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潮目

 駅で俺は佐藤と別れた。とりあえず、今は次の仕事の仕込みの最中らしく、目途がついた時点で俺に連絡が入るということになった。

 佐藤は、強請屋まがいのことをしているので、恨みを買うことが多い。常に尾行に注意を払い、自分の事務所を知られない努力をしていて、様々に尾行を撒くテクニックを行使しているらしい。

 それを、佐藤は『漂白』と呼んでいて、そうしたノウハウは興信所でアルバイトをしていた時に身に着けたと言っていた。

 口頭ではあったが、俺にもそういったテクニックが伝えられ、佐藤の事務所に行く際には『漂白』するように、要請されたのだった。

 「何を大げさな」

 と、思わないでもないが、俺は佐藤が暴行を受けている現場を目にしている。案外、そうした用心深さは佐藤の様なことをしている場合、必要不可欠なことなのかも知れない。

 終点まで地下鉄に乗り、駅前の銀行に佐藤からもらった現金を入れる。ついでに、預金通帳への記帳も済ます。50万円が預金額に上乗せされていたが、それ以外にも覚えのない入金が記入されていた。

 支店番号を調べると、それは富山県の支店のものだとわかった。金額は22万円。それに、66万円。2回に分けて振込されている。

 すぐにピンときた。大東さんだ。22万円は、俺の1ヶ月のアルバイト料。それに3ヶ月分の退職金ということなのだろう。

 大東さんは生きている。なぜ富山県なのかよくわからないけど、とにかく今から1ヶ月ほど前は富山県にいて、俺に遅くはなったけど給料を支払ってくれたのだ。

 俺を『転び公妨』で逮捕した公安の警官は、

 「大東から接触があったら、私に必ず知らせてください。隠し立ては無しだ」

 などと言って、俺に名刺を渡してきたが、俺はその帰り道に駅のゴミ箱に捨ててしまっていた。端から協力する気はないのだが。

 昨日の勤務から、ずっと寝ていないまま、夕方になった。

 体を休めるために横になっていたが、やはり眠気はこなかった。昼間、豪華な中華料理を食べたせいで、あまり腹は減っていない。だが、いつもは、休日といえばどん底まで気分が落ち込むのに、不思議と気分は高揚していた。

 頭の中に『バッド・カンパニーを辞めて、佐藤と組む』という考えが浮かんできたから。とりあえず勢いで1ヶ月と言ったが、佐藤の助手として働くのも面白そうだと思っていた。

 国分の店での仕事も、佐藤と組んでの仕事も、世間一般から見ればあまりマトモには見えない仕事かもしれない。

 しかし、違いはある。国分の店の仕事がひたすらトラブルが無いように目を配る、いわば「待ち」の仕事であるのに対し、佐藤との仕事はこちらから能動的に「動く」仕事だ。

 俺のボクシングのスタイルはひたすら前に出てとにかく打ちあうファイタータイプで、性格もそうなのだろう。だから、佐藤との仕事に魅力を感じているのかもしれなかった。

 金に執着はない。だが、金の大切さは知っている。ならば、手っ取り早く金を稼いで貯めておき、未来の選択肢を広げておくのも悪くない。

 俺の気分の落ち込みは、ただ状況に流されているだけの不甲斐なさから来ていたものだったのだろうか?

 自分の進む道を自分で決めたことによって心理的にリセットされたことで、何か意思の力の様なものが湧いて来ているような気がしていた。

 ひょっとしたら、ただ今の俺の状況が俺自身で納得出来ていないだけで、無駄に足掻いているだけなのかもしれないけれど。

 それでも、少なくとも気分は一新した。

 そうすると、疲れ果てた国分店長の顔が、急に疎ましいものに思えて来るのが不思議だ。

 『バッド・カンパニー』を辞める。

 ずっと、心の中でそんな事を考えていた。だが、その決断は日々の疲労の中に埋没してしまっていて、それが俺の鬱屈の要因の一つだったような気がする。

 俺は、部屋から出て、駅に向かった。どうせ今日は眠れない。ならば行動を起こすべきだろう。「店を辞める」と国分店長に宣言しに行く。そのために地下鉄に乗る。

 国分店長はチョコレートが好きだったのを思い出して、駅ビルの中の洋菓子店でチョコの詰め合わせを買っておいた。警察から蹴り出されるように釈放され、父親に「家に帰ってくるな」と突き放されて以来、俺を雇い、給金を払ってくれた恩人ではあるから。

 老舗のデパートがある駅で降りる。表通りは、そのデパートをはじめ、外国のブランドショップなどが並ぶ華やかな道だが、一歩裏道に入ると別世界の様に猥雑になる。風俗店と飲食店が混在する珍しい街で、外国人も多い。

国分店長は、

 「だいぶ町はさびれたよ」

 などと言っていたが、まだアジア最大の歓楽地の一つではある。

 バッド・カンパニーは、潰れたり、開店したり、入れ替わりが激しいその界隈で、比較的古くから店を構えていた。昔は『ディスコ』と呼ばれ、今は『クラブ』と呼ばれる。そんな店だ。

