才能オークション
才能が買える時代になった。
正確に言えば、売買できるようになった。
二〇四五年、ニューロリンク社が開発した「タレント・トランスファー・システム」——通称TTS。脳の神経回路パターンを抽出し、別の脳にインストールする技術。抽出された側の才能は消える。つまり、売ったら失う。ノーベル賞を三部門でもらった天才が開発した。ちなみに、その天才の才能はオークションに出品されていない。「売ったら自分がただの人になるから」だそうだ。賢い。
オークションサイト「タレント・マーケット」は、開設から三か月で世界最大のプラットフォームになった。
トップページを開くと、こんな具合である。
ピアノの才能(ショパンコンクール入賞レベル)——三億二千万円。
絵画の才能(写実系・油彩特化)——一億八千万円。
数学の才能(フィールズ賞候補レベル)——五億円。
カリスマ性(政治家向け・聴衆一万人規模対応)——七億円。
要するに、金持ちの遊びだ。
田中一郎は金持ちではない。
三十二歳、独身、メーカー勤務、年収四百八十万円。趣味は特にない。特技も特にない。顔は「普通」、身長は「平均」、性格は「無難」。合コンのプロフィールカードに書くことが何もない男だ。
強いて言えば、「特徴がないことが特徴」——と書いたら、幹事に「それ、書かないほうがマシ」と言われた。
金曜の夜、発泡酒を飲みながらタレント・マーケットを眺めていた。
三億。五億。七億。
見るだけでため息が出る。自分の年収では、カリスマ性の分割払いの頭金すら払えない。
ふと、画面の一番下にスクロールした。
「並び替え:価格の安い順」
押してみた。
一番安い才能——九百八十円。
九百八十円。ラーメン一杯より安い。
商品名を見た。
「人の話を最後まで聞ける才能」
田中は三秒間、画面を見つめた。
それから笑った。
才能って言うか、それ。それ、才能か? ただのマナーじゃないのか。
レビュー欄を見た。レビューはゼロ。出品から一年経って、誰も買っていない。
出品者のコメントが添えてある。
「四十年間カウンセラーをやっていました。引退するので出品します。大した才能ではありませんが、私の人生を作ってくれたものです。どなたか、使ってくだされば幸いです。——追伸。もし買ってくださった方がいたら、一つだけお願いがあります。感想を聞かせてください。四十年間、人の話を聞いてきましたが、私の話を聞いてくれる人は、一人もいませんでした」
田中は、もう一口発泡酒を飲んだ。
九百八十円。発泡酒二本分。
酔った勢いもあった。
——ポチッ。
翌朝、頭痛とともに「インストール完了」の通知が届いた。
* * *
月曜日。
変化は、会議で起きた。
課長の中島が、いつものように長い話を始めた。中島の会議は長い。結論が出ない。同じことを三回言う。部下は全員、ノートパソコンの裏で別の作業をしている。田中もそうだった——はずだった。
この日、田中は中島の話を最後まで聞いていた。
聞いていた、というか、聞けてしまった。途中で遮りたくならない。退屈だと思わない。中島の言葉の一つ一つが、ちゃんと耳に入ってくる。
不思議な感覚だった。
中島が同じことを三回言っているのは変わらない。だが、一回目と二回目と三回目で、微妙にニュアンスが違うことに気づいた。一回目は「提案」、二回目は「確認」、三回目は「お願い」だ。中島は、同じ言葉で三つのことを言っていたのだ。
会議が終わった後、田中は中島に言った。
「課長、さっきの件、要するに予算を増やしてほしいけど言い出せない、ってことですよね」
中島が目を丸くした。
「……分かるか?」
「三回おっしゃってましたから」
「俺は一回しか言ってないぞ」
「いえ、三回です。言い方が毎回違ってました」
中島が、じっと田中を見た。そして、生まれて初めて田中の名前を正確に呼んだ。
「田中。——お前に相談したいことがある」
* * *
一か月後。
田中は社内で「聞く田中」と呼ばれるようになった。
別に何も特別なことはしていない。ただ、人の話を最後まで聞いているだけだ。
だが、それがどうやら珍しいらしい。
先輩の話を最後まで聞いたら、「お前は初めてだ。俺の自慢話を最後まで聞いたやつは」と感動された。自慢話を聞いただけだ。
後輩の愚痴を最後まで聞いたら、「田中さんに聞いてもらったら、なんかスッキリしました」と言われた。アドバイスは一つもしていない。聞いただけだ。
取引先のクレーム電話を最後まで聞いたら、「あんたんとこの田中っていう人、いい対応するね」と褒められた。対応は何もしていない。聞いただけだ。
——聞いただけ。
それだけで、人の態度が変わる。
田中は不思議だった。こんな簡単なことを、なぜみんなやらないのだろう。
答えは、すぐに分かった。
ある日、同僚の話を聞いていたら、隣の席の佐藤が感心して言った。
「田中、よくそんなに人の話聞けるな。俺には無理だ。途中で自分の意見、言いたくなるもん」
「……それ、我慢してるわけじゃないんだけど」
「じゃあ聞きたいんだ?」
「聞きたいっていうか……聞こえるんだよ。相手が本当に言いたいことが」
佐藤がキョトンとした。「何それ。超能力?」
超能力じゃない。才能だ。九百八十円の。
ただ、一度だけ、裏目に出た。
同期の山本が、飲み会で異動の不満をこぼした。田中は最後まで聞いた。一時間、一言も口を挟まずに。
翌日、山本からメッセージが来た。
