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探偵

 『カツン』というヒールの音が、喫茶店の木の床に響いた。足音は俺たちの方に近づいてくる。佐藤が目を上げて、音の方向を手招きした。

 やや足早になった足音が、俺の背後から近づいてくる。ふわりと柑橘系の淡い香水が、漂ってきた。俺はどうも香水が苦手で鼻がむずむずする。

 「サトちゃん。ずいぶんと久しぶりじゃない」

 ハスキーな声が降ってくる。肩越しに俺が振り向くと、黒いスーツとタイトなミニスカートで、隙なく身を固めた長身の女が立っていた。

 佐藤が自分の横にあるキャンバス地のバッグをどける。女はそこに座った。俺の正面になる場所だ。

 女が俺の顔を見る。俺もその女を見た。これが、興信所の人物なのだろう。

 俺は、佐藤の「興信所の奴」という言葉だけで、なんとなく氏家の様なくたびれた中年男性を想像していたので、少し意外な気がしていた。

 「あーえー、こちら、松戸&須加田エージェンシーの須加田さん。こちらは、私の助手をやってもらっている田中君です」

 俺と、須加田という名の女は、互いに値踏みするような目で見ながら頭を下げる。

 「サトちゃんが、助手? 珍しいわね」

 椅子によりかかって、彼女は少し笑い、それでも視線を俺から外さない。まっすぐ見てくる奴は男女問わず苦手だ。ずけずけと俺の心の中に土足で踏み入られた気分になる。

 「目の上に古い切り傷。フルコンタクトの空手かしら? 総合格闘技? それともボクシング? 拳胼胝がないから、ボクサーね。耳も潰れてないから総合格闘技も除外だし」

 須加田はいきなりそんなことを言った。俺の表情が変わったのを見て、佐藤が慌てる。

 「おいおいおい、やめてくれたまえ須加田君。不躾じゃないか」

 力試し。目の前の男がどれほどのものか、この女は試している。理由はわかる。ようするに、この須加田という女は佐藤に惚れているのだ。俺は、光と騒音の中で色恋沙汰の駆け引きをする場所に勤務していた。だから、声のトーンや相手を見る目つきで、おおまかな心理の動きが読めた。

 美人でスタイルも良く、モデル並みに長身のこの女が、どちらかといえば貧相な部類に入る佐藤に惹かれるのは、おそらくこの女が危険に喜びを感じるタイプだから。

 優秀で何事もテキパキとこなすキャリアウーマン・タイプに、こういった嗜好が多い。茫洋とした佐藤の外見ではなく、その仮面の奥にある昏い炎のようなものに、この女は魅力を感じているのだろう。光に惹かれ、蛾が炎に焼かれるように。

 「男性恐怖症。しかし、女性として見られないと不安になる。派手に見えて実は実用主義。身長が高いのに、ハイヒールを履くのは相手より目線を高くして心理的圧迫を与えるため。上着が体のラインを隠すデザインなのは警戒心。それでいてタイトスカートは、女性として見られたいため。スーツの生地は上等なのに、ハンドバッグは実用一点張りなのは、スーツがクライアントに与える影響を考慮しての事。バッグは物が入ればいいと思っている証拠。そんなところか?」

 ボクシングで言えば、ジャブの応酬のようなものだ。思いのほか、重く鋭いジャブを相手は放っている。だから、俺も本気で打ちかえした。ただし、佐藤に惹かれているという分析は伏せておいてやる。

武士の情けというやつだ。見たところ佐藤は、須加田の好意に気が付いていない。

 須加田が俺を睨みつけてくる。気の強い女だ。それくらいでないと、興信所の調査員など出来ないのだろうが。

 「聞いた風な事を言ってくれるじゃない。あんた何者?」

 須加田は、今度は身を乗り出してきた。先程とは一転、胸のふくらみを見せつけるようにしている。『男性恐怖症』と俺が推理したのが気に入らないのだろう。こうしてムキになるってことは、当たったということか。

 「高校中退のボクサー崩れだよ。雑貨店でしばらく働いていた。直近は酒場で用心棒をやっていてね。人を観察するのが仕事だった」

 フンと鼻を鳴らして、須加田が俺から視線を外す。どうやら、佐藤の護衛として、彼女のお眼鏡にかなったらしい。

 俺と須加田を交互に見ながら心配顔をしていた佐藤だが、どうやら一段落したらしいとみて、アイスコーヒーを一口飲み、氏家から提供された資料を須加田に渡す。

 須加田は無言でそれを受け取り、資料を黙読しはじめた。俺は、椅子の背に体を預けて天井を見ていた。

 たっぷり10分は資料を読んでいただろうか。須加田はオーダーしたホットコーヒーが届いたのも気づかず、資料を読み込んでいたのだった。

 須加田が資料を伏せてテーブルに置く。須加田のコーヒーはすっかり冷えてしまっていたが、彼女はそれを無意識に吹き冷まして飲む。

 コーヒーが冷えてしまっている事に気が付いていないようだった。国分がそれを見たら嘆くだろう。俺はそんなことを考えていた。

 「全部読んだよ。面白い。やらせて!」

 須加田は、愛しいもののようにその資料を撫で、

 「今、手掛けている浮気調査がもうすぐ終わるから、それが終わったらでいい? うんざりするほど退屈な仕事なんだけど、いい金になるのよ」

 興信所の仕事の殆どは、信用調査や浮気の調査だと聞く。あとは、失踪者の捜索ぐらいか?チャンドラーやハメットの物語のような探偵など日本にはいない。ついでに言うならススキノにもいない。

 だから須加田のような危険に惹かれる者は退屈なのかもしれない。

 その点、佐藤と組めば刺激は充分だろう。俺は、今のところほんの少しだけ手伝っただけだが、スリル満点なのは保障する。

 「かまわんよ。我々はしばらく東京を離れるし。須加田君には徳山のジドリをお願いしたい」

 あとから佐藤に聞いてわかったことだが、ジドリは「地取り」のこと。相手の周辺を洗う警察の隠語だそうだ。

 「了解。サトちゃんとの仕事は、いつも楽しいわ」

 須加田の頬が上気していた。それは、この店内が熱いからばかりではあるまい。


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