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才能オークション

掲載日:2026/03/08

 才能が買える時代になった。


 正確に言えば、売買できるようになった。


 二〇四五年、ニューロリンク社が開発した「タレント・トランスファー・システム」——通称TTS。脳の神経回路パターンを抽出し、別の脳にインストールする技術。抽出された側の才能は消える。つまり、売ったら失う。ノーベル賞を三部門でもらった天才が開発した。ちなみに、その天才の才能はオークションに出品されていない。「売ったら自分がただの人になるから」だそうだ。賢い。


 オークションサイト「タレント・マーケット」は、開設から三か月で世界最大のプラットフォームになった。


 トップページを開くと、こんな具合である。


 ピアノの才能(ショパンコンクール入賞レベル)——三億二千万円。

 絵画の才能(写実系・油彩特化)——一億八千万円。

 数学の才能(フィールズ賞候補レベル)——五億円。

 カリスマ性(政治家向け・聴衆一万人規模対応)——七億円。


 要するに、金持ちの遊びだ。


 田中一郎は金持ちではない。


 三十二歳、独身、メーカー勤務、年収四百八十万円。趣味は特にない。特技も特にない。顔は「普通」、身長は「平均」、性格は「無難」。合コンのプロフィールカードに書くことが何もない男だ。


 強いて言えば、「特徴がないことが特徴」——と書いたら、幹事に「それ、書かないほうがマシ」と言われた。


 金曜の夜、発泡酒を飲みながらタレント・マーケットを眺めていた。


 三億。五億。七億。


 見るだけでため息が出る。自分の年収では、カリスマ性の分割払いの頭金すら払えない。


 ふと、画面の一番下にスクロールした。


 「並び替え:価格の安い順」


 押してみた。


 一番安い才能——九百八十円。


 九百八十円。ラーメン一杯より安い。


 商品名を見た。


 「人の話を最後まで聞ける才能」


 田中は三秒間、画面を見つめた。


 それから笑った。


 才能って言うか、それ。それ、才能か? ただのマナーじゃないのか。


 レビュー欄を見た。レビューはゼロ。出品から一年経って、誰も買っていない。


 出品者のコメントが添えてある。


 「四十年間カウンセラーをやっていました。引退するので出品します。大した才能ではありませんが、私の人生を作ってくれたものです。どなたか、使ってくだされば幸いです。——追伸。もし買ってくださった方がいたら、一つだけお願いがあります。感想を聞かせてください。四十年間、人の話を聞いてきましたが、私の話を聞いてくれる人は、一人もいませんでした」


 田中は、もう一口発泡酒を飲んだ。


 九百八十円。発泡酒二本分。


 酔った勢いもあった。


 ——ポチッ。


 翌朝、頭痛とともに「インストール完了」の通知が届いた。


    * * *


 月曜日。


 変化は、会議で起きた。


 課長の中島が、いつものように長い話を始めた。中島の会議は長い。結論が出ない。同じことを三回言う。部下は全員、ノートパソコンの裏で別の作業をしている。田中もそうだった——はずだった。


 この日、田中は中島の話を最後まで聞いていた。


 聞いていた、というか、聞けてしまった。途中で遮りたくならない。退屈だと思わない。中島の言葉の一つ一つが、ちゃんと耳に入ってくる。


 不思議な感覚だった。


 中島が同じことを三回言っているのは変わらない。だが、一回目と二回目と三回目で、微妙にニュアンスが違うことに気づいた。一回目は「提案」、二回目は「確認」、三回目は「お願い」だ。中島は、同じ言葉で三つのことを言っていたのだ。


