狂乱の美食都市と、極上肉の品定め
深い森を抜け、私たちはついに西の果て――『暴食の神』が支配する国、『美食の都』へと足を踏み入れた。
「……すっごくいい匂い!」
街に入った瞬間、レヴィアが目を輝かせて鼻をヒクヒクさせた。
大通りには無数の屋台や豪奢なレストランが立ち並び、香ばしく焼けた肉の脂や、甘いスパイスの香りが絶え間なく漂っている。石畳の道は綺麗に掃き清められ、行き交う人々は皆、ふくよかな笑顔で食べ歩きを楽しんでいた。
一見すると、どこまでも平和で活気あふれる、食の理想郷。
「まずは、この国の通貨に両替しないとね」
私たちは関所で、手持ちの金貨をこの国専用の通貨に交換した。
渡されたのは、金属ではなく、硬く焼き上げられたビスケットのような質感の『貨幣』だった。
「この国では、何もかもが『食材』として扱われるのよ。このお金も、特殊な製法で作られた保存食になっていて、いざという時は食べられるらしいわ」
「へええ! 食べられるお金!」
「ちょっとレヴィア、それは旅の資金だから……あッ!」
私が言い終わるより早く、レヴィアが一番高額な『金貨ビスケット』を一枚、ポイッと口に放り込んでしまった。
「……んぐっ。カノン、これ美味しい! ちょっと甘い!」
「……はぁ。どうしても一口だけ、我慢できなかったのね」
呆れる私をよそに、「もう一枚!」とおねだりしてくる腹ペコ竜の頭を軽く叩き、私たちは街の散策と情報収集を始めた。
だが、歩き進めるうちに、私はこの街の『違和感』に気づき始めていた。
「ねえ、あそこの屋台……」
私が視線を向けた先では、巨大な鉄板の上で、見たこともない奇妙な肉が焼かれていた。
売り手の男に近づき、それとなく探りを入れてみる。
「珍しいお肉ね。……随分と活気があるけれど、この街の食材はどこから仕入れているの?」
「おう、お嬢ちゃんたち余所者かい? うちの国はなぁ、世界中から『あらゆる命』が集まってくるんだよ。美味けりゃなんだって食う。それが暴食の神様のルールだからな」
男はニタニタと笑いながら、焼き上がった肉をひっくり返した。
「魔獣、精霊、希少な亜人……ここじゃすべてが『食材ランク』で格付けされてるのさ。特に神殿へ卸される最上級の肉は、とびきり魔力が高くて、適度に運動して引き締まった……そう、あんたの護衛みたいな『極上の人間』とかな」
男の濁った瞳が、私やセラフィ、そしてミアの身体を、ねっとりと舐め回すように動いた。
色欲の国で向けられたような情欲ではない。それは、店頭に並んだ『霜降り肉』を品定めし、喉を鳴らすような――貪欲で下劣な『食欲』の視線だった。
「……下品な男。主の御前でなければ、その両目を潰しているところだ」
セラフィが不快そうに大盾を構え直す。
人間すらも食材として扱われ、法外な高値で取引される狂った国。
それが、この活気ある美食の都の真実だったのだ。
「……行くわよ。胸糞が悪くなるわ」
私は屋台から離れ、人混みの中へと戻った。
その時、向かいの通りで大きな魔獣の丸焼きが運ばれていくのが見えた。
「わぁっ! お肉の山だ!」と、目を輝かせたレヴィアがフラフラとその場を離れそうになる。
「こら、レヴィア。勝手に行動しないの」
「そうだぞトカゲ、主から離れるな。……おい野良猫、お前からもきつく言って……」
セラフィが私の後ろを振り返り、言葉を失った。
「……あれ。ミア?」
私も振り返るが、そこにミアの姿はなかった。
ほんの十数秒。レヴィアの気を引かれた一瞬の隙だった。過酷な環境を生き抜いてきた警戒心の強い彼女が、私に一言もなく姿を消すはずがない。
(……しまった)
背筋がスッと冷たくなった。
私の血を継いだ、あの純度の高い神聖な魔力。それに、無駄なくしなやかに引き締まった彼女の筋肉。
完全に『最高級の食材』として目をつけられ、プロの狩人に攫われたのだ。
「カノン様、ミアが……!」
「慌てないで。あの子の中には、私の血が流れているわ」
私は舌打ちをし、目を閉じて自身の血の繋がり(眷属の契約)を深く探った。
……微弱だが、ある。急速に意識を失っていく、微睡むような魔力の反応。強力な睡眠薬か何かを嗅がされたのだろう。
反応は、大通りの裏手にある、日の当たらない入り組んだ路地裏へと移動していた。
「セラフィ、レヴィア! 見つけたわ、行くわよ!」
私はドレスの裾を翻し、人混みを掻き分けて裏路地へと駆け込んだ。
薄暗い行き止まりの空間。そこには、麻袋を被せられ、完全に意識を失ったミアを、汚い荷車に積もうとしている数人の男たちがいた。
「ヒヒッ、大物だぜ! このしなやかな筋肉の付き方、極上の赤身肉だ! それにこの甘い魔力の匂い……暴食の神様の神殿に卸せば、一生遊んで暮らせる金になるぞ!」
男たちが下劣な笑い声を上げ、荷車に縄をかけようとした、その瞬間だった。
「――人の命をなんだと思ってるアルか、このゲス野郎どもォ!!」
頭上の建物の屋根から、一人の少女の怒声が響き渡った。




