歴戦の猫勇者・名前はまだ無い
「む……うう?」
俺は眩しい光を浴びて目が冷めた。
前足を顔に乗せて光を遮る。どうやら俺は、仰向けに寝ているらしい。
「おお。勇者殿。勇者殿が復活されたぞ!!」
頭の方からじじいの声がする。
何だこの状況? 確か俺は金魚を盗んだところを見つかり、人間に追いかけ回され、飛び出した道路で八百屋のトラックにはねられて死んだはず。
ゆっくりと体を起こして周囲を見渡すと、そこは手術台のような場所だった。
周りには異様な出で立ちをした人間どもが俺を取りまき、跪いたり、手を合わせたりしている。中には涙ぐんでいる者までいた。
「俺は……どうなったんだ?」
「勇者殿……あなたは、大魔王との戦いに敗れ、体の半分近くを吹き飛ばされたのです。それで、異世界から欠損部分を補填するため、我々の全精神力を集めて召還術を行ったのです。命はお救いできたのですが、そのお姿が……」
「うわ。何だコレは。人間の手じゃねえか!!」
俺の掌は人間のように指が長く伸びていた。毛も生えていたし肉球こそついていたが、何とも奇妙な形だ。物をつかめるのはいいが、歩くのには向いていない。
「あ……あのう……勇者様?」
珍しそうに手を開いたり握ったりしている俺に、三角の黒服を頭から被った人間が話しかけてきた。
「そうだ。なんだよお前ら、俺をどうしようッてんだ!? 金魚盗んだくらいでしつこく追っかけ回しやがって!!」
「もしかして、勇者様……ご記憶が……?」
「勇者ぁ? 俺は猫だ。名前は……まだない!!」
俺が叫ぶと同時に、横に佇んでいた人間の女が一人、血相を変えてつかみかかってきた。
「あんた……あんた……あたしのリョウをどこへやったのよッ!?」
「ハァ!? お前何言ってんだ? 俺は俺だろうが!!」
「リョウ!? 思い出したの!? あんたの名前は?」
「まだ無い!!」
女は間髪入れず、思いっきり俺の頬をひっぱたいた。
「ぐあっ!? ニャニしやがる!?」
「ニャニって言うな!! あたしに愛してるって言ったのも!! 覚えてないっての!?」
「俺は生後四ヶ月だぞ!! まだ発情期も来てないのに、メスなんか欲しがるもんかよ!!」
「ふざけんな!!」
今度はグーで殴られ、俺はまた手術台の上にぶっ倒れた。
相当の馬鹿力で殴られたらしく、意識がまた急速に遠のいていく。そのまま俺は夢を見た。
俺はこの世界……アストラルの辺境に生まれた。
そこは、怪物と異形が闊歩する世界。怪物の殆どは魔王の産み出したもので、人間は獲物に過ぎなかった。両親を殺された俺は、剣を取って立ち上がる。
俺の母は人間ではなく、エルフだった。母親譲りの強力な魔法と、父に習った剣の合わせ技で次々に敵を倒し、勇者として名を上げていく。
長い苦しい戦いの末、ついに魔王メビウスまでも倒すが、その魔王を操っていたのは大魔王ガイアだったことが分かる。
さすがに今度は一人では戦えない。数々の冒険を繰り広げ、ニヒルなやつ、すばしっこくて小さいの、デブ、紅一点の四人を仲間にして、ととう大魔王ガイアまでも倒した……と思った時。その大魔王が変化し、超魔王レジェンドになって俺達パーティを吹き飛ばした。
俺は恋人だった紅一点をかばって、爆炎の前に立ちふさがり……そこで目が覚めた。
「う……うあ……」
頭が痛い。
紅一点……サクラのやつ。本気でぶん殴りやがって。
「おお、勇者殿がお目覚めだぞ」
「ごめん!! ごめんリョウ!! 力一杯殴ったりして!!」
俺を殴った女……サクラが泣きながら抱きついてきた。
「もういいよ。おかげで少し思い出した。サクラだよなお前? 僧侶戦士の力で思い切り殴るなよ。トロルの首でも吹き飛ばせるくせに……」