 会議が終わった後、田中は中島に言った。


 「課長、さっきの件、要するに予算を増やしてほしいけど言い出せない、ってことですよね」


 中島が目を丸くした。


 「……分かるか?」


 「三回おっしゃってましたから」


 「俺は一回しか言ってないぞ」


 「いえ、三回です。言い方が毎回違ってました」


 中島が、じっと田中を見た。そして、生まれて初めて田中の名前を正確に呼んだ。


 「田中。——お前に相談したいことがある」


    * * *


 一か月後。


 田中は社内で「聞く田中」と呼ばれるようになった。


 別に何も特別なことはしていない。ただ、人の話を最後まで聞いているだけだ。


 だが、それがどうやら珍しいらしい。


 先輩の話を最後まで聞いたら、「お前は初めてだ。俺の自慢話を最後まで聞いたやつは」と感動された。自慢話を聞いただけだ。


 後輩の愚痴を最後まで聞いたら、「田中さんに聞いてもらったら、なんかスッキリしました」と言われた。アドバイスは一つもしていない。聞いただけだ。


 取引先のクレーム電話を最後まで聞いたら、「あんたんとこの田中っていう人、いい対応するね」と褒められた。対応は何もしていない。聞いただけだ。


 ——聞いただけ。


 それだけで、人の態度が変わる。


 田中は不思議だった。こんな簡単なことを、なぜみんなやらないのだろう。


 答えは、すぐに分かった。


 ある日、同僚の話を聞いていたら、隣の席の佐藤が感心して言った。


 「田中、よくそんなに人の話聞けるな。俺には無理だ。途中で自分の意見、言いたくなるもん」


 「……それ、我慢してるわけじゃないんだけど」


 「じゃあ聞きたいんだ?」


 「聞きたいっていうか……聞こえるんだよ。相手が本当に言いたいことが」


 佐藤がキョトンとした。「何それ。超能力?」


 超能力じゃない。才能だ。九百八十円の。


 ただ、一度だけ、裏目に出た。


 同期の山本が、飲み会で異動の不満をこぼした。田中は最後まで聞いた。一時間、一言も口を挟まずに。


 翌日、山本からメッセージが来た。


 「きのうはありがとう。でも、正直、ちょっと寂しかった。田中がどう思ってるのか、一言でも聞きたかった」


 田中はスマホを見つめた。


 聞くことが全てじゃない。それは分かっている。でも、この才能は「聞く」だけだ。「返す」は、自分で見つけないといけない。


 九百八十円の才能に、そこまでは含まれていなかった。


    * * *


 半年後。


 田中はチームリーダーに抜擢された。


 さらに半年後、部長に呼ばれた。


 「田中くん。君の部署だけ、離職率がゼロだそうだな」


 「はあ。特に何もしてませんが」


 「人事がびっくりしてたよ。『あの部署だけ異常です』って」


 「いえ、本当に。ただ話を聞いてるだけで」


 部長が笑った。「それが一番難しいんだよ。——実は、子会社の経営が厳しくてな。社員の不満が噴出してる。田中くん、行ってくれないか」


 田中は行った。


 子会社の社員は怒っていた。給料が安い。残業が多い。上が何も聞いてくれない。


 田中は三日間、ひたすら話を聞いた。


 全員の話を、最後まで。


 三日目の夜、一人の社員が言った。「田中さん。あんた、何もしてないのに、なんかこの会社ちょっとマシになった気がする」


 「何もしてないから、ですかね」


 「それ、どういう意味?」


 「今まで、誰かが『聞いてくれ』って言ったとき、上の人は『解決策』を出そうとしたんだと思います。でも、多くの場合、『聞いてくれ』は、文字通り『聞いてくれ』なんです。解決してほしいんじゃない。聞いてほしいだけなんです」


