表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

1.僕とお嬢様の出会い

 たった今、悟は自分の主人となる少女と対面した。


 腰辺りまで伸びた、はちみつ色の巻き毛髪。

 美しいすみれ色の瞳は、柔らかな透明さと暖かな光を持っている。

 ほんのりとピンク色に染まった頬と、柔らかく弧を描いたふっくらとした唇。


 悟は、今まで生きてきた人生の中で目の前にいる少女が一番美しい、と素直に思った。


「リディアーヌお嬢様。こちらは本日よりお嬢様の専属執事となりました、サトルです。サトル、ご挨拶を」

 メイド長にそう促され、悟は目の前の少女に自分の名前を告げた。

「本日よりここで働かせていただきます、サトル・マイヤ=ウルノといいます」


 ちなみに「サトル・マイヤ=ウルノ」というのはこちらの形に合わせて悟が名乗る偽名である。


「よろしくお願いします」

 そう言って悟が頭を上げると、目の前の少女は花が咲くような可憐な笑みを浮かべた。


***

 悟は、白い部屋の中に居た。

 一人ではなくフランシャール夫妻と……そして、何故か稔も一緒である。


「……なんで兄さんが居るんですか」


 そのもっともな悟の疑問を稔は無視し、白い部屋を興味深そうに見回している。

 まるで子供のように目をきらきらと輝かせ、時折部屋の壁などを触っては楽しそうにしている。


 そんな兄を悟は無視することに決め、フランシャール夫妻へと身体を向けた。


「一体、ここはどこなんです?」

『ここは恐らくだが……私達の世界と君たちの世界を繋ぐ【部屋】だ」

「部屋?」

『えぇ。ですが、その名前はわたくし達がそう呼んでいるだけ。本来の名称はわかりません』

「そうですか」


 悟はそう言うと、改めて部屋の中を見回す。……見れば見るほど、何もない。

 白い壁、白い天井、白い床。

 ただひたすらに白いだけの部屋。

 そして、そんな白い部屋の中で一際存在感を放つピンクの扉。


 ――ん? ピンクの……扉?


