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虚飾の祭壇と、微笑む生贄

私とセラフィは、次の街を目指して荒野を歩いていた。


「カノン様、この先にあるのは私が仕えていた『虚飾の神』が支配する国です。私はそこへ向かい、あの神の暴虐を止めるつもりです」

 大盾を背負って歩くセラフィが、重々しい口調で告げた。

「暴虐? 神の国なら、人間たちはそれなりに庇護されているんじゃないの?」

「いいえ。あの国は地獄です。虚飾の神は街中に幻惑の香を撒き、人々の脳を『偽りの幸福感』で麻痺させています。市民たちはみな笑顔で満ち足りた顔をしていますが、現実はただ労働力と生命力を搾取されているだけの、家畜以下の扱いなのです」


なるほど、笑顔のまま死ぬまで搾取される地獄か。実に悪趣味だ。


「ふうん。で、なぜ私までそんな面倒な場所に付き合わなきゃいけないの?」

「も、申し訳ありません! ですが、私はカノン様の盾。主を危険な場所へお連れするのは本意ではありませんが、どうか私のケジメを見届けてはいただけないでしょうか……!」

「……まあ、いいわ」


私は小さくため息をついた。

 私が知っている神は、あのいつも眠たそうにしていた怠惰の神だけだ。他の神という存在がどんなものなのか、少し興味があった。もし私の美学に反するような醜い存在なら、暇つぶしに少し痛めつけてみるのも悪くない。


