56 聖女の影を偲ぶ
(あの方がいれば、今頃、どうなっていただろうか)
アーノルドはクワドロテイルを討伐した上で、アニスとともに皇城へ帰ってきていた。
魔獣を駆除するたび、いつしか抱くようになった思いだ。特にここ数日は喜びよりも空虚さのほうが強い。
「よくやってくれた、アーノルド。それにアニスも」
わざわざ皇城から皇都の城門前にまで、皇太子デズモンドが出迎えに来てくれていた。両腕を広げて、手放しの喜びを示してくれる。
忠義を尽くすに値する、情の深い主君ではあるのだが。
「殿下っ」
その婚約者アニスが嬉しそうにデズモンドに抱きしめられている。
不思議なことに、この少女は義姉のエストを慕いつつも、デズモンドとの婚約を喜ぶ、という器用なことをしていた。
目の前で展開しているのは、かつてエストでは起こり得なかった、仲睦まじい光景なのだが。
「アニス様の弓は変わらず見事でした。尾の1つを射抜いて見せたのです」
アーノルドはアニスの功績を伝える。
「そうか。さすがアニスだね。我が国では最高の弓手かもしれないね。アーノルドもいつもすまない。君には苦労をかける」
デズモンドが微笑む。なぜエストにはこの欠片も気持ちを向けることが出来なかったのだろうか。
「いえ、周辺住民のために、当然のことをしたまでです」
跪いてアーノルドは答える。まだ鎧姿のままだ。ここ数日、私服に着替える暇もないのだった。
(あの御方が去られてから、我が国は不穏になる一方だ)
アーノルドは心の内側で嘆く。
「騎士の鑑だな。我が国には君がいる。何が出ようとも安泰だよ」
心底からの嘘偽りない、限りのない信頼をデズモンドからは向けられている。しかし、アーノルド自身としてはエストとの不仲の反動としか思えなかった。
自分はかつて、双方に、皇太子と聖女夫妻に忠誠を誓ったはずなのだ。片方が片方を追うことなど、想定もしていない。
「私ごとき者は、いずれ必ずあらわれます。次の世代も、もっと下の世代もまた修練を積んでおりますし、その才能は私に劣るものではありません」
剣士の替えは利く。
遠回しにアーノルドとしては伝えたくて言ったのだが。
「とんだ、謙遜だな。誰しもがアーノルド、君のようにはなれないよ。クワドロテイルまで斬ってしまうんだから」
デズモンドが理解してくれない。あくまで謙虚なだけだと思われてしまう。
(そうではありません、殿下。私は遠距離への魔術攻撃など出来ないのです)
どんな敵を倒すにしても、自分は剣が届くところに近づかなくてはならないのだ。
「むろん、この先も30年も50年も君に頼りきりでは困るが」
冗談めかしてデズモンドが言う。
曲がりなりにもクワドロテイルの脅威から解放されたことを、素直に喜んでいるのだ。
(あぁ、こんなことなら私は、もっと上手くやって、エスト様に実績を差し上げるべきだったのだ)
自分もアニスと変わらない。可憐なエストを対魔獣の先頭に立たせたくなかったのだ。
悔しそうでも、笑顔を向けられることが何よりの労いだった。時には感謝を伝えながら、ヒールをかけてくれたものだ。
自分にとっては守るべき皇妃となるはずだった。
「だが、幸い、軍部の他も頑張っていてね。細かい魔獣どもによる被害はほとんど出ていないのさ」
実戦には出られていないデズモンドだが、苦労は絶えないらしい。
クワドロテイルが出ている間にも魔獣出現が頻発していたことを、アーノルドは今知った。ほとんどはシンリンコヨーテやラダフロッグといった魔獣たちだ。
「何よりであります。私よりも対応に当たったすべての兵士への称賛を」
アーノルドは跪いたまま告げた。
それでも戦えば死傷の危険はある。皆を等しく労うべきなのだ。
「更には殿下もいらっしゃるのですから。まだ我が国には余力があると思います」
アニスがはにかむような表情で言う。自分のように名を馳せることはなくとも、命懸けで戦ってくれるものもいる。
アーノルドも顔を上げた。無言で頷く。
いざとなれば実地でデズモンドも剣を振るってくれるだろう。
立場上、最前線に出ることはないのだが、デズモンド皇子も自分と並ぶ剣豪なのだ。
(それで、エスト様以上に、じれったい思いをされていた、というところはあるか)
エストの言葉がデズモンド皇子の気持ちを逆撫でしていた、というところはあった。
「そうだね。私も自ら剣を執って戦う覚悟はあるよ。アーノルド、君と並んで、ともに高めてきた腕前のほどを魔獣どもに見せつけてやりたい気持ちもね」
デズモンドの腰には、皇室由来の宝剣が吊られている。素晴らしい斬れ味であることを、アーノルドは知っていた。
「お姉様のこと、本当は言えない人ですもの」
ポツリとアニスが零す。
(本当に、御二人が並び立ってくれていたら)
アーノルドとしては痛恨の極みなのであった。




