荒事
気が付いたら、車の中だった。
手錠がかけられていて、脚はナイロンのロープで縛られている。隣には佐藤が同じように拘束されて座っており、どうやら気を失っているらしかった。
開けた窓からは潮の匂いがする。どうやら、ここは大阪湾の近くらしい。
「なんやおまえ、えらい腕が立つなぁ。一人病院送りや」
俺が覚醒したのに気が付いて、口を開いたのは、俺にスタンガンを押し付けた奴だ。目も鼻も口も顔全体の造作が全て小ぶりで、なんだか間延びした顔だが、細い目は何の感情も見せず、虚無そのものだった。例えるなら『爬虫類の目』が一番イメージに近い。
車はワンボックス車らしかった。運転席に一人。スタンガンの男は、助手席に座っている。2列目のシートに俺と佐藤。振り返って後ろを見ていないが、少なくとも2人、3列目のシートに座っている。
「単なる正当防衛さ」
そう俺は答えた。スタンガンの男は笑った。笑っていたが、少しも楽し気ではなさそうな笑いだった。
俺はいきなり後ろから首を絞められた。柔道でいうところの、『裸締め』というやつだ。ヒュっと気道が鳴って、呼吸が止まる。何よりまずいのは、頸動脈が圧迫されていること。
脳への血流が止まると意識を失う。さらにそれが続くと死ぬ。
目の前に黒い虫が飛ぶ。『落ちる』前兆だ。俺は暴れた。だが手錠は、足を拘束しているロープに繫がっており。胸の高さ以上に手を持ち上げる事が出来ない。俺は、無様にジタバタともがくぐらいしか抵抗の術はなかった。 これが、抵抗と呼べるのならば。
俺の首を絞めている奴は、おそらく柔道などの経験者だ。俺が暴れてもビクともしない。
俺が暴れたので、隣に座ったままの佐藤に俺の肘が当たった。佐藤は気を失っていたが、それで覚醒したようだった。
「もうええ。ヘド吐いて、車の中汚すんやないで」
その言葉が合図になったかのように、俺の首を絞めている腕が緩む。空気が肺に流れ込んできた。餓えたかのように空気をむさぼる。強烈な吐き気が襲ってきたが、こらえた。
わざとゲロをぶちまけてやるのもいいが、また首を絞められるのは御免だ。タフガイ気取りも程々にしておかなければ。
「なんだ、君たちは。これは略取誘拐と監禁と暴行というれっきとした犯罪だよ」
まったく佐藤のクソ度胸には恐れ入る。もしも、これが演技なのだとしたら、アイドルあがりの役者など足元にも及ばない演技力だ。
「このゲンコツ兄ちゃんといい、あんさんといい、おもろいやっちゃで。何モンや」
佐藤はスーツの胸ポケットから名刺入れを出そうとして、手錠が嵌められている事に気が付いたようだった。もしくは、気が付いたような演技をした。
「フリーのジャーナリスト。名刺がスーツのポケットに入っているのだが、これでは取り出せない。外してくれたまえ」
スタンガンの男が、俺の後ろの男に顎をしゃくる。多分こいつが俺の首を締めやがった柔道野郎だ。丸太の様に太い腕をしていやがる。
柔道野郎は佐藤のスーツのポケットを探り名刺入れを取り出し、身を乗り出してスタンガン男に手渡しする。
「佐藤一郎やと? 偽名臭い名前や。そっちは田中太郎やて。書き方の見本かいな」
そんな軽口をたたきながら、スタンガンの男は名刺を携帯端末で撮影し、画像をどこかに転送した。そのうえで一本電話をかける。
「今送った画像な、検索してや。調べたらわいのとこ、メールをたのんます」
スタンガン男は、名刺入れを佐藤の膝の上に放り投げ
「見ての通りや、ウラは今から取るよって、ごまかしてもムダでっせ。ちゅうわけで、あんさんの口からあんさんが何者で何しに木村のスケんとこ行ったのか聞かせてもらいまひょか」
俺は東京生まれの東京育ちだ。だから、大阪弁は耳慣れない言葉だ。今は危機的な状況なのだが、今一つ現実感がないのは、スタンガン男ののんびりした大阪弁と、飄々とした佐藤のしゃべり方によるものなのだろうか。
