57 聖女の影を偲ぶ2
アーノルドはエストの笑顔を思い出さずにはいられない。可憐で整った顔立ち。淡い紫の大きな瞳は吸い込まれるようだった。
「では、アーノルド、君は何が我が国には足りないと思う?」
何の気もなしに、デズモンド皇子が尋ねてくる。
エストを追放した張本人だが、自分を尊重してくれる人物でもあるから始末に負えない。
余り突き詰めると、デズモンド皇子の不興を買うであろう気持ちだ。婚約していたのがデズモンド皇子とエストだから、自分は身を引いた、という気持ちはある。
(そして、私の気持ちはともかくとして。本当にバール帝国が追い詰められるとなれば、最後に必要となるのは聖女様の、奇跡とも思えるような力だ)
アーノルドは大聖女だったエストの母を思い出す。
つまり今、必要なのは追い払ってしまったエストの力である。大聖女だった母に至らないまでも、本当に聖なる力を持つ少女だ。
(国として応援し、成長を助けるべき人だったはずだ)
アーノルドはかねてから、そう考えていた。
聖女エストが大成すれば、バール帝国は今よりも安全な国となっていただろう。
(そもそも、そのための、デズモンド殿下とのご婚約だったはずなのに)
なぜだか誰しもが忘れてしまったのであった。活躍する場面が現状無いからといって邪険にし、ましてや追放までするべきだったのか。アーノルドとしては疑問に思っていた。
(それこそ、私の剣技が通用しない。いや、剣そのものが通用しない魔獣があらわれたなら、我が国はどうするのだ)
アーノルドは立て続く魔獣襲来に危機感を募らせていた。
砂吐き大蛇もクワドロテイルも斬って斬れない相手ではない。だが、それもたまたまだったのではないか。
この世には剣では絶対に倒せない魔獣もいるだろう。今のところ、アーノルドが出会していないだけで。
「アーノルド?どうしたんだ?急に黙り込んでしまって」
デズモンド皇子が訝しげに問いかけてくる。
長く沈黙してしまっていたようだ。自分よりも学が深く賢いはずであるのに、危機感を覚えたことは無いのだろうか。
(そして、この方がエスト様を追いやってしまった。よりにもよって、行き先は野蛮な狂戦士の拓いたラデン王国だ)
ここ最近、アーノルドの脳裏につい浮かんでしまう考えだ。
騎士は皇族に忠義でなければならない。そう誓いも立てている。それでも自分は、デズモンドとエストの二人を支え、助けていくのだと思っていた。
破談してしまったことも男女のことである以上、相性もあるのだから仕方がないのかもしれない。それでも裏切られたように感じてしまう。
「いえ」
思っていることをそのまま告げるわけにもいかない。アーノルドは言葉に詰まる。
まして思いを吐き出したところで、聖女エストが帰ってくるわけでも、ラデン王国から返してもらえるわけでもない。
(追放する必要まではなかったのではありませんか?いや、私は何を。私にそれが、何の関係があると言うんだ)
ただ傍観して、剣を振ることに逃げていただけの臆病者が自分ではないか。
アーノルドは苦い思いを噛みしめる。
「何か頼みづらいことでは?例えばアーノルド様はこの国最強の剣士であられますが、魔獣襲来が激しくなれば、手に余るとか、足りないとか。でも、殿下も私も国民も陛下も期待してしまっているので、弱音が吐きづらいとか」
気を回したアニスが、なんとも惜しいことを言うのだった。
「あぁ、なるほど。確かにそうだね。それは、ありそうだ」
勝手にデズモンド皇子が納得してしまう。
「アーノルド、もし、不足している人材や装備、それに兵士の数もかな。私の可能な範囲で、しかし、全力で手配するよ」
デズモンド皇子も悪い人間ではないから、本人にとっても激務だろうに、提案をしてくれるのだった。
(いや、待て。ここで、エスト様のご帰還を手配してもらえば、提案すればよいではないか)
ふとアーノルドは思い至る。
そして自分の本音を自覚した。
自分は聖女エストを戻してもらいたい。強気で魅力的なあの笑顔を、可憐な少女を眼前に戻して欲しいのだった。アーノルドとしてはただ仰ぎ見るだけでいい。
(いや。だが。殿下がお赦しになるわけはない。常識で考えろ、当然、それ以外ということ。ご不興を買わない範囲で、ということだ)
アーノルドは更に沈黙してしまう。
デズモンド皇子とアニスが顔を見合わせる。この期に及んで、ただの遠慮だと勘違いされているのだ。
今なら、アニスも口添えをしてくれるのではないか。義姉であるエストとは仲が良かった。必ずしも追放には賛成ではなかったはずだ。
「魔術攻撃を。強力な魔術攻撃もあれば、より確実に、そして強力な魔獣が現れようとも対応出来ましょう」
しかし、結局、アーノルドは聖女エストの名前を挙げることが出来なかった。
つまり自分は逃げたということだ。易きに流れた。
(何がバール帝国最強の騎士、か。俺はただのおくびではないか)
デズモンド皇子の不興を恐れているだけだ。
アーノルドは自身をまた、ただ責めるのであった。




