9 カートの訪問
ラデン王国王都リクロに無事たどり着くも、バール帝国の元聖女エストの侍女ティスは、目の回るような忙しさであった。
既に5日が経過している。
とにかく使用人が自分しかいない。雇用主であるエストの食事から身の回りの世話、そして屋敷の掃除に至るまで、すべてが自分の仕事だ。
(ああっ、もうっ!)
洗濯物を干し、屋敷の埃を拭き取りつつ、もはや口から文句を出す余裕すらもなく、ティスは心の内で悲鳴をあげていた。
(無駄に広いっていうか、1人で暮らすのに、なんでこんな大きな屋敷なのっていうか、あぁもう、手が回らない)
ティスは泣きそうになっていた。
せめてもう一人でもいいから、誰かを雇ってほしい。2人になれば負担は半分になる。3人なら三分の一だ。
(そうだわ、せめてエスト様が手伝ってくれれば。もう平民でしょ?金のある、平民なんだから)
ティスは一瞬、書斎に向かおうかと思うも止めた。
長年、使う機会のない神聖魔術の研究に勤しむことしかしてこなかったのが、エスト・エルニスという女性だ。
家事などやらせようものなら、自分の足を確実に引っ張るだけだろう。かえって邪魔だ。
「だから、やっぱり誰か、庭師でも料理人でも、侍女でもいいから増やしてくれないかしら」
ティスはため息をつくのだった。つまり自分の仕事は庭師に、料理人に、侍女に護衛だ。
だが、エストには金だけはあるのである。
(ある意味、凄い性格よね)
ティスは自身も傍に控えていて目撃した断罪劇を思い返す。
(普通、あの場面で手切れ金を要求できる?)
聖女であるという自負の強過ぎるエストにとって、 婚約破棄など些細なことだったらしい。動じることなく、犯罪を犯したわけでもないのに破談するのなら、応じてやるから手切れ金を寄越せ、とデズモンド皇子に要求したのである。
それをさらに吊り上げに吊り上げて、慎ましく過ごせば一生困らないだけの、纏まった額を得た上で追放されてやっているのだった。
しかし今のところ、住んでいるのは荒れ果てた屋敷だ。自身も暮らす場所でもあるので、ティスとしては誰に見られても恥ずかしくないよう、整えておきたいのだった。
(そう、まずは屋敷の中、埃とか汚れの目立つところを全部やって。お庭だって、せめて雑草と枯れ草だけはなんとかしたいわ)
1日で全部が出来るわけもない。ティスは自分なりに計画を立て、段階的に遂行しようとしているのだが。
外から屋内へ移ろうとするにあたり、書斎で一心不乱に書物に没頭しているエストが目に入る。
人員の増員を進言しよう、とティスは書斎へと向かうこととした。
「エスト様、失礼します」
ティスは主人に声を掛ける。古い本と埃の臭いについ、顔をしかめてしまった。
「次、って思ってたけど。やっぱりあの首飾りが欲しいわね。もう一回、あの森に入るしかないかしら」
物騒な独り言が耳に入ってきた。
この口だけ元聖女は何を言っているのだろうか。
(また、カート様たちに迷惑をかけるつもり?ううん、そもそも、次は助けていただけるか分からないわよ?)
ティスはカートの端正な顔を思い出す。
杖をつき身体を支えながら、足を引きずっていたのだが。キリッとした良い男である。
つい顔を思い浮かべてしまうし、この見苦しく無様な住まいを見せたくない相手だった。
「こんにちは」
ふと屋敷の中に男性の声が響いた。
誰の声だか分からないわけがない。ラデン王国の歩兵隊長カート・シュルーダーだ。
「あら、客だなんて珍しいわね。この国に来てから最初じゃないの?」
本を閉じてエストが呑気に言う。埃が本から飛んで舞う。
この人は埃すら片付けないまま書物に目を通していたらしい。最早、ティスは呆れてしまうのであった。
「どこの誰かしら?ティス、ちょっと見てきてくれる?」
一向にその場から立ち上がろうともせずにエストが頼んでくる。
言われずともそのつもりだ。
「はい、すぐ参ります。少々、お待ちください」
ティスは大声を上げて玄関へと向かう。相手の視界に入る前に、身体の汚れと髪、服装の乱れを確認する。
意を決してから扉を開けると、漆黒の軍服と同色の杖で身体を支えるカートが立っていた。
「急に来訪し、申し訳ありません。ラデン王国歩兵隊のカートであります」
丁寧にカートが頭を下げる。
「いえ、こんな見苦しいあばら家に、なんと申し上げるべきなんでしょう。本当に、その」
兎にも角にも、この屋敷をよりにもよって、カートに見られていることがティスには恥ずかしい。
真っ赤になって俯く。
「いや、大変でしょう?この広い屋敷に手を入れるのは?長く空き家でしたが、まさかバールの聖女様の所有とは私も存じませんでした」
柔らかく微笑んでカートが告げる。それでいて、有事には魔獣も失禁して逃げ出すような殺気を放つ。
「至らぬところばかりで、その」
ティスとしてはしかし、労られても返しが上手く出てこないのだった。
「少し、休む際などに召し上がってください。つまらないもので、お口に合うといいのですが」
更にはカートが薄い青色の紙で包装された菓子箱を手渡してくる。
「あ、本当にありがとうございます」
固辞する余裕もなくて、ティスは素直に受け取った。カートから物を貰えるというだけでも、小躍りして喜びたいぐらいだ。
ランパートの森で助けてくれた。魔獣に囲まれて一匹一匹はティスにも倒せそうでも、それが10数匹いたのである。
ティスとしては命の恩人だ。
「あの、御用は?エスト様に何か?」
ティスは思い出して尋ねる。さすがに自分一人のために来てくれるわけがない。
「いえ、ご多忙のところ、申し訳ありませんが」
カートが苦笑いを浮かべる。
何か悪い話だろうか。無意識的にティスは身構える。
「こちらを受け取って頂きたいのです」
差し出されたのは立派な封に入った招待状だ。
差出人はこの国のリオナ女王陛下である。
「これは」
カートと封書を見比べてティスは戸惑う。
「急で申し訳ありません。ご迷惑でしょうが、女王リオナ陛下の誕生日のパーティーに、私とともに出席していただきたいのです」
そしてカートからは驚くべき申し出を受けるのであった。




