第六章:それぞれの思い
「お……お婆さん……?」
女将の声が震えていた。
お婆さんは優しく微笑んだ。
「あら、この旅館の女将さんかしら?素敵な旅館ね」
女将は信じられないという顔をしていた。
ずっと探してたけど、心のどこかではもう会えないかもって思っていたのだ。
「お婆さん……本当に...お婆さんなんですか?」
「あら?私たちどこかで会ったかしら?」
お婆さんは首を傾げた。
女将は涙をこらえながら言った。
「私……夜凪です!あの時...浜辺で...カルパスをくれて...名前をつけてくれた……」
お婆さんの目が大きく見開かれた。
「え……あの時の猫ちゃん!?」
「はい...」
女将の目から涙がこぼれ落ちた。
「ずっと、ずっと探してました。お婆さんにお礼が言いたくて……この旅館も最初はお婆さんを探すために作ったんです」
お婆さんは驚きながらも優しく微笑んだ。
「まぁ……そうだったのね!」
お婆さんは女将を優しく抱きしめた。
「凄く素敵な旅館ね、夜凪ちゃん」
女将はお婆さんの胸に抱きついた。
「ありがとうございます……本当にずっと会いたかった……」
お婆さんは女将の頭を優しく撫でながら言った。
「私も夜凪ちゃんにまた会いたい、ってずっと思ってたわ」
「でもまさか人間になっているなんてね笑」
女将が顔を上げるとお婆さんは穏やかに微笑んだ。
「そうだ、私の名前を教えてなかったわね。私は猫福幸って言うのよ」
「猫福……幸さん……」
女将はその名前を繰り返した。
「さちさん、って呼んでもいいですか?」
「ええ、もちろん。そう呼んでちょうだい」
女将は顔を赤くしながら喜んだ。
しばらくして女将は落ち着きを取り戻し、さちさんの手を取って少し離れた場所へ案内した。
「さちさん、実は……お話ししたいことがあるんです。」
女将はこれまでのことを包み隠さず話した。
「さちさん、私……本当は猫なんです。猫神石っていう不思議な石の力で人間の姿になったの」
さちさんは女将の目をじっと見つめた。
そして静かに微笑んだ。
「……知ってるわ」
「え?」
女将は驚いて目を見開いた。
さちさんは優しい瞳で女将に話した。
「あなたの瞳を見ればわかるのよ。あの時の私にそっくりだもの」
さちさんの言葉には何か深い意味が込められているような気がした。
「それに……」
さちさんは、らことこころを見た。
「あの子たちも元は猫ちゃんなのね」
女将は驚きながら頷いた。
「らことこころも私と同じ猫人族なんです。二人にはこの旅館の若女将をやってもらってます。」
「猫人族……」
さちさんはどこか懐かしそうに呟いた。
「さちさん、お願いがあるんです」
女将は真剣な顔をした。
「私たちのこと...他の人には内緒にしてもらえませんか?猫人族の村は人間に知られてはいけない秘密の場所で……もしバレたらみんなが危険にさらされるかもしれないんです」
さちさんは女将の手を握った。
「大丈夫よ、夜凪ちゃん」
さちさんは女将にそっと耳打ちした。
「全部わかっているから。心配しないでね」
その言葉に女将は不思議な安心感を覚えた。
「ありがとうございます...」
女将はほっとしたあとに続けて話した。
「それからあそこにいる猫たちも私の村の仲間なんです。先頭で人間と揉めているのが村の長老で……」
「あの人間は灯真さんという方で、村の猫神石を持ち帰ってしまって長老と喧嘩しているの...」
さちさんは理解したように頷いた。
「そうだったのね。だからあんなに言い争ってるのね」
二人が戻ると旅館の入口ではまだ長老たちと灯真が揉めていた。
「猫神石を返せ!」
長老の怒りはまだ収まっていない。
灯真は困ったような顔をしている。
「俺にも大事な娘がいるんだ……」
「知ったことか!」
猫たちが再び灯真に飛びかかろうとする。
その時——
「ダメ!」
