「約束の春」
「ニ年後、離婚しよう。」
妻とそう決めたのは、子どもが卒業する日までは、夫婦そろった家庭をお互いに守ろうという約束だった。
愛情はなかった。
喧嘩もしない。
期待もしない。
ただの同居人のように、子どもを介した家族として過ごす日々。
そんなニ年のはずだった。
---
離婚まで、あと半年。
仕事帰りに立ち寄るカフェバーで、彼は一人の女性と出会った。
最初は店員と客だった。
「今日はお帰り早いんですね。」
「今日は直帰で。」
そんな何気ない会話が、少しずつ増えていく。
彼女は人の話を最後までよく聞く人だった。
無理に励まさない。
決めつけない。
「そう思ったんですね。」
その一言だけ。
不思議と心が軽くなった。
彼は1日の終わりには彼女の顔が見たくなっていった。
けれど、自分はまだ既婚者だった。
だから必要以上に近づかなかった。
彼女が仕事終わりに、
「また来てくださいね。」
と笑って去っていっても、彼は笑い返すだけだった。
---
離婚届を提出した日。
春の風は少し冷たかった。
役所を出た瞬間、彼は深く息を吐いた。
終わった。
長かったニ年間が、ようやく終わった。
その足で、彼はいつものカフェバーへ向かった。
彼女は驚いた顔をした。
「早いですね。」
「今日は話たいことがあります。」
「ご迷惑でなければ、後で時間を作ってもらえませんか?」
彼女は少し表情を変え、
「わかりました。」
と、応えた。
---
「実は……今日、離婚が成立しました。」
沈黙が流れる。
「あなたと出会った頃、妻との離婚はもう決まっていました。でも、法律上今日までは夫でいるという妻との約束でした。」
「だからあなたに何も言えませんでした。」
彼は真っすぐ彼女を見た。
「もしあの時、自分の気持ちをあなたに伝えていたら、それはあなたにも今の家族にも失礼な話だと思ったんで…。」
彼女は静かに聞いていた。
「今日は言えます。」
彼は一度だけ深呼吸をした。
「出会った頃から、ずっとあなたが好きでした。好きです。」
「これから、少しずつでいいので、一緒に時間を重ねていってもらえませんか。」
彼女は少し笑ってから、ほっとしたように、
「不思議だったんです。」
「私の勘違いじゃなければ、好意はずっと伝わってきてたので…。」
彼は照れくさそうに笑う。
「あなたに対しては、すべてをちゃんと終わらせてから、自分の気持ちを伝えたくて…。」
彼女は頷いた。
「だから…、今日ですか?」
彼女は少し考えてから、小さく息を吐き、
「私も、あなたともっと話をしてみたいと、思ってました。」
彼の胸の奥で、固く閉ざされていた何かがほどけていく。
派手な奇跡なんてなかった。
運命的な再会もない。
ただ、一つだけ誇れることは、誰も裏切らず、人を傷つける近道も選ばず、終わらせるべきものをちゃんと終わらせ、好きな人に自分の気持ちを伝えられたこと。
春風が二人の間を通り抜ける。
新しい人生が始まる予感がする。




