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自問

 俺は部屋に戻り、汗みずくの体をシャワーで洗い落とした。Tシャツとスエットはバスに溜めたお湯で水洗いし、硬く絞ってバスタオルに包む。それを踏むと脱水の代わりになるのだ。

 浴室にこれらをを干す。ホテルのランドリーに頼むという選択肢もあるが、よれよれのTシャツと、ボロっちいスエットを出すのは心苦しい。

 朝食はバイキングだった。俺はサラダを大皿に盛り付け、オレンジジュースを取ってきた。フレッシュオレンジジュースなので旨い。

 佐藤は、並んでいるものを順番に全部皿に乗せ、大量の朝食を機械的に口に運んでいた。

 あの細い体のどこに消えてゆくのか、俺は不思議でならない。

 「私はルポライター。君は同行のカメラマン。そういう設定で行くからよろしく頼む」

 デザートをまた全種類皿に盛って、味わいもせず食べながら佐藤が言う。 今日の新井との面談の話らしい。

 「カメラなんざ、弄ったことないぜ」

 俺は言ったが、佐藤は口の周りについた粉砂糖をナプキンで拭きながら、ヒラヒラと手を振り

 「いいんだ。カメラマンの振りだけで。演技だよ、演技」

 と、答えた。

 人は喉から手が出るほど金が欲しくても、ゼニを恵んでやるという態度を見せてしまうと、誇りが邪魔をしてやせ我慢をする。頑なになってしまうのだ。だから、お膳立てをしてやる。お金を受け取るのが当然であるという設定を作ってをしてやるのだと、佐藤は言った。

 「そこで、取材協力費と言う名目で金をちらつかせるわけだよ」

 ルポルタージュ作家に成りすました佐藤は、『引き裂かれる愛する2人』というような記事を書いていることにする。

 「DV被害にあっても、そのクズ男と別れない女は自分に酔ってる場合が多い。わたしがいないとこの人はダメなの……といった具合にね」

 ヒモやホストの男は、そういった心理を巧みに操る。俺は、そういった男たちを多く見てきた。俺の元の職場バッド・カンパニーは、彼らのたまり場でもあったから。彼らはそこで情報を交換し、女を繋ぎ止める工夫に磨きをかける。

 佐藤が席を立つ。これで3度目だ。まだ食うのかと呆れたが、コーヒーを持ってきただけだった。さすがに満腹ということらしい。

 「それで、刑務所の刑期終了を待つ娑婆の健気な女と刑務所の男との絆の話を書いていることにして、新井から情報を聞き出す」

 要するに、金を受け取りやすい条件を作ってやり、金を受け取ったのだからしゃべらなくてはいけないという心理にもってゆくということ。

 「何度か、使った手だよ。大丈夫、大丈夫」

 角砂糖を4つも入れて。ミルクをたっぷり注いだコーヒーを、佐藤は旨そうに飲む。多分、これを見たら国分は嘆くだろう。ホットコーヒーをブラックで飲むのが至高と考えている男だったから。

 シロップの様に甘いであろうコーヒーを飲みながら、佐藤は話を続けた。

 「……で、だ。新井さんが木村氏に面会した時に、俺たちの事を話してもらう。一度、人を介して、お会い頂きご尊顔を拝する許可を頂戴するわけさ。木村氏みたいなタイプの馬鹿は根拠もなくプライドが高い。そこをくすぐってやるのさ」

 カップの底に残った砂糖の残りをスプーンで掬い、それを口に運びながら佐藤は言った。

 「必ず木村はウタうよ。私は何人もああいった男を見てきたのだから、わかる。彼らは話したいのさ。話す相手が居ないだけで、機会を与えてやれば、必ず話す」


 佐藤は、調べ物があるといってインターネットカフェに行った。俺は、まったくの手持無沙汰になってしまい。ただ中之島の周辺をぶらぶらと歩いていた。

 川に沿って歩く。ここは、たしか安治川といったか。この川の沿岸は工場や倉庫が並んでいる。東京では木場とかそんな感じの街並みに似ているような気がした。

 水運で発達した歴史がある町はどこか似てくるものなのかもしれない。

 流れる川の水はお世辞にもきれいとは言えない。そんなところも、俺の住んでいる川沿いに似ていた。

 黒いドブ川の流れ。それでも、一頃よりはだいぶきれいになったのだろう。遠くに公園のようなものが見えた。多分、ユニバーサルスタジオだろう。ここに遊びに来たわけではないので、行ってみようかという気は起きなかったが。

 佐藤は企業秘密ともいうべき自分の手口を話した。まるで、詐欺師のテクニックを聞かされている様だった。実際、身分を詐称するのだから、限りなく詐欺師に近い。

 被害者から金銭を奪う代わりに情報を奪う。その程度の差でしかない。

 見たところ、佐藤に逡巡はない。新井という女と木村という受刑者を騙すことについて、全く良心の呵責は感じていないようだった。

 そこに俺は佐藤の歪んだ昏い闇が仄見える。彼の根底に流れるのは『怒り』だ。それは間違いない。ただ、『悪』に対する怒りのような単純な話ではないような気がする。例えば社会全体への憤りの様な何か。いや……もっと深くにあって、ドロドロと熱いもの。

 走っていても、このように歩いていても、俺は色々考えるようになった。考えるというのは迷う事。大東さんは俺に「大いに悩み迷え」と言っていた。バッド・カンパニーをやめて、考える余裕が出来たということなのか。

 佐藤の意図を考える。手口の開示は、リスクのあることだ。用心深いはずの佐藤にしては、知り合ってからの期間が短い俺を信用し過ぎているような気がする。

 興信所の須加田は、それを一瞬で見抜いて俺をテストした。佐藤が危ういと思ったのだろう。

 考え事をしながらずいぶんと歩いた。気が付けば、ポケットの携帯電話が鳴っている。佐藤からの連絡だった。新井という女のところに行く。その準備が整ったらしい。

 俺はこのまま闇へと踏み込んでゆく。

 俺の中の臆病な部分は「引き返せ」と言っている。本当は、その声に従うべきなのだろう。だが、俺はそれを無視した。『悪』のドブ泥に足を踏み入れるのは、甘美な痺れがある。

 「自分には弾が当たらないと信じている奴は見ているだけでムカつく」

 国分はそう言った。

 だが、弾が避けて通ると信じていない奴は、前に進めない。


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