54 ラデン王国南東部へ3
やがて木造の簡素な建物に至る。
軍部による直轄の宿舎だ。
(別に、金に困っているわけではないんだが)
これから訪れる場所での宿泊において、どこも豪勢な旅館というわけにはいかない。少なくともカート自身も使うことのある場所であり、どの程度の設備か分かっている。
それでも一応、仕事なのだから観光ではない。
「本日はこちらで泊まりましょう」
カートはティスの様子を気にしつつ告げる。
先触れは出してあるので、宿側に不都合は無いはずだ。
「分かりました。その、普通の宿屋さんではないようですけど」
ティスが気にしたのはそこだった。
「ええ、ラデンの軍部で兵士の出張用に運営している施設です」
カートは説明した。
自分が歩兵隊長となる前からのものだ。先代たちの代から、ラデン王国軍はこの手の施設を各地に作っている。
「軍隊というのは、こういうことも手を回すんですね」
むしろ感心した様子でティスが頷く。
「重宝は、しておりますね」
自分が発案したものでもない。カートは曖昧に頷くのだった。
場合によっては夜営することも辞さない。便利さをばかり追求もしてはいられないのだった。
「お仕事に、押しかけたわけですから夜営も覚悟していましたけど。宿となると、どうしてもホッとしてしまいます」
柔らかくティスが微笑む。
2人で宿に入って、それぞれ別の部屋へ案内される。
カートは荷物を置くなり、外に出た。気にかかるものがあった。
(あれは)
空の一点を凝視した。
人探しや偵察など頭も使わなくてはいけないことであれば、パターガーの方が向いている。
だが、単純な視力・聴力に優れているのは自分のほうだ。
空に黒い点がずっと見えていた。それはゴロツキに絡まれた時からである。輪郭からして鳥であろうとカートは思っていた。かなりの高度か遠方にいるのか、まだ小さ過ぎて判然としない。
(だが、俺の視力で判然としない距離から視認できる程には大きいということでもある)
魔獣が多く棲息しているのは、ラデン王国の北東にあるバール帝国よりも更に北東、ニフレク地方という魔境である。『魔主』と称される魔獣使いもそこに住む。黒騎士ですらもその手足に過ぎない。
だが、ラデン王国にしてみれば、ニフレク地方との間にはバール帝国が広がるということでもある。
(つまりは他人事だ)
黒騎士騒動も魔獣の襲来も、バール帝国の問題であって、ラデン王国には関係がない。
「鳥は面倒だな」
思わずカートは零す。
国土の狭いラデン王国では軍の主力は歩兵である。元々、機動力に優れる騎馬隊が少ない。広域で魔獣襲来が頻発すると守り切れない恐れがある。そして、その騎馬隊よりも、障害物の無い空を移動する鳥のほうが更に速いのだ。
(黒騎士の厄介なところは、何も無い所にも魔獣を呼び出せるというところだ。つまり不意討ちに向いている)
潜伏されると手強く、そして、国家というものは国土の全てを常時、見ていられるものではない。だから追跡して監視の目を絶やさないという女王リオナの判断は、納得のいく、大切な防御ではある。
「あら?」
ティスが宿舎から出てきた。湯浴みでも済ませてきたのか。仄かに頬が上気している。服装も私服に着替えていた。
「散策に出るつもりでしたけど、私を待ってくださっていたんですか?」
ティスが微笑んで尋ねてくる。
「ええ」
違うのだがティスの方に散策するつもりがあったのなら、同行しようと思ってカートは頷く。
「一緒に見て回りましょう。先のような連中が寄ってこないとも限りません。ティス殿は魅力的に過ぎる」
いつものお仕着せ姿のティスを見てカートは告げる。
「私にも心得はあります。返り討ちにしてやりますわ」
袖の内側からそっと短剣の柄を見せてティスが言う。
「そうでしょうが、俺としてはそんな手間をティス殿にかけさせたくないのですよ。確実に安全を保ちたいと思うのが、男の心情というものです」
苦笑いでカートは自らの思いを告げる。
「それもそうですわね。失礼しました」
ティスが素直に頷く。
「頼りにさせて頂きます。正直、エスト様と一緒のときは私が守る側なので、この立場、あまり慣れてないんです」
照れくさそうにティスが言う。
若くて見るからに貴族令嬢という風情がティスの雇い主であるエストであった。容姿も服装も華やかだから、大抵の男はそちらに目が向くのだろう。
「同性の者どもが、見る目のない者どもばかりで、私には幸いでしたよ」
カートはいつもどおりに脚を引き摺って歩き出す。
注意力の大半を満遍なく周囲に向ける。現在のところは先のようにティスも魅力的なのだから、羽虫のような連中が寄ってくるのだ。
ラデン王国の南東部は他と比べて治安がよろしくない。
(だから、黒騎士も我が国で出入りに使うのならこちらだ)
カートは確信していた。そしてパターガーも同じ判断だから南東部へと追跡してきているのである。
「黒騎士がニフレク地方へ帰るつもりなら、大きく迂回して、我が国の南東部を通るでしょう」
カートは歩きながらティスに説明する。
「そうなのですね。とにかく神出鬼没なので、バールではどこにでもあらわれる、そんな印象でした」
ティスが首を傾げて言う。
心がけとしては、バール帝国の考え方で間違いはない。どこからでも現れると考えるべきだ。
「あの男は単独で動いているから身軽なのでしょう。治安と言うのは、乱すほうが容易い。俺はそう思いますよ」
そしてカートは吐き捨てるように告げるのであった。




