第七章:炎の中の真実
旅館の中が一気に騒然となった。
「みんな!外へ逃げて!」
女将が大きな声で叫んだ。
らことこころがお客さんたちを誘導し始める。
長老たちも一斉に出口へ向かった。
しかし、かがり火を倒してしまった猫はその場で固まったまま動けずにいた。
驚いて体が硬直してしまったのだ。
「危ない!早く逃げるんだ!」
動けない猫にいち早く気づいた灯真は迷わず手にしていた猫神石を放り投げて走った。
猫神石は放物線を描いて宙を舞い畳の上を転がっていく。
灯真は炎の中へ飛び込み、動けなくなった猫を抱え上げて走った。
ジャケットの裾が焦げ、煙が肺に入り込んで激しく咳き込む。
それでも灯真は走り続けた。
「大丈夫か!?」
灯真は猫を抱いて安全な場所に避難させた。
その時だった。
バキバキバキッ!
旅館の二階部分が音を立てて崩れ始めた。
「危ない!」
みんなが後ろに下がる。
だが、らこだけが動けなかった。
崩れ落ちてくる柱を見上げ、恐怖で足が竦んでいたのだ。
「お姉ちゃん!!!」
こころの叫び声と同時にらこは咄嗟に目を閉じた。
ドサッ!
「...あれ...痛くない?」
らこは誰かの温かさに包まれていた。
「……お婆さん?」
らこが目を開けるとそこにはさちの顔があった。
さちの額からは血が流れている。
落ちてくる柱から、らこをかばって守ったのだ。
「良かった……無事で……」
さちは優しく微笑んだ。
しかし、らこはその笑顔を見て怒りが込み上げてきた。
「なんで…!!…なんでそんな怪我までして私を助けたの!?」
らこはさちの胸を叩いた。
「あの時は……あの時は私たちにあんな酷い事をしたくせに!!」
らこは涙が溢れてきた。
女将と出会う前に二人に起きたあのできごとは、らこの中でずっと消えない記憶になっていた。
「らこちゃん?…だったかしら」
さちが優しくらこの頭を撫でた。
「あの時の……猫ちゃんだったのね」
さちの目にも涙が浮かんでいた。
「あの時は怖い思いをさせてごめんなさい。でもね、実はあの缶詰には毒が入っていたの」
「……え?」
らこの動きが止まった。
「あの地域では野良猫が大量に繁殖してて人間の畑とかを荒らしていたの。その対策として、毒入りの缶詰が罠として置かれていたのよ」
らこは信じられない表情をしていた。
「お姉ちゃん……」
こころがらこの隣に座った。
「お姉ちゃん...ごめんね。私...知ってたの。さちさんが私たちを守るために缶詰を蹴り飛ばしてくれたこと」
こころは小さな声で続けた。
「さちさんが缶詰を蹴り飛ばす時の必死な顔が、私たちに意地悪してる顔じゃないように見えて。それで周りを見たら毒入りの缶詰の看板が立ってたの」
「それにさちさん、あの後ちゃんと餌をくれようとしてたんだよ? 安全な餌をね。でもお姉ちゃんが怒って逃げちゃったから……」
こころの話を聞いて、らこの記憶が少し蘇ってきた。
(そう言えばあの時...缶詰を蹴り飛ばされた後、お婆さんはカバンから何か出そうとしていた気がする。でも私は怒りと恐怖でこころの手を引いて逃げ出しちゃったんだ...)
「そんな…」
らこの体から力が抜けていった。
「ずっと……勘違いしてたの……?」
さちは優しく微笑んだ。
「あの時も、今も、私はただあなたたちを守りたかっただけよ」
らこの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
らこはさちに抱きついた。
今まで抱いていた人間への憎しみが音を立てて崩れていく。
「それと...ありがとう…助けてくれて」
さちはらこの背中を優しく撫で続けた。
時を同じくして大きな声が聞こえた。
「待て!」
長老が火の海に飛び込もうとしている灯真を呼び止めた。
「でも猫神石が……俺が取りに——」
「ならん!代わりにわしが行く!」
長老も走り出そうとする。
「二人ともダメ!」
女将が二人の前に立ちはだかった。
「私が取りに行くから。だから二人はらことこころと一緒に避難誘導を続けて!」
こころは心配そうな表情で女将に声をかけた。
「女将!もう危ないからあきらめよ?石がよりも命の方が大事だよ!」
灯真と長老も女将を引き止める。
「ダメじゃ、危険すぎる!」
しかし女将は優しく微笑み、走り出した。
炎の壁をかいくぐり煙の中を進んでいく。
目が痛い、肺が苦しくて息ができない...それでも女将は前に進んだ。
(せっかく...せっかくみんな分かり合えてきたのに...)
