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泥まみれの大地と、白銀の忠犬

風が鼓膜を打つ轟音と共に、私の体は分厚い雲海を突き抜けた。

 視界を白く覆っていた霧が晴れた瞬間、目に飛び込んできたのは、どこまでも広がる薄暗い森と、ひび割れた荒野だった。


重力に引かれるまま落下しながら、私は指先を軽く噛み切る。

 滲み出た一滴の血を魔力で編み上げ、背中に薄紅色の『血の翼』を一時的に形成した。バサリ、と羽ばたきで急激な落下を相殺し、枯れ葉が積もる薄暗い森の中へと、音もなく静かに着地する。


「……酷い臭い」


思わず、鼻先をハンカチで覆った。

 鼻を突くのは、腐敗した土と、獣の獣臭、それに微かに混じる鉄錆のような血の匂い。

 永遠の春を保っていた無菌室のような『神の国』とは大違いだ。ここが、神々が気まぐれに創り出し、放置したゴミ箱のような世界――人間界。


足元を見れば、真っ白だった私のドレスの裾は、一歩歩いただけで泥水に汚れ、黒く染まってしまった。

 怠惰の神が、私を外に出したがらなかった理由が一つだけわかった気がする。ここは圧倒的に、美しくない。


「グルゥゥゥ……ッ」


ふと、木々の陰から低く濁った唸り声が響いた。

 視線を向けると、暗がりの中で爛々と光る複数の赤い瞳があった。全身から腐臭を放つ、狼のような姿をした異形の獣たち――魔獣だ。

 どうやら、空から落ちてきた美味そうな獲物(私)を狙って集まってきたらしい。その数はざっと十匹ほど。


「……歓迎の儀式にしては、随分と野蛮なのね」


私はため息をつき、再び自分の指先に歯を立てようとした。

 これくらい、私の血の刃なら一瞬で切り刻める。ただ、返り血でドレスがこれ以上汚れるのはひどく憂鬱だった。


――その時である。


「そこまでだ、下劣な獣共ッ!!」


頭上から、凛とした鋭い声が響き渡った。

 直後、銀色の閃光が木々の間を縫って垂直に落下してくる。

 ズドォォォン!! という凄まじい轟音と共に、私と魔獣たちの間に、土煙を上げて『何か』が降り立った。


砂埃が晴れたそこにいたのは、身の丈ほどもある巨大な白銀の盾を構えた、一人の騎士だった。

 青と白を基調とした洗練された甲冑。背筋をピンと伸ばした彼女は、振り返りもせずに私に向けて叫んだ。


「怪我はないか、少女! ここは危険だ、私の背後から絶対に離れるな!」

「……は?」


状況が飲み込めず、私は間の抜けた声を出してしまった。

 サラサラの茶色い髪を揺らしたその騎士は、身長が私よりも頭一つ分ほど高く、その後ろ姿からは隙のない熟練の空気が漂っている。


「安心しろ。私とて元は神の使いの端くれ……これしきの魔獣、一人残らず浄化してやる!」


彼女は巨大な盾を構えたまま、右手に握った長槍を魔獣の群れへと突き出した。

 なるほど、確かに彼女の身のこなしは見事だった。魔獣の鋭い爪を大盾で完璧に弾き返し、体勢を崩した隙を突いて的確に急所を貫いていく。

 しかし、いかんせん数が多かった。しかも彼女は、私という『守るべき対象』を背後に庇っているせいで、本来の機動力を全く活かせていない。


「チッ……! 背後に回ったか!」


一匹の魔獣が、盾の死角を突いて大きく跳躍した。

 その牙が向かったのは、騎士ではなく、無防備(に見える)私の方だった。


「危ないッ!!」


騎士の女は、己の身を挺して私に覆い被さるように飛び込んできた。

 ガキンッ! という鈍い音が響く。彼女の肩を覆う装甲が魔獣の牙に砕かれ、そこから鮮血が噴き出した。


「くっ……! だが、市民は絶対に守る……!」

「あの。……誰が、守ってくれと頼みましたか?」


私のひどく冷たい声に、痛みに顔を歪めていた騎士がポカンと口を開けた。

 私は、私を庇ってうずくまる彼女の横を静かに通り抜け、魔獣たちの前へと進み出る。


「な、何をしている!? 下がれと言っただろう、素人は……!」

「うるさいですね。泥跳ねが気になるから手を出さなかっただけなのに、あなたのせいでひどく面倒なことになりました」


私は右手の親指の腹を、犬歯で深く噛み切った。

 ツーッと赤い血の雫がこぼれ落ちる。


「……『展開』」


静かに呟いた瞬間。

 ポタッと地面に落ちた私の一滴の血が、爆発的な魔力を帯びて真っ赤な光を放った。

 それは瞬く間に巨大な『真紅の大鎌』へと形を変え、私の右手に収まる。


「な……なんだ、その禍々しくも……神聖な力は……!?」


背後で騎士が息を呑むのがわかった。