「きのうはありがとう。でも、正直、ちょっと寂しかった。田中がどう思ってるのか、一言でも聞きたかった」
田中はスマホを見つめた。
聞くことが全てじゃない。それは分かっている。でも、この才能は「聞く」だけだ。「返す」は、自分で見つけないといけない。
九百八十円の才能に、そこまでは含まれていなかった。
* * *
半年後。
田中はチームリーダーに抜擢された。
さらに半年後、部長に呼ばれた。
「田中くん。君の部署だけ、離職率がゼロだそうだな」
「はあ。特に何もしてませんが」
「人事がびっくりしてたよ。『あの部署だけ異常です』って」
「いえ、本当に。ただ話を聞いてるだけで」
部長が笑った。「それが一番難しいんだよ。——実は、子会社の経営が厳しくてな。社員の不満が噴出してる。田中くん、行ってくれないか」
田中は行った。
子会社の社員は怒っていた。給料が安い。残業が多い。上が何も聞いてくれない。
田中は三日間、ひたすら話を聞いた。
全員の話を、最後まで。
三日目の夜、一人の社員が言った。「田中さん。あんた、何もしてないのに、なんかこの会社ちょっとマシになった気がする」
「何もしてないから、ですかね」
「それ、どういう意味?」
「今まで、誰かが『聞いてくれ』って言ったとき、上の人は『解決策』を出そうとしたんだと思います。でも、多くの場合、『聞いてくれ』は、文字通り『聞いてくれ』なんです。解決してほしいんじゃない。聞いてほしいだけなんです」
社員が黙った。
「……あんた、カウンセラーか何かか?」
「いえ、メーカー勤務です。入社した時の年収は四百八十万でした」
「嘘だろ。その才能で四百八十万は安すぎる」
才能。
九百八十円の。
その夜、アパートに帰った。
靴を脱いだ。「おかえり」と言う人はいない。
今日、子会社で何があったか。何人の話を聞いたか。何を感じたか。——それを話す相手が、いない。
発泡酒を開けた。一人で飲んだ。
二本目を開けた。あの出品ページを見に行った。追伸の一文が目に入った。
「四十年間、人の話を聞いてきましたが、私の話を聞いてくれる人は、一人もいませんでした」
——同じだ。
この人も、同じだったんだ。
発泡酒が、いつもより苦かった。
* * *
一年後。
田中は、タレント・マーケットを久しぶりに開いた。
あの才能の出品ページを見に行った。
ページは消えていた。
出品者の名前を検索した。引退カウンセラー。七十二歳。
もう一つ検索結果が出てきた。訃報だった。
三か月前に亡くなっていた。
田中は画面の前で、しばらく動けなかった。
出品者のコメントを思い出す。
「大した才能ではありませんが、私の人生を作ってくれたものです」
大した才能だ。
これ以上ないくらい、大した才能だ。
あなたの四十年が、九百八十円で売られていたことが、この世界の何かを物語っている。でも、あなたの四十年が、僕の人生を変えたことも、事実です。
そして——あなたの話を、聞きたかった。
追伸に書いてありましたね。「四十年間、私の話を聞いてくれる人は、一人もいませんでした」と。
僕も同じでした。だから、分かります。
レビューを書いた。
このサイトでの、あの商品への、最初で最後のレビュー。
* * *
「おすすめ度:★★★★★」
「この才能は、サイトで一番安い商品でした。九百八十円。コンビニのおにぎりより安い。」
「でも、今なら分かります。」
「世界で一番高い才能は、カリスマ性でも、数学の天才でも、芸術的センスでもありません。」
「誰かの話を——最後まで、ただ聞くこと。」
「それだけで、人は変わります。世界が少しだけ、静かに、変わります。」
「九百八十円。人生で最高の買い物でした。」
「出品者の方へ。ありがとうございました。あなたの才能は、ちゃんと届きました。——そして、あなたの話も、ちゃんと聞こえました。」
* * *
翌月、タレント・マーケットに異変が起きた。
田中のレビューがバズった。世界中で読まれた。
「人の話を最後まで聞ける才能」の検索数が急上昇した。
だが、もう誰も出品していない。あの老カウンセラーの一品だけが、この世に存在した唯一の在庫だったからだ。
サイトの注意書きが更新された。
「本商品は完売しました。再入荷の予定はありません。——なお、この才能は、オークションではお買い求めいただけませんが、どなたでも、今日から、ご自分で身につけることができます」
サイト管理者がこの注意書きを書いたのか、それとも——。
田中は、少しだけ笑った。
たぶん、誰かの話を、最後まで聞いた人が書いたのだろう。
(了)
お読みいただきありがとうございます!
「一番安い才能が、一番大事だった」——そんなお話を書いてみました。
シニカルな構造と温かい人間観。両方を混ぜたらどうなるだろう、という実験です。「聞くこと」は簡単に見えて、実は一番難しい。そして、聞いてもらえない人が一番寂しい。
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排水溝を直し、台帳を作り、十三歳の少女領主に予算の組み方を教える——チートなしの元地方公務員が、ぶっ壊された領地を「普通の行政」で立て直す全三十九話。 短編版を読んでくださった方にも、初めての方にも楽しんでいただける構成にしています。
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