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逃亡

 所長にお礼を言い、大阪医療刑務所を後にする。広報課長のお見送り付だった。佐藤は適当な名前の雑誌を言って、そこに掲載されるはずだと言っていたが、この記事は書かれもしないので、当然ながら掲載もない。

 「新井と会った時、俺はあんたに詐欺師と言ったけど、もう一つ付け加えるぜ。新興宗教屋だよ」

 さすがに疲れたのか、佐藤が伸びをする。

 そしてつまらなそうに、つぶやいた。

 「詐欺師と宗教屋だって? 同じ穴の貉だよ」

 堺市駅に向って歩く。佐藤は、歩きながら周囲を落ち着きなく見回していたが、白いミニバンをみつけて、そっちに近づいてゆく。

 運転席にいる男に見覚えがあった。あの柔道野郎だ。

 「中之島まで」

 そういって、佐藤はバンのドアを開けて乗り込む。俺も後に続いた。

 「おいおいおい、こいつはタクシーじゃないんだぜ」

 柔道男が言う。そういえば、こいつの声は初めて聴いた。潰れて不愉快な声だ。氏家のヤニに潰れた声を俺は思い出した。

 「経過報告と移動が同時に出来るなんて合理的だろ?」

 そういって、けくけくと佐藤が笑う。柔道男は鼻白んだ表情になって。乱暴に車を出した。むかついたか?ざまぁみろ。

 柔道男に、佐藤は順を追って話し始めた。沖縄と聞いた時には小さく舌打ちをしたが、概ね口は挟まなかった。

 スタンガン男は関西弁だった。この柔道も、隠してはいるがイントネーションに関西の響きがある。つまり、この荒事師とやらは、関西がホームグランドなのだ。

 殺人などという特殊な事案は殊更、勝手の知れた場所で仕事をしたいと思うはずだ。

 「逃亡者は、北海道と沖縄を選ぶことが多いよ。次いで離島だな。木村は逃亡者のようなものなのだから、いかにも逃亡者が選ぶような場所を提示してやらないと、安心して巣穴から出てこないからね」

 佐藤が逃亡先として、沖縄を提示したのには、理由があったのだ。

 離れた場所というなら、北海道でもよかったのだろうが、雪深い今の時期は、車椅子では辛い。それに、体中に残る骨折の痕が寒さにしくしくと痛むだろう。バリアフリーなどのことも考慮すれば、離島よりも沖縄がいい。

 佐藤も木村も、そこまで計算に入れて交渉をしていたという事だ。

 柔道男から返事はない。彼は兵士だ。命令を受けて実施するよう訓練されている。佐藤から聞いた話をスタンガン男に伝えるのが自分の仕事と割り切っているのかもしれない。

 そういった割り切りが、佐藤のペースに巻き込まれない最良の策だろう。

 「我々は、君らに木村の逃亡ルートをリークする。どこで仕掛けるのかは、プロである君らに任せるよ。希望を言えば、コインロッカーの鍵を我々が受け取った後にしてくれると助かるね。ちなみに、私のおすすめは、那覇空港を出たあとかな? 彼らも土地鑑がないし、日本の端まで来たことで、気も緩んでいるだろう。人が少なくなるのは石垣島に入ってからかな? あ、あ、君のようなゴツい人は、悪目立ちしてしまうかもしれないねぇ。君などは、リゾートって似合わない感じだものねぇ。そうそう、石垣島といえば……」

 佐藤は、何時にも増して饒舌だ。

 もちろん、わざとだ。黙って佐藤の言葉に耳を傾けなければならない立場の柔道男を、うんざりさせるためにやっているのだ。

 佐藤の話は途切れることなく、中之島まで続いた。げっそりとした柔道男の顔が見ていて痛快だ。

 逃げるように、走り去ってゆくのを、俺と佐藤はへらへら笑って見送っていた。


 木村の出所日が決まった。今度は、怪我をすることなく、大人しく娑婆に出るようだ。木村の場合は、何か問題を起して刑期が伸びたわけでもなく、刑期をリハビリ期間が凌駕するというレアなケースなのだった。

 わざと怪我をしたにせよ、その証拠がないので、責任の所在は刑務所側にあり、完治するまで責任を持って預かるという形式をとっていたのだった。

 外に出た木村に騒がれると、キャリア官僚の人生すごろくの「あがり」である、ご褒美ポストとされている医療刑務所長の経歴に傷がついてしまう。それを取り巻きの胡麻擂り準キャリアが忖度したというのが、正解みたいだけど。

 いずれにせよ、木村は上手く立ち回っていたことになる。

 検査日が決まっているので、荒事師との約束の1週間は過ぎてしまうことになるが、数日のズレは別にいいという連絡が、佐藤の携帯にあったようだ。

 彼らはジリジリしながら1年近くも、木村の出所を待っていたのだ。たかが2、3日どうということでもないらしい。

 俺たちは、荒事師たちから見たら、獲物を上手く巣穴から引きずりだした優秀な猟犬といったところだろう。ご褒美に少し頭をなでてやってもいいと思えるほどの。

 検査日に、医師から退院許可書が出れば、木村は晴れて出所兼退院となる。問題は、木村が関西空港に到着する前に拉致されてしまうことだが、佐藤はその可能性は低いだろうと踏んでいるようだった。

