欺瞞
ホテルに近い地下鉄の入り口に佐藤が見える。カメラ機材を入れるアルミ製のバッグを担いでいた。俺をカメラマンらしく見せるための小道具。
佐藤は蓬髪を撫でつけ、後ろで髪をまとめていた。普段はむさくるしい佐藤だが、こうすると多少精悍に見えなくもない。まぁ、口元を常に引き締めないと台無しなのではあるが。
「新井さんは、スーパーのパートの仕事を終え、夕方帰ってくる。そこを狙おう」
そういって、俺にアルミ製のバッグを差し出す。俺はそれを受け取った。
「中に一眼レフの本格的に見えるカメラが入っている。それらしく振舞ってくれたまえよ。たのんだぜ」
再び守口市駅に着く。大阪の中心のベッドタウンなので、家路を急ぐサラリーマンが多い。それに溶け込む様に、佐藤はスーツを着ていた。これも演出の一環なのだろう。ヤクザが直用するようないかにも……なスーツ以外は、着用者を真面目に見せる効果がある。
多少でも、胡散臭さを緩和させるつもりなのだとわかる。俺は、いつもの軍用パーカーとカーゴパンツという格好。プロの報道カメラマンっぽく見えればいいのだが。
「君は無口で職人気質のカメラマンだ。しゃべるのは私に任せてくれたまえ」
小声で佐藤はそう念を押すと、ボロアパートの階段を上がる。俺もその後をついてゆく。名刺大のボール紙に油性ペンで『新井』の文字が書かれたものが、ドアに張り付けてある。几帳面な字だった。
呼び鈴を押す。明かりはついているし、TVのニュースらしき音も聞こえる。留守ではない。だが、呼び鈴に反応はなかった。
佐藤がもう一度、呼び鈴を押す。人が歩く気配がしていた。
「どなた?」
小さく震えているような声。
佐藤は軽く咳払いをした。まるで、出番直前の舞台俳優みたいだったが、あながち間違いでもあるまい。新井という女一人が観客の劇が幕を開けたようなものだ。
「夜分に大変申し訳ありません。私、先般お手紙で新井様への面談を希望させて頂きました、佐藤と申します。お手紙はお読み頂けましたでしょうか?」
いつもの寝ぼけたような声ではなく、通りの良い声だった。こんな声も出せるのかと、俺は少し感心してしまった。
「あ、はい、はい」
動揺したような声。
多分、手紙は読んでいないようだ。そもそも、手紙を出しているかどうかも怪しい。
「ありがとうございます。では、取材に応じてくださるという事で、よろしいでしょうか? 些少ではありますが、取材協力費も差し上げますので、よろしくご協力をお願い致します」
佐藤が扉に向って頭を下げる。ドアスコープで相手が覗いているということを察知しているのだろう。あくまでも、下手に。それが、相手を警戒させないための基本の一つだ。
「あの、困ります。部屋は散らかっておりますし、今、忙しいので」
警戒している。当たり前といえば当たり前だ。一人暮らしの女性の部屋にいきなり押しかけて、はいそうですかと招き入れるわけがない。
「わかりました。では、日時と場所を改めまして、お会いすることに致しましょう。しばらくは大阪に滞在する予定ですので、ご連絡をお願いします。名刺をお渡ししたのですが、チェーンをかけたままで構いませんので、ドアを開けて頂けますか?」
次々と畳み掛けるような提案を行うことで、相手に軽いパニックを起こさせるのも、詐欺師の手口と似ている。
どうかな? と思って見ていると、細くドアが開いた。猜疑心の塊という様な目が、その隙間から覗いていて、少し怖い。
佐藤は、笑みを絶やさず、ゆっくりとした動作で、いつの間にか取り出した名刺をドアの隙間に差し出していた。そのまま辛抱強く待つ。野生動物の餌付けみたいで、笑いそうになったが、佐藤も新井も真剣そのものだ。
「非通知でも構いませんので、お電話くださいね。では、失礼します。お時間を取って頂きありがとうございました」
佐藤はそういってもう一度深々と頭を下げ、退散する。俺も後に続いた。
「最初は、こんなものだろう。まぁまぁ上手くいったのではないか?」
満足気に、佐藤が言った。名刺を受け取ったということは、連絡する意思がある可能性が高いということ。本当に嫌ならチェーン付でもドアは開けない。
「葉書なんて出してないだろ?」
俺がそう言うと、佐藤は「そうだ」と頷く。思った通りだ。
「郵便受けに、手紙もチラシも入れっぱなしだっただろ? 新井さんは、木村と付き合うことで、友人とか、家族とか、交流をうしなったクチさ。手紙の類はほとんど企業のダイレクトメール。それか宣伝のチラシだね。だから見る必要がない。電気、ガス、水道、電話といったインフラ関係の請求書とかは、来る時期が決まっているので、その時にまとめて郵便受けの中を攫っているのさ」
きっちり締めたネクタイを緩めながら佐藤が解説する。俺は自分の観察眼に自信があったが、そこまでは見ていなかった。
なるほど、郵便受けね。少し勉強になった。