 社員が黙った。


 「……あんた、カウンセラーか何かか?」


 「いえ、メーカー勤務です。入社した時の年収は四百八十万でした」


 「嘘だろ。その才能で四百八十万は安すぎる」


 才能。


 九百八十円の。


 その夜、アパートに帰った。


 靴を脱いだ。「おかえり」と言う人はいない。


 今日、子会社で何があったか。何人の話を聞いたか。何を感じたか。——それを話す相手が、いない。


 発泡酒を開けた。一人で飲んだ。


 二本目を開けた。あの出品ページを見に行った。追伸の一文が目に入った。


 「四十年間、人の話を聞いてきましたが、私の話を聞いてくれる人は、一人もいませんでした」


 ——同じだ。


 この人も、同じだったんだ。


 発泡酒が、いつもより苦かった。


    * * *


 一年後。


 田中は、タレント・マーケットを久しぶりに開いた。


 あの才能の出品ページを見に行った。


 ページは消えていた。


 出品者の名前を検索した。引退カウンセラー。七十二歳。


 もう一つ検索結果が出てきた。訃報だった。


 三か月前に亡くなっていた。


 田中は画面の前で、しばらく動けなかった。


 出品者のコメントを思い出す。


 「大した才能ではありませんが、私の人生を作ってくれたものです」


 大した才能だ。


 これ以上ないくらい、大した才能だ。


 あなたの四十年が、九百八十円で売られていたことが、この世界の何かを物語っている。でも、あなたの四十年が、僕の人生を変えたことも、事実です。


 そして——あなたの話を、聞きたかった。


 追伸に書いてありましたね。「四十年間、私の話を聞いてくれる人は、一人もいませんでした」と。


 僕も同じでした。だから、分かります。


 レビューを書いた。


 このサイトでの、あの商品への、最初で最後のレビュー。


    * * *


 「おすすめ度:★★★★★」


 「この才能は、サイトで一番安い商品でした。九百八十円。コンビニのおにぎりより安い。」


 「でも、今なら分かります。」


 「世界で一番高い才能は、カリスマ性でも、数学の天才でも、芸術的センスでもありません。」


 「誰かの話を——最後まで、ただ聞くこと。」


 「それだけで、人は変わります。世界が少しだけ、静かに、変わります。」


 「九百八十円。人生で最高の買い物でした。」


 「出品者の方へ。ありがとうございました。あなたの才能は、ちゃんと届きました。——そして、あなたの話も、ちゃんと聞こえました。」


    * * *


 翌月、タレント・マーケットに異変が起きた。


 田中のレビューがバズった。世界中で読まれた。


 「人の話を最後まで聞ける才能」の検索数が急上昇した。


 だが、もう誰も出品していない。あの老カウンセラーの一品だけが、この世に存在した唯一の在庫だったからだ。


 サイトの注意書きが更新された。


 「本商品は完売しました。再入荷の予定はありません。——なお、この才能は、オークションではお買い求めいただけませんが、どなたでも、今日から、ご自分で身につけることができます」


 サイト管理者がこの注意書きを書いたのか、それとも——。


 田中は、少しだけ笑った。


 たぶん、誰かの話を、最後まで聞いた人が書いたのだろう。


(了)

お読みいただきありがとうございます!


「一番安い才能が、一番大事だった」——そんなお話を書いてみました。


シニカルな構造と温かい人間観。両方を混ぜたらどうなるだろう、という実験です。「聞くこと」は簡単に見えて、実は一番難しい。そして、聞いてもらえない人が一番寂しい。


☆評価・ブックマーク・感想——どれか一つでも、ものすごく励みになります。


***


凡人枠シリーズ初の長編連載、毎日更新中です。


この短編で描いた「一番安い才能が、一番大事だった」というテーマを、

異世界ファンタジーでやるとどうなるか——それがこの連載です。


排水溝を直し、台帳を作り、十三歳の少女領主に予算の組み方を教える——チートなしの元地方公務員が、ぶっ壊された領地を「普通の行政」で立て直す全三十九話。 短編版を読んでくださった方にも、初めての方にも楽しんでいただける構成にしています。


→【連載版】チートで荒らされた領地に赴任したら、前世が地方公務員だったので普通の行政で立て直すことにした


***


同じ作者の短編もあります:

→ 悪役令嬢、断罪されたので反対尋問します ~前世が弁護士チートなしなので、法的思考で王子に和解を呑ませてもいいですか?~

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― 新着の感想 ―
↓短編ならでは、っての同意ですねぇ 短いこと自体に意味があるオハナシ 過不足なくちょこんと佇む風情 良いお話でした (最後まで聞くことの可否は別途。リアル実行するとリソースが枯渇するリスクもある…
いつも味のあるお話をありがとうございます。 短編の特性を生かし、過不足なく、印象に残るお話の数々を楽しませていただいてます。連載版ももちろん楽しみにしてますですよ。 今回も、興味深い着眼点からの佳品を…
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