79 牛鷲を倒す1
女王リオナからは再三にわたって、ティスを伴って戻るように要請されていた。
自分の朝は早い。日が昇ると、自然に目が覚める。身繕いに時間をかける方でもないから、朝食も比例して早くなるのだった。
今は一人、カートは朝食を摂っている。まだティスも目覚めてはいない。
(まったく、僻みが酷い御方だ)
カートは昨日の内に認めておいた返書を執事に渡して思う。懇切丁寧な断りの文面だ。
(当然、俺は戻るべきではない)
ティスと女王リオナがどうの、ということではない。単純に自身の領地を平穏に保つためには、自分自身が必要なのだった。
黒騎士こそ取り逃した格好だが、一方で、バール帝国に追いやってからは、確実にこの南東部からは侵入させていないとも言える。それだけでも女王リオナやラデン王国にとっては、大きな利益のはずだ。
「よろしいのですか?女王陛下直々の勅命を退けているわけですが」
遠慮がちに執事ガウトか尋ねてくる。確かに当然の懸念なのだが、カートもただ休むために残っているわけではない。
「黒騎士を取り逃したことの、これが俺の責任の取り方だ。2度と陛下の御身近くに魔獣を近寄らせん」
鼻を鳴らしてカートは告げる。
黒騎士如きに出し抜かれ、サカドゴミムシダマシ如きに王都リクロに侵入された。
(そりゃ歴代の先達達は、そんなことを気に病むことも無かったんだろうが)
カートは気にかけていた。
「それはそれで、違う誤解を招きそうな、お言葉ですが」
わけのわからないことをガウトが告げる。ため息交じりに、だ。
「何を誤解されるって言うんだ。俺に謀反の意思などあるわけもないというのに」
カートは首を傾げて言い返す。
あきれた顔を返されるばかりだった。この執事には自分も先達たちと同じ、腕力だけの愚か者だと思われているようだ。かねてから感じていることではある。
「そういうお話ではありません。先達様よりも賢明なシュルーダー閣下ですが、いやはや。ティス様も大変なことです」
更にガウトが首を横に振るのだった。
(だから、まったく何だというんだ)
憤慨してカートは問い詰めようと思うのだが。
「カート様、おはようございます」
鈴の鳴るような心地のよい声をティスにかけられて、断念する。
見ると既に身繕いを終えたティスが、たおやかに微笑んでいた。白いブラウスに臙脂色のロングスカートという清楚な出で立ちだ。後ろには侍女のルルを従えている。
(いやはや今日もお美しい)
言葉にならなくて心の内でこぼしていた。
毎朝のことだ。呆れたのか、またガウトがため息をつく。
ティスが微笑んだまま自分の向かいに腰掛ける。
「今日も、巡視に出られるのですか?」
咎めるようではない。ティスを伴うこともあれば、留守番をしてもらうこともあった。どちらを頼んでも、ティスから文句を言われたことはない。
(それでいて、いざとなったら突っ走りそうな、危うさも感じさせる)
つまりカートにとっては目が離せない。
「ええ、ようやく、私の見ている範囲では、問題が減ってきたように思うのです」
カートは口元をガウトの差し出してきた布巾で拭きながら答えた。
焼け石に水かもしれない。最初のうちはそうだとしても、水をかけ続ければ、やがて石も冷える。要は継続と執念が大事なのだ。
(俺としては、そういう方が好みでもある)
物量と力で押すのである。根っこのところは自分も先代たちと変わらない。
「国境が緩みきっていたことが問題なのでしょうね。私としては祖国の民がご迷惑をかけているわけですから、心苦しいのですけど」
可愛らしくティスが肩をすくめてみせる。表情は反して真剣そのものなのだが。
「ティス殿のせいではございませんよ」
カートは端的に答えた。個人に責任を負わせられる問題ではない。
自分が留守の間も、ティスがこの屋敷にて資料を読み漁っていることは知っていた。エフローを中心とする、ラデン王国南東部の問題はよく理解している。
「国の境、つまりは国の問題なのですから」
ラデン王国側の問題でもあり、もっと厄介なのはバール帝国側にも問題があるということだ。
「治安の維持は重要です。ここに戻ると身に沁みて思い知らされます。しかし、国としてはだいぶ良くなったので、もう一押しというところなのでしょうか」
治安が良ければ生産性が上がる。豊かさがまた豊かさを呼ぶ流れとなるのだから。
ラデン王国全体で見れば、女王リオナの統治により、平和を謳歌している状態であった。黒騎士にわずらわされ続けているバール帝国よりも、国民個人個人で見れば幸福な状況だとカートは思っている。
(まぁ、だからこちらにあちらから民が流れ込んでくる。そして、その流れ込む入り口がよりにもよって、この俺の領土というわけだ)
幸いにして、周囲の貴族たちも理解はあるので咎められたことはない。
(だが、咎められないから、このままで良い、というわけもない。正されるべきは正されなければ、な)
ちょうど領土に送り出されてきたのでカートは、思い悩んでいた物事に、かっちり対処をしておきたくなったのであった。