数日後、私たちが足を踏み入れた街は、セラフィの言葉通り異常だった。

 豪奢な大聖堂の周囲を歩く信者たちは、誰もが薄汚れたボロ布を纏い、ガリガリに痩せ細っているのに、その顔には一様に『とろけるような恍惚の笑み』が張り付いている。


「……酷い悪趣味ね。目が腐りそう」


私は鼻口をハンカチで覆いながら、大聖堂の地下へと続く隠し階段を下りた。

 ひんやりとした石造りの地下空間には、信者たちの祈りと甘ったるい香の匂いが充満していた。


「おお……神様……! どうか、私どもの美しき信仰をお受け取りください……!」


数十人の信者たちが土下座を繰り返す先、豪奢な祭壇の中央に、一人の少女が座らされていた。

 十五歳ほどだろうか。ピンク色の髪をツーサイドアップに結わえ、首に無骨な鉄の首輪をはめられた小柄な少女。


「カノン様、あれは……『生贄の儀式』です! 3日に1度信者たちの中から最も魔力純度の高い『純潔の処女』を選び、その血と魂を神に捧げるという外道の所業……!」

「……ええ。見ればわかるわ」


少女――ミアは、ゆっくりと立ち上がり、両手で一本の鋭い短剣を握りしめた。

 死を目前にしているというのに、彼女の真ん丸な瞳は焦点が一切合っておらず、虚空を見つめたまま、とびきり無邪気で、幸せそうな笑顔を浮かべていた。


「あはっ……ふふっ。神様が、私を呼んでる。私みたいな汚いゴミを、綺麗だって言って撫でてくれてるの……」


彼女の脳内は、虚飾の神が魅せている『極上の幻覚』に完全に支配されている。

 現実の彼女は、冷たい石の祭壇の上で薄汚れた布切れ一枚で立たされているだけなのに。


「えへへ……神様、もっと私を愛して。私のぜんぶ、神様にあげる……。私の血で、もっともっと綺麗になってね……」


ミアは、一切の躊躇なく、ニコニコと幸せそうに笑いながら、鋭い短剣の刃を己の白い首筋に押し当てた。

 ツーッと、一筋の赤い血が首を伝う。

 痛覚すらも麻痺しているのか、彼女の顔からは恍惚の笑みが消えない。自らの意志で命を絶とうとするその姿は、あまりにも不気味で悍ましかった。


「己の身勝手な快楽のために、うら若き少女の命を玩具にするなど……それでも神のやることかッ!!」

「待ちなさい、セラフィ」


激昂し、飛び出そうとしたセラフィの肩を、私は冷たい声で制止した。

 私はゆっくりと、一歩前に出る。

 私の中で渦巻いていたのは、正義感でも同情でもない。ただ純粋な、底知れぬ『怒り』だった。


他者の命を、血を、なんだと思っているのか。

 私を育てたあの『怠惰の神』は、吸血衝動に苦しむ幼い私を救うためなら、下界から人間の生贄などいくらでも用意できたはずだ。吸血鬼が人間の血を啜るのは当然のことだから。けれどあの人は、他者の命を奪うことなど考えもせず、ただ己の命を削って私を守り抜いた。


それなのに。

 この姿の見えない傲慢な神は、あんな安い幻覚で少女の脳をいじり回し、ただの使い捨てのジュースのようにその命を啜ろうとしている。

 それは、私の不器用で愛すべき親の気高さを、真っ向から泥で汚すような行為に思えた。


「……私の前で、美しくない真似をしないで頂戴」


私は右手の親指を犬歯で軽く噛み切り、滲み出た血の雫を指先で弾いた。

 紅い軌跡を描いて飛んだ極小の血の刃は、祭壇の上でまさに首を掻き切ろうとしていたミアの手元へ正確に直撃する。


「あッ……!?」


キンッ! という甲高い音と共に、ミアの手から短剣が弾き飛ばされた。

 同時に、私の血が放った『本物の神聖な魔力』の波動が空間を揺らし、地下室に充満していた安っぽい幻惑の香を一瞬で掻き消す。


「あれ……? 私の……神様、は……? あったかい、お花畑は……?」


急に幻覚から引きずり出されたミアが、焦点の合わない目を瞬かせながらその場にへたり込んだ。

 ニコニコと笑っていた顔が、徐々に幻覚が切れたことによる禁断症状のような焦燥感に歪んでいく。


「な、何者だ貴様ら!! 神聖なる儀式を邪魔する気か!!」


正気に戻りかけた信者たちが、一斉にこちらを振り返り、武器を構えた。

 私は彼らを一瞥もせず、ただ真っ直ぐに、祭壇で震えるピンク髪の少女へと歩み寄る。


「カノン様の御前に立つな、愚民共ッ!!」


私の前に立ち塞がろうとした信者たちは、セラフィの振るう大盾によって吹き飛ばされていった。優秀な盾である。

 私は祭壇に上がり、へたり込んでいるミアの前に立った。

 幻覚の禁断症状でガタガタと震え、涎を垂らしながら空を掴もうとしている少女の顎を、私は手袋越しの指で掴み上げる。


「っ……あ、あぁ……かみさま、どこ……わたしを、あいして……」

「目を覚ましなさい」


氷のように冷たい声で言い放ち、虚ろな彼女の瞳の奥を真っ直ぐに射抜く。


「豚のように幻覚で飼い慣らされて死ぬなんて、反吐が出るほど美しくないわ。そんな安っぽい神に、あなたの命をくれてやる必要はない」

「あ……う……あなたは、だれ……? すごく、いい匂い……」


私の至近距離から放たれる圧倒的な魔力と血の匂いに当てられ、ミアの瞳の焦点が、初めて私へとカチリと合った。

 と、その時である。


『――我が美しい儀式を邪魔する、小賢しい羽虫はどこのどいつだァ?』


地下室の奥、巨大な女神像がグニャリと歪み、そこから悍ましい巨大な一つ目の化け物がその姿を現した。


「……セラフィ。そこの小汚い信者たちを片付けなさい」

「ハッ! 御意のままに!!」


私は自分の親指の傷口から、ドクドクと赤い血を溢れさせる。それは瞬く間に形を成し、私の身の丈を超える巨大な『真紅の大鎌』へと変化した。


「神だか何だか知らないけれど。あなたの底の浅いやり方は、ひどく私の癪に障るのよ」

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