「思い出したの!? よかった……」
と言われても、俺の主な記憶と性格は生後四ヶ月の猫のもので、リョウとかいう歴戦の勇者の記憶はなんだか借り物のようだ。つまり、正確には思い出したのとは違うんだが、それを言うとまたサクラにぶん殴られそうなので黙っておいた。
「サクラ……他の連中は?」
「みんな死んじゃった……融合召還術で蘇ったのはあなただけ……これからどうしたらいいの?」
「俺にも分からない。でも、レジェンドのパワーは圧倒的だった。このまま戦っても、また返り討ちだな……」
「でも、みんなの仇を討たなきゃ……何してんの?」
「うむ。毛繕いをな」
片足を上げ、自分の股間を舐め始めた俺の延髄に、僧侶戦士のチョップが炸裂した。
勇者・リョウが吹き飛ばされたのは上半身の大部分で、質量的には三十%ほどしか失っていない。だが、記憶や人格を司る重要な部分は逆に三十パーセントほどしか残っていなかったようで、ほとんど俺に置き換わってしまったのだ。
つまり、今の俺は体三十パーセント、心七十%の猫獣人ってわけだ。
猫は元々平和主義者だ。勇者とか言われても知ったことではない。
俺はすぐにでも逃げ出し、猫としての生活を取り戻したかったのだが、サクラは四六時中つきまとい、俺を勇者に戻そうとする。わずかに残っている歴戦の勇者・リョウの意識も、悪を倒せと叫ぶ。周りからは懇願され、眠るたびに夢の形を借りて俺に何度も追体験させられ、次第に俺もその気になってきた。
それに、超魔王レジェンドは、空を黒雲で覆い尽くし、人間どころか地上すべてを滅ぼす勢いだ。
どっちにしてもこの状況で、平穏な暮らしなど望めない。俺は仕方なく超魔王退治に出発することにした。
だが、以前のままの装備では、超魔王には太刀打ちできない。俺は猫獣人の体に合った伝説の防具と武器探しだし、前回の戦いで全滅したパーティよりも強力な仲間を募った。
町では、世界を覆い尽くす超魔王の恐怖に対抗して、戦士団がいくつも結成されようとしていたので、強い仲間を集めるのはさほど難しくなかった。
ついでに言うと、俺みたいな獣人もそう珍しいものではないらしかった。そこここに、犬やウシ、ハリネズミなど様々な顔をした獣人がうろついている。
怪物というわけではない。召還術を応用した融合治療というのが割りと一般的なのだろう。獣人は人間に獣の力が加わっているから、常人の数倍強い。新しい仲間……ニヒルなヤツ、小さくてすばしこいの、デブの三人は、それぞれカメ、サル、ブタの獣人を選んだ。そいつらにも伝説の武器をそれぞれ身につけてもらい、俺達はさっそく超魔王の砦へと踏み込んでいった。
砦の中で襲い来る魔王の刺客。
だが、どうも見た目カエルやトカゲ、ヘビ、鳥、ムカデなんかに似たヤツばかりで、俺の狩猟本能が刺激される。しかも、いつも捕まえている連中より、大きいばかりで力が弱く、動きも遅い。
というより、元々の勇者の体力と魔法力に、猫である俺の運動神経が加わったせいで、俺が異様に強くなったということらしい。
刺客の魔物どもは、ことごとくオレのネコパンチの前に沈んだ。
戦いの中で、ニヒルなヤツが意外にいい奴だったり、小さいのが実は隣国の王子だったり、追いかけてきたサクラが、けなげにも俺と同じ猫の獣人に変わっていたり、デブの体脂肪率がサクラより低いことが分かったり、と、様々な冒険を乗り越え、俺達はついに超魔王の前へとたどり着いた。
「ふはははは。よく来たな、勇者……あ、えと、名前なんてんだっけ?」
俺の猫顔を見た途端、急に口元を緩め、妙にフレンドリーな雰囲気になった超魔王レジェンド。俺、こんなヤツにパーティ全滅させられたのか?
