官』のことだろうなと見当をつけ、もごもごと俺が答えた。

 頼んでもいないのに、アイスティが俺の前に運ばれてくる。どうぞという身振りを国分がしたので、俺はいつもの様に直接グラスに口をつけてゴクリと冷たい紅茶を飲んだ。カラカラに喉が乾いていたので、それはいつもより美味に感じていた。

 「アイスコーヒーなんて、飲む奴の気がしれねぇ。俺は、ホットコーヒーしか認めない」

 そんな事を言いながら、まだ国分が俺を観察しているのを感じて、俺はこみ上げてくる不快感と戦っていた。

 「ところで、なんでストロー使わないの?」

 国分が言う。いつもそうしているから……が、答えだけど、彼が求めているのはそういうことではないなぁと思い、俺はちょっと考え

 「ストローで飲むのが面倒くさいからっスかね」

 正確には覚えていないが、俺はそんなことを答えたはずだ。

 「なるほどね」

 この一連の短いやりとりで、彼に何が分かったのか今でも謎だけど、俺は彼の店に就職が決まった。間抜けなことに、俺は『飲食店』とだけ聞かされていて、この時点では彼の店の具体的な内容を理解していなかった。

 「明日、夕方6時にここ来て」

 国分は俺に名刺のような物を差し出した。バッド・カンパニーというロゴと所在地、電話番号が書かれていた。

 こうして、俺はその界隈では有名な店に就職したのだった。


 俺は時間通りに指定された場所に出かけた。場所柄、外国人も多く、おしゃれな繁華街の中にその店はあった。筋骨たくましい男がその店の入り口を衛兵よろしく守っていて、俺はそこに入ろうとしてその男に止められてしまった。

 男は、カーゴパンツと、アーミージャケットという俺の格好を見て、薄笑いを浮かべ、

 「すいませんお客さん、今日は貸切でして」

 などとほざきやがった。夜なのにサングラスをかけ、真っ黒なスーツなんぞを着やがって、気に入らない野郎だと思ったが、一時間もしないうちに俺も同じ格好をさせられるとは、その時思ってもいなかったのだが……。

 つまり俺は、いわゆる酒場の用心棒として雇われたのだった。大東さんが俺を置き去りにしてどこかに逃亡し、残された俺は公安に尋問され、茫然としたまま気が付いたら、黒いスーツを着てサングラスをかけて、繁華街にある店の入り口に立っていたというわけだ。

 給料はよかった。だが、俺の前任者が、アレな薬でアレになった男にメッタ刺しにされてリタイヤしちまったことを考えれば、危険手当としては当然だろう。

 そして俺は、店長の国分と同じく昼夜逆転の生活を送ることとなった。

 明け方の住宅地で煮詰まったおでんの汁と萎びたはんぺんとガンモドキなんかを持って歩くことになる。

 「何をやっているんだろ、俺」

 自嘲の呟きが、めっきり寒くなってきた明け方の空に消えてゆく。

 手に持ったおでんが急に重くなったように感じて、俺は公園のゴミ箱にそれを投げ捨てた。

 そして、ベンチに座って頭を抱える。一晩中、騒音と溢れる光の洪水にまみれて、頭痛がしていたのだった。ここ数ヶ月、いつも耳の奥に蜂の羽音のような残響があるような気がして、眠いのに眠れない日が続いていた。

 だから疲れがとれず、疲労感がべっとりと背中に張り付いている感じがする。伸びをすると背骨がバキバキと鳴った。

 俺の不眠にはサイクルがあって、4・5日眠れない日が続くとその翌日に、目覚まし時計が鳴っても覚醒しないような長くて深い眠りが襲ってくる。十時間くらいは夢さえ見ずにひたすら眠る。

 さすがに、この「寝溜め」とも言うべき睡眠のあとは、背中に張り付いた疲労感もすっきりと剥がれ落ちるので、すこし楽しみではある。今日あたりその睡眠が襲ってくるはずなのだ。

 その予兆はあった。俺は、始発電車のガラ空きのシートに座って帰ってくるのだが、カクンと寝落ちしてしまうような瞬間があったのだ。

 公園のベンチに背を預けて空を見上げる。まだ、夜空と見まごう空だが、すこしの明るさを感じる。

 朝と夜の境目に俺は居て、睡魔の襲来を待っていた。

 その時、複数の人間がばたばたと走る音で、俺はとろりとした睡魔の誘惑から瞬時に現実に引き戻された。

 怒号があがる。

 肉を打つ拳の音も聞こえた。

 押し殺した悲鳴も俺に耳に届く。

 これは、闘争の気配。俺はそこに身を置いていたことがあるので、その気配は古い馴染みのようなものだ。

 思わず舌打ちをする。こんな公園のベンチで座っていないで、黴臭く殺風景な俺の部屋に帰ってしまえばよかった。


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