 私はステップを踏むことすら面倒に感じながら、ただその場で、優雅に大鎌を横薙ぎに一閃する。


――ヒュンッ。


風を切る音すら遅れて聞こえた。

 紅い軌跡が森の空間そのものを両断し、飛びかかってこようとしていた残りの魔獣たちの胴体を、一切の抵抗なく綺麗に真っ二つに切り裂いた。

 ドサリ、ドサリと、血の雨を降らせながら魔獣の肉塊が地に落ちる。


「……ふぅ。最悪。靴が汚れました」


血の鎌を霧散させ、私はハンカチで靴の先を拭いながら、呆然と尻餅をついている騎士を見下ろした。


「あなたは馬鹿なのですか? 相手の力量も測れずに、勝手に庇って怪我を負うなんて」

「あ……いや……その……」

「それに、先程『元・神の使い』と言いましたね。天使の輪も羽もないようですが、神の国から堕とされた堕天使ですか?」


私の問いかけに、騎士――セラフィと名乗った女は、ハッとして姿勢を正し、片膝をついて臣下の礼をとった。

 その真面目すぎる挙動に、私は少しだけ苛立ちを覚える。


「……仰る通りです。私はセラフィ・コーリー。かつては神の軍勢に身を置いていましたが、神々の身勝手な振る舞いと腐敗に異を唱え、この翼をもがれて下界へ追放されました」

「ふうん。どうりで、無駄に正義感が強いわけだわ」

「あなた様は……一体、何者なのですか? その禍々しい吸血鬼の力……しかし、同時に私の魂を震わせるほどの、恐ろしいほど純粋な『神聖な魔力』を感じます」


セラフィの青い瞳が、私を射抜くように見つめていた。

 その瞳の奥には、恐怖ではなく、圧倒的な『美』に当てられてしまった者のような、熱っぽい色が宿っている。


「私の名は、カノン・ノクターン」

 私はあえて、傲慢に顎を上げて言い放った。

「私はただ、あの退屈な神の国から自分の意志で降りてきただけ。神の庇護なんて、私には必要ないわ。……何か文句はあって?」


それは、元・天使に対する明らかな挑発だった。

 神の国を飛び出し、神の権威すらも鼻で笑う私を、彼女が敵とみなすなら、この場で切り捨てるまでのこと。

しかし。

 セラフィは目を見開いた後、震える両手で自分の胸当てを強く握りしめ、まるで本物の神を見るような、縋るような視線を私に向けた。


「……っ! あぁ……なんという気高さ……! 腐りきった神々ではなく、あなた様のようなお方こそが、真に頂点に立つべき存在だ……!」

「……はい?」

「カノン様! どうか、この行き場を失ったセラフィを、あなた様の『盾』としてお供させてはいただけないでしょうか!!」


地面に額を擦り付ける勢いで、彼女は叫んだ。

 えっ、何この人。急に重い。


「いや、結構です。あなたの盾、先ほど魔獣に普通に破られていましたし」

「そ、それはあなた様を庇ったためで……! 私は、守るべき主さえいれば、決して破られぬ絶対の盾となります! どうか、私のすべてをあなた様に捧げさせてください!!」

「……」


泥まみれの大地で出会った、最初の人間(元天使)。

 あまりにも真面目で、暑苦しくて、忠誠心のベクトルが振り切れているこの女との旅は、どう考えてもひどく面倒なことになりそうだった。


しかし、彼女の肩から流れる血を見て、私はほんの少しだけ、この愚直なまでの過保護さに胸の奥がチクリとするのを感じた。

 ――誰かを庇って傷つくなんて、あの怠惰な神様とそっくりだ。


「……勝手にしなさい。ただし、私の足を引っ張ったらすぐに捨てるから」

「ハッ! この命に代えましても、カノン様のお召し物を泥跳ねからお守りいたします!!」

「……そういう意味じゃないんだけど」


私は小さくため息をつき、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

 こうして、世間知らずの吸血令嬢と、重すぎる忠誠心を持った白銀の忠犬による、神殺しの旅がひっそりと幕を開けたのだった。

カノン・ノクターン(Kanon Nocturne)

本作の主人公

年齢 / 身長:17歳 / 158cm(華奢だが優雅なスタイル)

種族: XXXXと吸血鬼のハーフ

イメージカラー: 宵闇の紫 & 鮮血の赤

ビジュアル: 月明かりのような銀髪のロングヘアに、真紅の瞳。透き通るような白い肌。

武器・戦闘: 自身の血で創り出す刃(短剣、長剣、大鎌)。

性格: 世間知らずで上品だけど、敵には容赦なく冷酷。

備考:月に一度の吸血衝動がある。

次回2日後

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