77 臆病者1
エストらがギガンヒッポスを討伐した頃、その義妹アニス・エルニスはバール帝国皇都にある公爵邸にて休憩を取っていた。
自室で、である。緑の壁紙に家具もお気に入りのものばかり。完全にくつろぐための空間だ。弓と矢など、武器庫とは完全に分けている。休憩用のソファに愛読書の満載された本棚まで備えられていた。
「疲れた」
ソファに倒れ込んでアニスは零す。
4日連続で出撃していた。
デズモンドにより、すべて日帰りで済むよう皇都近くの魔獣駆除ばかりが当てられていたのだが、それでも連日の戦闘は疲れる。
当然、弱小の魔獣相手であっても、命の危険と隣り合わせなのだから。緊張感もそれ相応だ。
クワトロテイルほどの大物も現れていない、というのも幸いしていた。だが、その他、弱小の魔獣自体はひっきりなしにあらわれる。
アニスもデズモンドの婚約者として、アーノルドと同程度の頻度で討伐に参加していた。
(やっぱり、聖女であるお義姉様が、この国からいなくなったせいなのかしら?アーノルド様はそう、お考えのようだけど)
ソファに寝そべったまま、クッションを抱きしめてアニスは思案する。
身体をくるりと寝返りで回して、ソファ脇の小机の方を向く。
手紙が来ていた。淡い紫色の封筒に入った、同色のハガキ。
ラデン王国の友人レビアからのものだ。義姉エスト含めラデン王国の近況を教えてくれていた。
「黒騎士がまた、この国に逃げ込んできたのね。お師様の手を逃れるなんて、流石というべきかしら。それとも、黒騎士を苦にせず追っ払うなんて、さすがお師様と考えるべきなのかしら」
思考をまとめるためにアニスは独り言を呟く。
なお、レビアからの手紙には、ひたすらパターガーの生還を喜ぶ内容ばかりが並んでいるのだが。
(好きねぇ、レビちゃんも)
凄惨な傷痕のせいで時には顔を画面で隠しているパターガーなのだが、レビアには懐かれていた。昔から内面や能力を目の当たりにしては、レビアが身悶えしていたものだ。自身も修行をパターガーにつけてもらっていた頃、当世代故に恋話に散々、付き合わされた。
(懐かれているって思ってるのはお師様だけで、本当は惚れられているのだけど)
パターガーにしてみれば、自分やレビアなど子供のような世代なのではないか。
そんなレビアにとって、今回の黒騎士追討任務は心配なものだったらしい。『あわよくばそっちで射殺しておいて』と物騒な文言まで書かれていた。
「でもね、レビちゃん、そんなことより私はお義姉様なのよ」
顔が見えない友人にアニスは告げる。
申し訳程度に義姉エストの近況も最後の方に書かれていた。
今は母である大聖女、アニスにとっても義母に当たる人の遺品を回収しようとしているとのこと。
「デズモンド殿下にせよ、アーノルド様にせよ。お義姉様の夫としては物足りないのよね」
では、パターガーかと言われれば、やはり見た目が怖すぎるのであった。手放しで惚れ込むのなどレビアぐらいのものだ。
アニス自身、師匠として敬愛はしていても、恋心とはならない。
(デズモンド殿下も私が結婚する分にはいいけど、お義姉様にはちょっと)
素直で可愛げのある人柄なのだが、そのせいなのか、エストの欠点を見つけて拒んだ。
(誰かが、バール帝国の皇室に入らなくちゃならないのなら、私が入ろうかなって。今でも間違えているとは思わない)
かねてからアニスはそう考えていた。
「あぁ、そうだわ。もう一人、思いもかけないことだけど。対処しなくちゃ」
アニスは呟いて立ち上がる。
忙しくて手がまわらなかった。レビアの手紙には、あのティス・メルンストが歩兵隊長カート・シュルーダーに見初められているらしいと。面白おかしく書いてあった。
(ティスさんも肝が太いこと。だって、カート・シュルーダー卿って、女王リオナ陛下の想い人じゃないのよ)
アニスもラデン王国で過ごした時期があるから分かる。とんだ大物にして難物をエストの侍女が射止めてしまったということだ。
「一応ね、ご家族には知らせておくべきよね」
アニスはティスについて、レビア越しに分かったことを書状にして書き連ねていく。
今のところ、何をどうするということもない。とりあえずティスの主君であるエストが巻き込まれなければ良いと思う。
(例えば女王リオナ陛下がレビちゃんにティスさんの暗殺依頼とかすると、それはもう、大変なことになるわけよ。お義姉様は御心を痛めるだろうし。ティスさんのご実家ぐらいには、下話をしておこうかしら)
ティスの実家であるメルンスト男爵家というのは、歴史の長い、エルニス公爵家の郎党だ。主に諜報や情報任務を生業としている。
知らせておけば、それとなく娘の身辺ぐらいは守るだろう。アニスは手紙を一筆、認めて背筋を伸ばした。
遠慮がちにノックの音が響く。
「お嬢様」
執事のラマールだ。
「お客人が来ております」
父ではなく、自分に、ということらしい。
「どちら様です?」
若輩であり、後妻の連れ子に自分は過ぎない。古参の執事ラマールなどには、いつも丁寧な口調で話すこととしていた。
「アーノルド閣下です」
その名前を聞いて、アニスは皮肉な笑みを浮かべるのであった。