 悟が目の前を向くと、そこにはどこか見覚えのあるようなピンクの扉が。

 ……そう。某国民的ネコ型ロボットが、明るいBGMと共に取り出す秘密道具に酷似した扉が、


 悟の目の前に現れたのだ。


 ……悟は痛む頭を押さえながら、ため息を吐いた。


「これ、ですかね」

『おお、これだ。この扉を開けると、異世界に行くことができる』

『わたくし達はこの扉を通ってあなた達の世界に行きましたが……今度は逆になるのかしら』

「普通に考えると、そうでしょうねぇ」


 いつの間にやら会話に加わっていた稔は、興味深げに扉を観察する。

 触ってみたり、叩いてみたり……開けてみたり。


「兄さん、何をしてるんです」

「いや、ちゃんと通じているのか気になって」


 そう言いながら稔は、興味深そうに扉の向こうを覗き込んでいる。

 悟もつられて扉の向こうを覗き込んだ――と同時に、力いっぱい背中を押される。


「うわっ!」


 そのまま扉の中へと飛び込めば、どすん、と地面に叩きつけられる。

 しかしそれに構うことなく辺りを見回せば――そこは森の中。


『まぁ、ここは邸の近くにある【ヤロの森】ではありませんか。あの扉はここに繋がっていたのですね』


 フリーデリケはゆっくりと扉を通ろうとした――が、それは扉自身によって阻まれた。


『あら? 通れませんわ』

『本当だ。何か薄い……壁のようなものが』

「ん? 俺は普通に通れますが」


 そう言って稔は扉を通り、危なげなく着地する――と同時に、自分に向けられている冷たい視線に気付く。

 その視線の方向へ目をやると、自分を睨んでいる悟の顔があった。いつも通り無表情だが、その視線には静かな怒りが込められていた。


「……よくも落としてくれましたね」

「いや、あれくらい勢いがあった方がすんなり入れるかと」


 悪びれもせず言い切る稔。


 ――この人に、何を言っても無駄だ。


 悟はそう思いなおすと、兄の相手をやめて扉の向こうにいるフランシャール夫妻に話しかける。


「どうやら、あなた達はこちらに来れないようですね」

『ええ……やはり、もう死んでいるからかしら……』


 そう寂しげに言うフリーデリケ。

 隣のアルベルトは何も言わないが、同じように寂しげだ。


「――まぁ、仕方ありません」


 そんな雰囲気を吹き飛ばすかのように、稔は勤めて明るく言う。


「俺達が入れただけでもよしとしましょう。行くぞ、悟!」

「兄さんは帰ってくださいね」


 悟は無表情のまま、冷たく言い放った。



 ヤロの森は、木々の間から差す木漏れ日が眩しい明るい森だった。

 森の中には自生している目を引く美しい植物などがたくさんあり、歩くだけでも相当楽しめる。

 本日は晴天、散歩には絶好の日和だろう。


 しかし悟は目を引く美しい植物を楽しむ気分でもなかったし、散歩を楽しむよりも目的地に向かう為に歩いているだけだ。


 悟はアルベルトに書いてもらった地図と道を照らし合わせながら、道を進んでいく。

 そのうち、森を抜けて広い道に出た。

 道には少ないながらも人通りがあり、行きかう人々が目に付く。


 悟は広い道をまっすぐに北へと歩き始めた。

 道中、いくつもの視線が悟に――正確には、悟の着ている学ランに刺さるが、悟は気にする素振りもなく、ただひたすらに歩く。


 そう歩いているうちに、道の先に大きな建物が見えてきた。

 白を基調とした、美しく、優雅な建物。


 あの建物こそが、悟が今目指している――フランシャール公爵邸である。


 悟は立ち止まり、邸を見上げる。

 その顔は、やはり無表情のままで。

 そして悟は目線を戻すと、再び邸に向かって歩き始めたのだった。


***

 悟は巨大な邸の、これまた巨大な門の前に立っていた。

 そして臆することもなく、門の横にある呼び鈴のようなものを押す。


 ちりりーん、と軽やかな音がしたと思うと、すぐに邸から背の高い妙齢の女性がやって来た。

 女性は門の前までやってくると、門越しに悟を見下ろす。


「何か御用ですか?」

 冷ややかな声。

 しかし悟はそれに怯むことなく、肩にかけていたカバンから一通の封筒を取り出し、無言でそれを女性の方へと差し出す。


 女性はしばらく悟を睨んでいたが、結局は封筒に手を伸ばして受け取った。

 そして丁寧に封を切り、入っていた数枚の紙を取り出して読み始める。


 女性が紙を読み進んでいくうちに――彼女の顔に、驚きの表情が浮かんだ。

 そして勢い良く顔をあげ、女性は再び悟に目を向けた。

 女性の視線を受け、悟はゆっくりと頭を下げる。


「はじめまして、サトル・マイヤ=ウルノと申します――生前のフランシャール夫妻様の推薦により、リディアーヌ・フルール・ボージェ=フランシャールお嬢様の「専属執事」となるべくやってまいりました」


 そう言いきると悟は頭を上げ、滅多に浮かべない笑みを浮かべたのだった。



 案内された邸の中は、立派だったがどこか閑散としていた。

 使用人さえ見かけない、誰も居ない広い廊下を悟はメイド頭に連れられて歩いていた。


「……旦那様の訃報がこの邸に届いた途端、使用人達は少しを残してみんな出て行きました」

 悟の雰囲気から疑問を読み取ったのか、メイド長――ベアトリクス・アダー=ベルドフは落ち着いた声でそう言った。


「そうなんですか」

 悟が落ち着いた声でそう返すと、ベアトリクスは立ち止まり、悟のほうへと振り返る。

 そして、少し複雑そうな表情で、


「――なぜ、来たのです?」


 と、悟に訊ねた。


「……なぜ、とは?」

「たとえ旦那様と奥様のご推薦だとしても、お二人はもう帰らぬ人となりました。本来ならば、雇い主がいなくなった時点でその推薦状は無効となります」

「え?」


 ――あの方達は、そんなこと一言も言いませんでしたけど?


 悟は、何故か幽霊だというのに筆記用具に触れることができた夫妻のことを思い浮かべる。

 ベアトリクスに見せた推薦状は、間違いなくアルベルトが書いた「本物」だ。これがあれば、間違いなく執事として採用されると自信満々に言って。

 ただ、生前に書いたものではないが。


 悟がそんなことを考えているのにも気付かず、ベアトリクスは話を続ける。


「確かに、この邸の使用人の数は圧倒的に足りません。旦那様と奥様がお亡くなりになられたとはいえ、まだお嬢様がおられるのですから。私達はお嬢様のお世話をし、更にはお手伝いもしなければなりません。正直、猫の手も借りたいくらいです」

「ならば、僕が来てよかったのでは?」

「ええ。この大変な時期に人手、しかもお嬢様の【専属執事】が来ることは大変喜ばしいことです。ですが、あなたはまだ若い。このような言い方は悔しいですが――まだ他に仕えるべき家は選べたのでは?」


 ベアトリクスが、複雑そうな表情で悟を見つめる。

 しかし、悟は無表情のままそれを流し、ただ淡々と「事実」を告げる。


「お気遣い、ありがとうございます。ですが、僕はここでしか働けないのです」

「……ここでしか?」

「はい。僕はご夫妻にとても熱心に頼み込まれて、ここに来ることを決めたのです。他のところで執事をする気などは一切ありませんし……それに」

「それに?」


 悟は、滅多に浮かべないはずの笑顔をもう一度浮かべた。


「それに――そんなことをしてしまった日には、家族から半殺しにされてしまいますので」


***

 豪奢な扉の前で、悟は佇んでいた。

 その服装は先ほどまで着ていた学ランではなく、黒い燕尾服に赤いクロスタイ。


 先ほど、ベアトリクスの自室にて簡単な面接と説明を受けた後、悟はすぐさま執事として採用された。

 そしてそのままフランシャール公爵令嬢――悟の【主人】となる少女に面会するべく、ベアトリクスから着替えを命じられたのである。


 初めて着る燕尾服はさすがに窮屈なようで、悟は落ち着かないのか何どもクロスタイをいじっては小さくため息を吐く。


「執事がそんなことでどうするのです。落ち着きなさい」


 しかし、そんな態度をベアトリクスに咎められる。

 悟はクロスタイをいじるのをやめ、背筋を伸ばした。


 ベアトリクスはそれを見て頷いた後、自身も背筋を伸ばし、丁寧に扉を叩く。

 それから少し間を空けて「……どなた?」と、扉の向こうから声がした。


「メイド長、ベアトリクス・アダー=ベルドフです。リディアーヌお嬢様、少しよろしいでしょうか?」

「えぇ、いいけれど……」

 ベアトリクスは「失礼します」と言って、扉を開けて部屋の中へと入っていった。悟も後に続く。


 広く、豪華な部屋の真ん中に――彼女はいた。

 少女はベアトリクスの後ろにいる悟を見つけると、きょとんとした顔で悟の顔をまじまじと見つめる。

 そしてまるで飴でできた鈴のように、軽やかな甘い声で――……


「……どちらさま?」

「リディアーヌお嬢様。こちらは――……」


 そして冒頭に戻る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