猫も人もお互いに歩み寄り始めていた。
(みんなのためにも……猫神石を必ず見つけ出す!)
その時女将の目に猫神石の輝きが映った。
ロビーの中央、炎に囲まれた場所で猫神石は静かに光を放っていた。
女将は走って手を伸ばした。
その瞬間——
バキッ!
天井の梁が女将の頭上に倒れてきた。
「女将———!!!」
こころが大きな声で叫ぶ。
(ああ…私ダメかも...)
時間が止まったように感じられた。
(これで終わりなのかな。やっとみんな一つになれて、やりたいこともまだたくさんあったのに——)
(ここで終わるのは嫌だよ...)
女将の心の奥底から何かが湧き上がってきた。
(…まだあきらめたくない!)
その瞬間、女将の瞳が変わり体から眩い光が放たれた。
どごぉぉぉん!
不思議な力が倒れてきた梁と周囲の炎を払い除けるかのように吹き飛ばした。
女将自身も何が起こったのかわからなかった。
ただ、目の前には猫神石があった。
女将はそれを大事に掴み、胸に抱いて走った。
***
「女将!!!」
旅館の外でらことこころが叫んだ。
炎に包まれた旅館の入り口から女将が飛び出して来た。
「女将!」
灯真と長老も駆け寄った。
女将は猫神石を長老に手渡したが、大量の煙を吸っていたため膝をついてその場に倒れこんだ。
「大丈夫か!?」
長老は猫神石を放り投げて女将の背中をさすった。
「……猫神石は?」
女将が顔を上げると、長老は静かに首を横に振った。
「もういらんよ」
「え?」
「お前が命をかけて取り戻してくれた。それでわしは気づいた」
長老は猫神石を見つめた。
「石よりも大切なものがある。それは……相手を思いやる心だ」
長老は灯真を見た。
「お前も猫神石を捨ててまでも村の仲間を助けてくれてありがとう」
灯真は照れくさそうに頭を掻いた。
「当たり前ですよ。人間でも猫でも命のほうが大事ですからね」
争いも落ち着き、年長者のさちもどこかほっとした様子を見せている。
そんなさちを見て長老が声をかけた。
「さちさん...でしたかな?気のせいかもしれんが以前にどこかで会ったことありませんか?」
「さぁ...人違いだと思いますよ笑」
さちは不思議な笑みを浮かべて答えた。
***
燃え盛る旅館を前に全員が集まっていた。
旅館は完全に崩れ落ち、もう原型を留めていなかった。
女将の目から涙がこぼれた。
「女将……」
らことこころが女将の両脇に寄り添った。
「ありがとう。大丈夫だよ...また作ればいいから」
女将は涙を拭いみんなを見渡した。
「ここにいるみんなは悪くない!」
女将は長老を見た。
「長老は悪い人間に傷つけられた過去があったから人間が怖かっただけ」
次に灯真を見た。
「灯真さんも娘さんのために必死だっただけ」
そしてさちさんを見た。
「さちさんはらことこころを守ろうとしてくれただけ」
女将は微笑んだ。
「誰にでも勘違いはあるし、みんなそれぞれに自分の正義があるから揉めるのは仕方無いと思う。でも……今はこうして分かり合えた!」
女将は猫神石を手に取った。
「猫も人もみんな同じ。みんな誰かを大切に思ってる」
長老が頷いた。
「……そうじゃな」
長老は灯真に深々と頭を下げた。
「すまなかった。お前を悪者だと決めつけた」
「いえ……俺も勝手に猫神石を……」
灯真が頭を下げようとすると女将が笑った。
「ねねっ!灯真さん!旅館で働きませんか?」
「え!?」
「トレジャーハンターは危ないし、収入も不安定でしょ? うちは人手不足だから凄く助かるんですけど...」
「まぁまずは旅館を作り直す所からになりますけどね笑」
女将はにっこりと笑った。
「お給料は毎月ちゃんと払いますし、娘さんの治療費も心配いりませんよ!」
灯真の目が大きく見開かれた。
「本当に……いいんですか?」
「もちろん! これからはみんなで一緒に旅館を作り直しましょう」
女将の言葉にみんなが笑顔になった。
炎は旅館を完全に焼き尽くした。
それと同時に、みんなの心の中にあった壁も一緒に燃やし尽くしてくれたのだった。




