78 臆病者2
アニスの婚約者デズモンドの腹心、騎士団長のアーノルドがエルニス公爵邸に訪れていた。
ラマールからの報告にアニスは唇を吊り上げて笑う。少なくとも婚約者デズモンドの前では絶対に見せない、皮肉な表情である。
「会います」
それでもアニスはラマールに答えていた。見苦しくないよう、服装を整えてから。
(お義姉様がいる時に、貴方は一度だって、この屋敷を訪れなかった。そのせいで、こんなことになった)
戦いの場ではとても頼りになる戦友なのだが。アニスはデズモンド以上に、アーノルドには厳しい目を内心では向けていた。
「よろしいのですか?お嬢様、無理に会うような間柄では」
客間へ先導するラマールの言うとおりだ。
アニスは皇太子デズモンドの婚約者なのだから、騎士団長が訪問してくるなど異様である。
「思惑を探って置きたいじゃありませんか」
笑ってアニスは応じた。
肩に感じる、仄かな疲労を思うにつけて、休憩の時間自体は名残惜しくもあるのだが。
(さて、と。何のお話かしら?)
客間へと辿り着く。
「急な来訪、申し訳ありません」
まっていました、とばかりにアーノルドが立ち上がって頭を下げる。
どこぞの戦場から直接、ここに来たらしい。薄汚れた白銀の鎧姿ままだ。
「本日はどういう用件で?騎士団長閣下が、父エルニス公爵の、この居宅を自ら訪れるだなんて、かなりの異例かと思いますが?」
気を使おうともアニスは思わない。
力量については高く評価している。
「いえ」
アーノルドが言葉に詰まる。
お互いに戦場では連携を取ってきた間柄だ。アニスがどうの、ということではなく、何か聞きづらいことを聞きに来たのだろう。
(察しはつくけど。私の方から水は向けてあげない)
笑顔の裏で、アニスは心を硬くした。
自分はかなりの変わり者だろう、と自覚はしていた。
義姉エストのことは敬愛しているが、その婚約者デズモンドを奪った格好だ。世間的には略奪愛に見えているのだろうが、自分はデズモンドよりもエストの方が好きなのである。
(多分、お義姉様が殿下に惚れていたら、あっさり身を引いたんじゃないかしら)
アーノルドのことも、戦友としてならともかく、人としては好きではない。むしろ嫌いなぐらいだと思う。
それでも表向きは微笑みを顔に貼り付けて、続くアーノルドの言葉を待つ。
「いえ、アニス様はこの状況を、どうお考えになりますか?聖女様が、エスト様が去られてから、この国は魔獣の出現が絶えません。黒騎士が力を増しただけでは、説明がつかないのではないかと」
アーノルドが一気に述べ立てる。
誰しもが思い至る結論だ。
「関連があったとして、なぜそれを私に?」
冷笑を浮かべたまま、アニスは訊き返す。
「アニス様は義理のお姉様にあたるエスト様と、仲睦まじかった記憶があるので」
自分の対応を、アーノルドが予測出来なかったらしく、露骨にたじろいでいた。
ただ答えるに値しない言葉になど、アニスもいちいち答えない。
「その、この国にお戻りいただくよう、依頼を出来ないかと、愚考しまして」
アーノルドが考えを白状した。
(本当に愚考。愚かな男)
内心でアニスは吐き捨てる。
「それで?この国では殿下のせいで、経歴に傷をつけられたお義姉様に、なんと言って戻って頂くんです?口さがない連中の悪口からどう守るおつもりなのです?」
アニスは試すつもりで問うてみる。
「それは」
言葉に詰まるアーノルドを、アニスは心底軽蔑した。
(この、臆病者が)
アーノルドが淡い感情をエストに向けていたことに、アニスは気づいていた。大したことではない。美しくて気立ての良いエストなのだから。器が小さ過ぎて破談にしたデズモンドの方が異様なのだ。
(でも、殿下はそれが一貫してて、分かりやすいから、私は好きなのよね)
アニスにとっては、エストに惚れていて、何もしなかったアーノルドの方が憎たらしい。
「また、私のいる位置に、皇太子殿下の婚約者として戻って頂くの?あんなことがあったのに?」
アニスは更に言葉を突きつける。
居並ぶ廷臣や貴族子弟の前で、手切れ金まで払ってエストを追い出したのだ。
その時、アーノルドもエストの味方をしなかった。ただ木偶の如く立っていただけだ。
「確かにアニス様の仰る通りですが、背に腹は代えられません」
つまり、自身の都合で、我が身可愛さのため、戻ってもらいたいということだ。
(そんなのは、ダメよ。お義姉様なら、それでも戻ってくださるかもしれないけど。だからこそ、尚の事、絶対にだめ)
エストが幸せになれるわけもない。また、肩身の狭い思いをさせることとなる。
「特に、デズモンド殿下にはどうお話になるおつもり?頭を下げて戻ってもらっておいて、その説得までお義姉様にさせるのです?」
硬い声のままアニスは問うていた。
「それは」
アーノルドが言葉に詰まる。
(自分が娶って、すべての責任を取るぐらいのことを言えないの?この男は)
だから臆病者だと言うのだ。
「お帰りください。そして、私から都合の良い言葉を引き出そうとしないでください」
アニスは苛立ちのままアーノルドを追い返すのであった。




