65 領地巡回1
長年、公爵令嬢にして聖女であるエストの面倒を見てきた。今は面倒を見られる側になってしまったようで、ティスは戸惑いを隠せない。
カートに連れられるまま、その領地にある屋敷を訪れていた。留守がちなカートではあるもののの、屋敷の方は使用人や執事たちによって、つつがなく運営されていたらしい。
(本当に軍の頂点で、貴族なのね)
なんとなくティスは思うのだった。
今もきびきびと動き回る庭師の男や侍女たちが窓越しに見える。
朝、顔を洗うための湯なども出された。いつもはエストに出す側だ。
「どうにもならないのは、治安の悪さだけですわ。それも旦那様が王都常駐でなければ、どうとでも出来ますのに」
家事手伝いの侍女であるルルが愚痴を吐き出す。栗色の髪をした、お仕着せ姿の少女である。
「そうなんですね」
自分もエストの侍女に過ぎない。丁寧な口調を崩すことも出来なかった。
この屋敷に着いて、カートからの紹介を受けてから下にも置かないもてなしが続いている。もう3日になるだろうか。
「治安が悪いと言っても、バール帝国側程、酷くないんですよね。あちらは魔獣が出るみたいで。おまけに土地も痩せてて、税も高いとか?」
更にルルがバール帝国側の悪条件を並べ立てる。
「それで、気持ちの荒んだ人たちが、この地方に流れ込んできたから、治安も悪化したんですね」
ティスにも何となく概況は掴めた。
国境を挟んで、この東西の地域についてはバール帝国側からもラデン王国側からも、距離が離れていて目が届かせづらい。
「だから、ちょっとした泥棒とか諍いとか。そういう犯罪が多くて。旦那様は本来、そういうのを見つけては叩く方が得意なぐらいですから」
ルルが衣装棚のほうへと向かう。
これもカートが準備させていたものらしい。女王リオナの生誕祭で採寸を知ったから出来たのだと弁明していた。
「だから、ラデン王国側では軍人の最高位であるカート様が、ここを受け持つことになったのですね?」
ティスは理解し、確認の意味で尋ねる。
そして話してばかりではルルの仕事が進まないので、貰ったお湯で顔も洗う。お湯の入ったこのお盆を下げないと、次の仕事へ進めない。
(まるで、貴族令嬢のような扱いだけど)
それをカートに告げたところ、笑ってそもそもが男爵令嬢だったのでしょう、と指摘された。
家業で密偵をしていて、行儀見習いで出される程度の男爵令嬢である。そこまではティスも言い返せなかったのだが。
「いいんでしょうか。私も勢いのまま、カート様に惹かれて、ここまでついてきてしまいましたけど」
とにかく気持ちを向けられている。それが嬉しくて、容姿も足こそ引きずっているものの端正だ。武力の面でも申し分ない。
(そして、とにかく私には優しくて、こうして尊重してくれる)
カートとのことを考えると、女王リオナの顔が浮かんでしまうのだが。
「でも、大抵はここまで行き着けないんですよ。女王陛下の圧が凄いから。ティス様はかなりのところまで来てるってことです」
鼻息荒く、ルルが言い放つ。
どうやら総じて屋敷の使用人たちが自分を支持してくれているらしいことを、扱いや言葉の端々からティスは察していた。カートが王都常駐になっていることで、女王リオナへの反感を持っているらしい。
(ただ、かなりのところって、どういうところなのかしら)
訊いてみたい気持ちもあるのだが。
「確かに凄い圧でした」
笑ってティスは言うに留めた。思い返すだけでも色々と恨み言が浮かぶ。
あの冷たい、まばたき1つしない視線は怖かった上、果てには買収までかけようとしてきている。
(さすがに暗殺とかまではされないと思うけど)
圧力だけならば、それぐらいの恐怖は覚えた。王都では安眠すらしていられない。最後にはそんな印象もあったからこそ、カートと来ることにしたのだ。
(あれは、カート様のことを、これっぽっちも諦めていない人の目だった。でも、カート様の方にそんな気持ちは無いんだから。それで、女性の方をああやって排除してきたの?それが、一国の長のすること?)
ティスとしては、本人に叩きつけてやりたい言葉だった。武芸に心得があり、密偵としての教育も受けてきた自分だから一歩も引かずにいられるのだ。
「陛下は多分、まだ旦那様に気があるんです。閣下の方はまるでそんな気はなくって。私は新参ですけど」
ルルが苦笑いだ。この屋敷にもよく、女王リオナが幼い頃、訪れていたのかもしれない。
「古参の人たちは、御二人が大きくなるまでは、慣例的にお姫様と歩兵隊長なら婚姻を結ばれるけど、女王となると別で、白紙となったみたいなんです。先王様たちのご判断で」
歩兵の国であるラデン王国だ。優秀な歩兵隊長を繋ぎ止めるため、代々政略結婚を結んできたところ、当代は子宝に恵まれなかったらしい。
(それで、早期にカート様の方は割り切って、女王陛下は割り切れないでいる。それで、この状態)
自分は巻き込まれたようなものなのかもしれない。
「女王陛下のお気持ちは分かるけど、でも、私も私の気持ちがあるから」
ティスはつぶやくのであった。