スタンガン男の他に、3人の屈強な男がいるが、彼らは一言も話さないので、気味悪いのだが、スタンガン男が「殺せ」と言えばためらいなく殺すだろうということはわかる。事実、さっきは死にかけたわけだし。
「ご指摘の通り、我々は、あたかも『申込書の書き方の例』に出てきそうな名前だが、本名だ。職業はフリーのジャーナリストとその助手。ゼニになりそうなネタを嗅ぎまわって、記事を書き、大手の出版社や新聞社に売るのが仕事だよ。ここまでが、『あんさんが何者で』の部分」
スタンガン男は口を挟まない。そして、手をひらひらと振って、続きを促している。
「何をしていたかという部分に関しては、企業秘密なので明かしたくないのだが?」
佐藤がそう言い終わる前に俺の首に、柔道野郎の太い腕が巻き付いてくる。また、締め上げられている。それを見て、佐藤が珍しく苛立ちを見せて舌打ちをした。佐藤が感情を露わにするのは極めて珍しい。
「OK! OK! わかった。交渉の余地なしということだね。わかったから、助手の首から手を放したまえ」
俺の首への圧迫が解かれた。しばらく咳き込んでいると、目の前に飛んでいた黒い虫が消えてゆく。
くそ。だんだん腹が立ってきた。
「今、受刑者と受刑者の刑期終了を待つ恋人や家族の記事を書いている。木村氏は両足切断というハンデキャップを乗り越え、刑期を終えて恋人と感動の再開というシナリオで挑もうかと考えている次第」
スタンガン男が笑った。佐藤も一緒になって笑っている。俺と柔道野郎を含む3人は憮然としたままだった。
「あかん。腹痛いわ。木村のチンカスがかいな? こらええわ」
そう言ってスタンガン男は笑い続けている。佐藤もまた笑い続けていた。スタンガン男の携帯端末がアラーム音を出す。笑い過ぎて目の端にたまった涙を拭いつつ、スタンガン男が送られてきたメールに目を通していた。
「ウラ取れたわ。取りあえず嘘はついて無さそうやな。ええ心がけや」
ハンカチで涙を拭きながら言う。多少だが、暴力の気配は薄まったような気がする。気のせいではなければよいのだが。
「それでは、解放してくれるね?」
佐藤がそう言って、手錠された両手を差し出すと、スタンガン男は一言、
「あかん」
とだけ言った。
「そいつは困る。記事が金になるまでは、こっちの持ち出しなのだぜ。大損だよ」
そう言って、佐藤が口をとがらせる。叶というヤクザと交渉した時もそうだが、佐藤は自分のペースに持っていくのが上手い。
実際、スタンガン男は困ったような顔をしていた。
「木村のアホウ、出所真近になると、わざと怪我しくさる。こっちはおかげでずっと待ちぼうけや。依頼主からはまだかまだかとせっつかれる。こっちも困っているんや」
佐藤が首を傾げる。スタンガン男が言った事のどこかが引っ掛かるらしい。俺も引っ掛かりを感じる。「依頼主」という言葉だ。
「気を悪くしないでほしいのだが、君たちはいかにもヤクザに見える。ヤクザではないのであろうか?」
スタンガン男は少しむっとした様だった。
「アホちゃうか。わしらはヤクザやのうて、『荒事師』っちゅう、いわば職能集団や」
改正暴力団対策法が施行されて以降、日本のヤクザは骨抜きになった。結果、外国からの犯罪組織や『半分グレーゾーン』……いわゆる『ハングレ』……と言われるギャング団がのさばる結果になった。
そこで考えられたのが、暴力のアウトソーシングだった。
ヤクザが暴力を行使すると、その親団体までが連帯責任を取らされるのが改正暴力団対策法のキモだが、縁もゆかりもない者が暴力を行使するなら、自分の組織に類が及ばない。
こうした暴力の代行を専門に行うのが、通称『荒事師』と呼ばれる者たちだった。




