第1話:死体は嘘をつかないが、貴族はよく喋る
王立魔導局の本庁舎、その地下三階にある死体安置所の空気は、いつだって冷たくて、ほんのりと焦げた硫黄と防腐用のアルコールの匂いがした。
「――ふむ。胃壁の粘膜が鮮やかな群青色に変色している。……なるほど、これは『月夜草』の絞り汁に、微量の雷獣の胆汁を混ぜたものだな」
蛍光石の青白い光の下、麻の白衣をまとったセレスティーヌ・フォン・ローゼンは、目の前に横たわる贅沢なドレスを着た男の遺体を検分しながら、ぼそりと呟いた。
彼女の指先には、薄手の手袋が装着されており、慣れた手つきで被害者の喉元や爪の隙間をピンセットで探っている。
「セレス様! また勝手に遺体に触って……! この方は侯爵家の従者様ですよ! 扱いには十分気をつけてください!」
慌てふためきながら地下室の扉を蹴破ってきたのは、直属の上司である薬毒課の主任・バルトロメオだった。額に脂汗を浮かべ、青い顔でセレスティーヌを睨みつけている。
セレスティーヌは面倒くさそうに眼鏡を押し上げ、冷めた目を向けた。
「バルトロメオ主任。死体に向かって身分もクソもありませんよ。生きていれば権力で死因をねじ曲げられますが、あいにくこの人はもう喋らない。ただ、胃の中の毒が『私は誰に殺されたか』を雄弁に物語っています」
「なっ……! 殺されただと!? 公式には、心臓発作の急死と発表される手はずになっているんだ! 余計な波風を立てるな!」
「心臓発作ねえ。じゃあ、この男の右奥歯の裏に付着した、青酸系の魔導結晶の残りカスは何ですかね。それとも、貴族様方の心臓は発作を起こすと口から猛毒を吐き出す仕様にでもなっているんですか?」
皮肉な笑みを浮かべるセレスティーヌに、バルトロメオは言葉を詰まらせた。
無理もない。昨夜、王都の中心街で開かれた貴族主催の夜会で、大商会の後ろ盾を持つ若き官僚が突然死したのだ。表向きは「過労による急死」として処理され、事件化させずに闇に葬る手はずが、すでに上層部で決定されていた。
だが、この王立魔導局の地下で検死を担当しているセレスティーヌにとっては、そんな政治的圧力など知ったことではない。彼女を動かすのは権力の忖度ではなく、純然たる科学的真実と、――何より、未知の毒物に対する抑えきれない知的好奇心だけだった。
「ご遺体の検死報告書は、すでに私の机の上に置いておきました。『月夜草の毒による急性中毒死。推定摂取時刻は昨夜の午後十時』、とね」
「お、おいセレスティーヌ! それを外に出したら――」
バルトロメオが慌てて制止しようとしたその時、地下室の重厚な鉄の扉が再び、音もなく押し開けられた。
そこに立っていたのは、漆黒の魔導騎士団の制服を身にまとった、銀髪の男だった。
整いすぎた顔立ちは冷徹で、その瞳には底知れない知性が宿っている。王立魔導局の誰もが恐れる、若き魔導騎士団長――レイモンド・フォン・ガレリアその人だった。
「……ほう。面白そうだな。その『月夜草』とやらの話を、詳しく聞かせてもらおうか」
レイモンドの低い声が、冷たい地下室に響いた。
バルトロメオが恐怖でひざまずく中、セレスティーヌだけは眉一つ動かさず、淡々と自分の使っていたメスを布で拭きながら、冷ややかな視線を騎士団長に向ける。
「騎士団長閣下。ご用件でしたら上にどうぞ。ここは死体安置所であって、貴族様の茶飲み場ではありませんので」
「……度胸のあることだ。我が国の権力を敵に回してでも真実を暴きたいか、それともただの命知らずか」
レイモンドは微かに唇の端を持ち上げ、興味深そうにセレスティーヌを見据えた。
この瞬間から、王都を揺るがす巨大な陰謀と、一人の風変わりな女性薬師による、知略と毒薬のゲームが幕を開けるのだった。