 俺はその二つの区別がつかない。国分店長に違いを聞いてみたが、

「そんなの、知るかよ」

 と、面倒臭そうに答えただけだった。多分、彼にもよくわからないのだろう。

 夕方、バッド・カンパニーは、夜行性の動物のようにやっと活動を始める。前日の乱痴気騒ぎの痕跡が洗い清められ、酒が仕入され、従業員が配置につく。本格的に忙しくなるのは、夜8時を過ぎてからで、今はまだ余裕があるはずだった。

 正面入り口から入る。今日の用心棒は、ゴリという奴で、ゴリというのは勿論あだ名だけど、なんでそんなあだ名がついたのか、こいつに合えば誰でもわかる。

 ゴリは古株の用心棒で、用心棒のノウハウは彼に教えてもらった。

 「今日は非番じゃねぇのか?」

 ゴリが俺に言う。

 「店長に用事があってね」

 ゴリは頷いて、俺に道を開ける。俺は、正面入り口を通って、金網に囲われたチケット売り場の女の子に「よお」と、あいさつし、店内に入る。

 店内にはちょっとしたステージと、バーカウンターがあり、その隣にDJブースがある。まだ、客は一人もいない。

 DJブースから、スキンヘッドの男が顔をだし、俺に手を振る。ラッパーでDJもやるノブだった。曲のノリが悪いと酔客に絡まれている所を、俺が助けて以来、俺に懐いているらしかった。

 俺は、ノブに手を振りかえし、ステージ上の椅子に座って、ギターをつま弾いている国分店長に近づいて行った。国分店長は、店に背を向け、曲を奏でている。

 その曲は、何か哀しい旋律の曲だった。俺は、黙って彼の後ろに立ち、曲が終わるのを待っていた。理由はわからないが、邪魔をしてはいけないという気にさせられたからだ。

 「こいつは『ダニューヴのさざなみ』って曲さ。中断させずに待ってくれてありがとうよ」

 国分店長はそういって、床に置かれたグラスを拾い、その中身を干す。国分店長は、アイリッシュ・ウイスキーしか飲まない。それも1杯だけ。このステージの上で飲む。まるで縁起をかついだ儀式の様に。

 「やけにすっきりした顔してやがるな」

 ドラムセットの脇にあるハンガーにギターを置き、パイプ椅子を一つもってきて、組み立てながら言う。それに座れということだろう。相変わらず、口頭ではなく身振りで指示をする男だ。

 「店を、辞めます」

 俺は単刀直入に言った。前置きは抜き。言いにくい事柄は、シンプルに伝えた方がいい。言い訳じみた言葉を重ねるのは、俺にとっても、国分店長にとっても面倒なことだろうと思うから。

 国分店長は驚かなかった。もともと、表情の変化がない人物ではあるが、表情一つ動かない。

 「馬鹿野郎。ゼニ貰う仕事は中学生の部活じゃねぇんだぞ」

と、言っても怒っているようには見えない。それどころか、面白がるような様子だった。

 「わかっています。俺みたいな奴を使ってくれて、感謝しています。でも、この店の入り口に立って、客をさばくのは、俺に向いてないと思う」

 珍しい事に、国分店長が笑った。口角がきゅっと上がり、目を細めただけなのだが、笑みを知らない異形の者が笑顔を偽装しているみたいで、怖い。

 「佐藤一郎。神戸市出身。28歳。自称・ジャーナリスト。こいつと組む気か?」

 佐藤のことを、なんで知っているのか。俺は国分店長に聞かなかった。どうせ、情報元を言うわけがないし、聞いてしまえば、これがボクシングの殴り合いならば、俺が一歩後退したことになる。パンチをくらって「効いた」という顔をしてはいけない。

 俺が驚いた様子を見せないので、国分店長は白けた表情になり、パイプ椅子に寄り掛かるようにして、欠伸をした。

 「あっちこっちの危ない筋から、恨み買っているぜ、そいつ。荒稼ぎしているみたいだが、命がいくつあってもたりねぇぞ」

 それは、俺も思ったことだ。佐藤からは危険な匂いがする。だから、普通なら避ける。だが、その危険にわざと分け入って自分の運命の力を試したいと思う気持ちもなくはないのだ。

 「自分にだけは弾は当たらねぇと思っているやつは、見ているだけでムカつくんだ。いいぜ、どことなりに消えちまいな」

 俺は、国分店長に深々と一礼して席を立つ。なんとなく渡しそびれてしまった感のあるチョコレートは、パイプ椅子の上に置いた。国分店長はもう俺に目を向けると来なく、ヒラヒラと手を振っただけだった。それは、あっちへ行けという追い払う仕草とも、別れのあいさつの仕草ともつかないゼスチャーだった。

 「お前が何もかも無くして、命だけ無事なら、ここに来い。また拾ってやるよ」

 立ち去ろうとした俺に、国分が言う。

 「俺がムカつくんじゃないんですか?」

 背を向けたまま俺が返した言葉。

 対する国分の答えはこうだった。

 「だからさ」


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