「まだ無い」
胸を張って答えた俺の頭を、サクラが後ろからはたく。
「バカ!! だからリョウだって何度言ったら分かるのよ!? それがイヤなら、新しく付けてあげるっつってんでしょ!!」
「お前みたいな女子がつけるような名前はいらん」
「なんで?」
「難読だったり、カマっぽかったり、発音しづらかったりするに決まっているからだ」
「名前は、字面が可愛ければそれでいいのよ!!」
口論を始めた俺達に、超魔王レジェンドが呆れ顔で口を挟む。
「おいおい、そこで夫婦漫才始めてんじゃないよ」
「まだ夫婦じゃないわよ!!」
「発情期も来てないしな」
「きいい!! またそれ!? あんたは黙ってて!! 超魔王!! 覚悟なさい!! この世界の平和のため、勇者・リョウの記憶と前の仲間達の敵討ちのため、あたし達があんたを倒す!!」
「ようやく戦う気になったか。ワシもダテに超魔王をやっておらぬ。貴様等の情報は筒抜けだ!! 出でよ!! 我が下僕、ダニークよ!!」
「ははあ」
突然、デブの腹から声がした。
デブの贅肉と思われていた部分が分離し、一体のピンク色をした二足歩行生物へと変化したのだ。生物はするすると移動して、超魔王の脇に控える。見ると、かなりグラマーな裸の姉ちゃんだ。
「ええっ!? おまえスパイだったの?」
驚き見つめる俺達に、デブはぶんぶんと頭を振って否定する。
「イヤ俺もこんなん知らんし。そういや、急に体重増えた時あったけどさ」
「デブは全体重の一、二割くらい変動しても、案外気付かぬモノよ」
超魔王が得意げに言うが、それはないだろ。デブ、おまえ鈍すぎだ。
「超魔王レジェンド様。あのパーティの弱点は、防御は固いですが、勇者の攻撃力のみに頼るチームだということです。そして、勇者の弱点は……これです」
ダニークが取り出したのは……猫じゃらし!!
「ほーらほーら。我慢できないでしょう?」
い……いかん。目の前でアレを動かされると……理性がっ……
「ふにゃあッ!!」
思わず前脚で猫じゃらしを押さえる俺。
ダメだ、こんな無防備な体勢でもし攻撃されたら、一瞬で死ぬ。
だが、超魔王は目を輝かせると、ダニークの手から猫じゃらしを奪い取った。
「こりゃ面白いな。ワシにもやらせよ」
魔王の猫じゃらし技術は見事であった。
まるで生き物のように動く猫じゃらし。オレは完全に我を忘れ、オレンジ色のフサフサを追いかけるのに必死になった。時には転げ回り、時にはジャンプし、時には姿勢を低くして忍び寄り……
とにかくあのフサフサさえ何とかすればいいのだが、防御一辺倒の仲間達は、盾の後ろに隠れたまま、何もしてはくれない。
警戒心を解き、近づいてきた超魔王は、俺の喉元の毛をもふもふといじくり始めた。
ああ……気持ちいい……このまま超魔王の思うままにされるのもいいか……と思ったその時。
超魔王の手元で猫じゃらしがポッキリ折れた。折れた猫じゃらしは、一瞬でその価値を失う。
俺は繰り出そうとしていたネコパンチの勢いそのままに、超魔王の顔面に一撃を食らわせた。
「ぐあああああああ!!」
「あ。当たった」
「見事だ……勇者……えーと」
「ごめん。まだ名前無いんだってば」
「なんだよそれもう」
超魔王は口を尖らせて息絶えた。
しかし超魔王ともあろうものが、こんな一撃で死ぬかね。そんだけ、勇者の基礎力と猫の瞬発力の合わせ技が凄かった、とも言えるのかも知れないが……
「リョウ!!」
サクラが俺にしがみついてくる。
僧侶戦士の力+猫獣人の爪が食い込み、鎧ごしにも痛い。しかし、喜びに水を差すのもアレなので我慢していると、サクラがおずおずと切り出した。
「やっと……平和が来るのね……リョウ……結婚してくれるでしょ?」
「そのことで、言おう言おうと思ってたんだが……」
「な……何よ?」
「俺……元々ハーフエルフだから成長するのに時間がかかってだな……」
「ハァ?」
「発情期くるの、二十年後くらいだと思う」
サクラは抱きついた姿勢のまま俺の首を抱え込むと、連続して猫キックを食らわせ始めた。