5 ランパートの森最奥にて
徹底的に戦っていたらどうなっていたか分からない。ランパートの森で最強の魔獣が黄金の大猿ゴールドバックである。
(まともに、あのぶっとい腕で叩かれてたら)
バール帝国の元聖女エストを助け起こしつつ、クイッドは大きく息をついた。
(本当に可愛くて綺麗な人だな)
紺色のスカートに白いブラウスという出で立ちのエストを見てクイッドは思う。
貴族の御令嬢だから勝手に可愛くて綺麗だろうと決めつけていた。だから多分ゴールドバックにさらわれる。
そう当たりをつけつつ、更に木の枝や足跡を辿って巣を探り当てたのだ。先回りできたのには、運もある、と思っていた。
「ありがとう、助かったわ」
桃色の髪が可愛らしさを助長する。微笑みかけられるとクイッドはドギマギしてしまう。
紺色のスカートの裾についた砂埃や草の切れ端を手で叩き落としている。妙に可愛らしい仕草に、クイッドには思えてならない。見入ってしまいそうで、逆にクイッドは目をそらす。
「いえ、間に合って良かったです。御者の人が詰所に駆け込んでくれたんですよ」
クイッドは横を向いたまま告げる。同い年ぐらいだろうが、相手は他国出身とはいえ貴族なのだ。護送前にきちんと前情報はカートから詰め込まれている。
「あぁ、あの御者のおじさん?心配して、そんな気を回してくれていたのね」
手放しでエストが感謝の意をあらわにした。
「その厚意を無駄にしなくて良かった。すぐにこの森を出ましょう。王都リクロまで、我々でお連れします。そちらで暮らされると我々は聞いております」
丁重にクイッドは告げる。油断なく警戒を緩めることもない。
ゴールドバック以外にも魔獣はいくらでもランパートの森にはいるのだ。
(おまけにここはかなり深い位置だ。ゴールドバックのねぐらなんだから)
あまり長居すると先のゴールドバックが戻って来るかもしれない。獲物を諦めはしても、ねぐらまでは放り出さない可能性もあった。
(俺もそこまでする気はないし)
住処を奪おうとしているのだと、誤解されてはクイッドも面白くないのであった。
それに他の魔獣もいるのだから、ただ入り口へ戻るだけでも、エストを守りながらでは、かなり骨が折れる。
「それが、そういうわけにもいかないのよね」
あっけらかんとエストが言い放つ。
勝手に茂みの方へと歩み寄って、キョロキョロと辺りを見回す。
「は?どういう意味ですか?」
クイッドは他に発するべき言葉が思いつかず、とりあえず護衛のためエストの方へと駆け寄る。
開けた場所ではあるが、木々の鬱蒼と生い茂る、死角の多い場所だ。あまり長居したい場所ではない。
「ここが森の奥?それならちょうど良かった」
エストがしゃがみ込んで地面を探り出す。更には四つん這いになって草の合間まで見始める。スカートの裾がかなり心もとないので、クイッドはひどく落ち着かない気分にさせられるのだった。一応、視線を逸らす。
「話を聞いていなかったんですか?他の魔獣がいつ現れるかも分からない。早く引き返しましょう」
焦る気持ちそのままにクイッドは告げた。
エストが立ち上がり、またスカートの土や草を払い落とす。音で分かった。
「この森に入った、目的があるの」
菫色の瞳が自分をとらえた。
「でも、私一人じゃ、確かにここは危ない。ティスじゃ、私を守れなかった。あなたは見たところ、凄い手練ね。急で申し訳ないけど、探し物の間、私を守っててくれる?」
事も無げにエストが依頼してくる。
自分は軍人だ。個人間の依頼など受けて良いかも分からない。
(それにティスって誰だよ)
おそらくは、どこぞに取り残してきた侍女のことだろうか。
「状況が分かってるんですか?」
クイッドは帰り道を探して尋ねる。自分のもと来た道を辿るだけだ。
しかしエストが別の道を見つけた。森のさらに奥へと続く道のようであり、エストが嬉しそうに走っていく。
「分かってないんでしょうね。でも、必要なものがある以上、そこに行くしかないでしょ」
背中を向けたままエストが告げる。
「なんです?危険を冒してでも必要なものって」
クイッドは仕方なくエストに続いて歩きつつ尋ねる。
頭の中では無理に脇に抱えてでも運ぶべきか思案していた。だが、斧と盾を両手で遣う自分にとって片手が塞がるのは致命的だ。
「母の形見よ。この森にあるんですって」
前を見据えて歩きながらエストが答える。
いかに無謀か頭になければ決然としていて可憐な後ろ姿であった。
「この森の奥?御母上様はなぜ、このようなところに?」
疑問符がいくつもクイッドの頭には浮かぶ。
(そもそもこんなところまで?貴族の御婦人が?)
クイッドにとっては信じられない話だった。
「ええ、そうらしいの」
エストが言い、さらに歩を進める。
まるで道を守る屋根のように樹木の枝が覆い重なっていた。道の広さはひと二人、並んで歩ける程度だ。
魔獣の気配はない。怖いぐらいに静謐な木々のアーチである。
「さっきの奴みたいに、強い奴が縄張りにしてると、近くはかえって魔獣が少ないのかしら?」
唇の端をつり上げてぎこちなくエストが笑う。いかにも無理をしている笑い方であり、エスト自身もこの静けさは気になるらしい。
「さぁ、どうでしょうね」
クイッドは返すに留めた。不気味に思うぐらいなら進むのをやめてほしい。
エストと自分の足音、時折、落ちた枝を踏んで折る音が響く。
「着いた」
エストが足を止める。
また少し開けた場所に出た。しかし草の緑がより一層濃く異様な迫力をクイッドは感じる。
知らなければたどり着けない。そんな場所だ。
広場の中央に、幹の真ん中からへし折れた大木が立っている。
幹のうろには緑色の宝玉が光を放つ、首飾りが置かれていた。
「これが、お母様の」
エストが近づいて手を伸ばす。
「駄目だ、置いておけ」
不意に上司であるカートの声が響く。
鋭い声音にさしものエストも手を止めた。
「なんで?これはあたしの持つべきものよ。ていうか、あんただれ?」
エストが振り向き、カートに食ってかかる。
クイッドも振り向く。いつも通り漆黒の杖で身体を支えるカート・シュルーダーが立っていた。杖を使っている割には不動の直立姿勢である。
「お嬢様」
もう一人、カートの隣に黒装束姿の女性が立っていた。短い黒髪に黒い瞳、雪のように白い肌が髪色と相まって目に付く。ほっそりとしていて小柄だが、動きや目つきが鋭い。
「ティス!良かった、無事だったのね」
先ほどまでまるで気にもかけていなかったくせにエストが喜ぶ。どうやらティスというのは侍女で間違いなかったらしい。
「よく分からんが、何か意味があって置かれている。それは、そんな感じがする」
カートが警戒心をあらわにして告げる。
「でも、これは」
エストがカートと首飾りとを見比べて言う。
「お嬢様、やめましょう。現地の人の指示に従うべきだと思います」
ティスも口添えする。決然とした表情であった。
「こういうところに、まるで隠されているかのように置かれている。それ相応の意味があるんだと俺は思う」
カートが話をまとめた。
自分をちらりと一瞥する。無理にエストが首飾りを手にしようとするなら制止しろということだ。
「分かったわ、今日はあきらめる」
渋々、エストが頷く。『今日は』という言葉が若干気になるものの、クイッドも肩の力を抜いた。
こうして4人はランパートの森入り口へと向かい、パターガーの引率してきた捜索隊と無事に合流するのであった。