女将が長老と村の猫のたちの前に立った。
そして長老の方を向いた。
「みんな落ち着いて私の話を聞いて!」
長老たちは灯真に鋭い爪を立てて威嚇している。
灯真は猫神石を胸に抱え、ただひたすら防御の姿勢を取っていた。
「長老、灯真さんは悪い人じゃないよ。ただ娘さんを助けたいだけなんだよ」
「だからと言って猫神石を盗んで言い訳ではない!」
女将は冷静に話を続けた。
「わかってる。でも灯真さんを見て?みんなはひっかいたりして灯真さんを傷つけてるのに灯真さんはみんなに一度も手を出してないよ?」
確かに灯真の腕にはいくつもの引っかき傷ができている。
しかし灯真は猫人族の誰一人として傷つけようとはしていなかった。
女将の言葉と真剣な目に長老と村のみんなは少しだけ心が動いた。
さちさんも優しく言った。
「そうね。みんなで話し合えばきっと解決できるわ」
灯真は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまねぇ…俺が悪かった。この石が猫たちの大事な石だとは知らなかったんだ...」
女将は灯真の肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ。あの場所は本来なら人間が踏み入れられない場所なの。きっと灯真さんの、娘さんへの強い思いが猫神石に引き寄せられたんですね。」
女将は灯真さんに優しく微笑んだ。
ようやく騒然とした場が落ち着き始めたと思ったその時、らこが女将のそばに駆け寄ってきた。
「女将…」
らこはさちさんを睨むような目で見ていた。
「らこ...?どうしたの?」
らこの体が小刻みに震えている。
こころは心配そうにらこを見つめていた。
女将はらこの様子がおかしいことに気づいた。
「らこ…もしかしてさちさんに何かあるの…?」
らこは拳を握りしめた。
「…この人」
らこの声が怒り震えている。
「この人が……あの時の人間だよ」
らこはこころを見た。
こころは何か言いたげな顔をしていた。
「前に話したよね?私たちが…森で彷徨ってた時のこと」
「私たちが森で見つけた缶詰を蹴り飛ばして。怒鳴ってきた人間の話…」
らこはさちさんを指さして叫んだ。
「この人がその時の人だよ!」
女将は信じられないような顔をしていた。
あの夜、浜辺であんなに優しくしてくれたさちさんがそんなことをするはず無いと思っていた。
らこは続けて話した。
「缶詰を蹴られてびっくりしちゃって…その後大声で何か言ってたけど凄い剣幕だったから…私たち怖くて急いで逃げ出して……」
らこの声が震えて止まりそうになる。
「その時から私は...人間は危険なんだって……」
こころはらこの手を握った。
「お姉ちゃん……」
さちさんは二人をじっと見つめて思い出した。
「あなたたち……もしかして……」
さちさんの顔に後悔の色が浮かんだ。
「あの時の……二匹の猫ちゃん……!?」
緊張した空気が流れる。
女将はみんなを見回した。
長老と村の猫たち。灯真。さちさん。らこととこころ。
運命に導かれるようにみんながこの旅館に集まった。
そして——
「今だ!」
村の猫の一匹が叫んだ。
みんなが話に気を取られている隙を突いて、一匹の村の猫が灯真に飛びかかったのだ。
「うわっ!」
灯真がよろめく。
猫神石を奪おうと猫が灯真の腕に爪を立てる。
「やめろ!」
長老が叫んだが遅かった。
灯真が後ろによろけ——
ガシャン!
旅館のロビーに置いてあったかがり火を倒してしまった。
かがり火はロビーの絨毯にあっという間に燃え移った。
「火事だよ!」
こころが叫んだ。
木造の旅館は火にとって格好の餌だった。
「みんな逃げて!」
女将が大きな声で叫び、火災報知機を鳴らした。
しかし火はどんどん大きくなっていく。
それぞれの思いを燃やし尽くすように。