 理由は人目が多いから。荒事師の連中は目立ちたくないと言っていた。日本の治安の良さは伊達ではなく、特に空港近くは対テロ対策で、警戒は厳重だ。

 確実に木村を捕えるのなら、俺たちが護衛についておらず、人も少なく、木村も油断している場所。すなわち、沖縄に到着して、石垣島に移る直前あたりが、荒事師が捕獲する罠を張る場所として妥当な線か。

 出入り口の脇で、タクシーを待たせたまま待つ。わざわざワゴンタクシーをチャーターしたのは、車椅子があるからだ。新井は刑務所の中にいて、身元引き受けの手続きをしているはずだ。

 晴れやかな新井の顔をみると、さすがに罪悪感がある。あと数時間で、幸福の絶頂から一気に転落するのを、俺は知っている。

 佐藤に、新井が抱き着かんばかりに感謝の意を表している。佐藤も、白々しいことに、新井を祝福していた。

 新井が、木村の車椅子を押して、医療刑務所出てくる。木村は、頭からバスタオルをかぶり、下を向いて俯いたまま、ぴくりとも動かない。

 佐藤が、新井に手を貸して、ワゴンタクシーに乗り込む。ワゴンタクシーは、俺を残して、関西空港に向って走り出した。

 俺は、手を振ってそれを見送る。そして、大阪医療刑務所の壁に沿って歩き出した。

 職員用の通用口が、大阪刑務所との境目にある。そこに着くと、左右を観察した。

 誰もいない。扉を2回ノックする。それを3回繰り返した。通用口が開く。姿を現したのは、フードつきのパーカーをかぶった、木村だった。

 木村は形式上受刑者ではあるが、特別に滞在を許された一般人である。そこで、所長に便宜を図ってもらい、職員用通用口を使わせてもらえるよう交渉したのだった。

 「デコイは出発した。俺たちも出発しよう」

 介護士の練習用のマネキンがある。

 体の重みも50キログラムほどあり、ベッドから車いすに移す練習などに使われる。

 佐藤はそれを購入し、医療刑務所に寄付したのだった。介護士の実習施設にも指定されていることから、所長は喜んでそれを受け入れたのである。

佐藤が条件をつけたのは、1回だけ服を着せて車椅子に乗せ、タクシーに乗車させること。

 当然いぶかしがられたであろうが、どうやって相手を納得させたのか、俺はその場にいなかったのでわからない。今度、ぜひ聞いてみようかと思う。

 日本の義足の技術はすごいもので、木村は両足で立ち、すこしぎこちないものの、普通に歩ける。

 努力もしたはずだ。1㎞くらいなら問題なく歩けるし、25m程度は走ることもできるそうだ。

 「昌子には、苦労かけちまった。でもよ、両足千切れて、刑務所にぶち込まれても、俺についてきてくれたんだ。娑婆に戻ったら、恩返ししねぇとな」

 などと、照れ臭そうに笑いながら言っている。

 木村は死ぬ運命だ。深く考えることもなく、ヤクザの金と薬に手を出し盗んだ。それが、死の運命を招いたと言える。木村は、俺と同じだ。選択を間違えてことによって、全てを失うことになる。

 一度選択を間違えた者は、もう許されることは無いのだろうか? 木村だって、あと少し運命が変わっていたら、こんな事にはならなかったのではないか。

 刑務所の周囲を抜け、女子大の方に向う。そこには、タクシーを待たせてあった。俺は、木村がそれに乗るのを見届けるのが仕事だった。

 佐藤は、それをリスクの分散といった。一番襲撃されやすいのは、佐藤の乗っているワゴンタクシー。

 その偽装に騙されなかった場合、次に危険なのは木村の乗るタクシーだ。

 「一人は安全地帯にいて、バックアップしてもらわないとね」

 佐藤はそう言って、一番危険な役目を引き受けた。同乗している新井は、襲撃されるかもしれない事を知らない。ワゴンタクシーに木村が乗っていると見せかけるためには、小道具として新井が必要だから佐藤は彼女をワゴンタクシーに乗せている。

 万が一、襲撃されても、それは新井が木村という人物を選択したことに起因するのだから、自分でその対価は支払っただけ。佐藤はそう考えている。

 冷徹なまでの割り切り。俺は、そこまでの境地には達していないようだ。

 「ありがとう。ほんとうに、ありがとう」

 タクシーに乗り込み、窓を開けて、俺に対して拝む木村を、俺は呼び止めた。どこかで、お前を殺害しようとする男たちがいる。そう、言おうとしていた。

 信号が、赤から青へ。タクシーが発車する。それで、種明かしの機会は失われてしまった。

 「逃げろよ、木村」

 走り去ってゆく車に俺はそれしか言えなかった。針で刺されたような痛みが胸にあった。それは、後悔という名の棘だったのかも知れない。


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