35 女王陛下の目論見1
王宮の自らの執務室に戻るなり、女王リオナは頭を抱えた。
「こんなはずじゃなかったのに」
声に出して呟く。
別にティスが申し出に応じて金を手にしてバール帝国に帰ってくれればそれで良かったのだ。カートの中ではティスが金目当ての薄汚い女だったと、苦い記憶を持つだけで終わる。
(でも、拒まれてしまえば話が逆になってしまうわ)
今度は自分が、金で相手に身を引かせようとした女に成り下がる。
思いついた時はただ焦って無我夢中だったのだが、今にして思えば、自分にとっても博打だった。事の次第をカートがティスから聞けば、ティスの印象が良くなる。自分はお説教だろう。
(どうせ、貴女なんか何も知らないのだから、おとなしくバールに帰れば良かったのよ)
ティスの澄ました、腹の立つしたり顔を思い出して、女王リオナは心の内で呟く。
ラデン王国王族と歩兵隊長との繋がりは自分とカートとの関係が初めてではない。何世代にも渡って、ラデン王国の王族は歩兵隊長の血を取り込んできた。
自分も未来の歩兵隊長はカートであり、未来の結婚相手だと思って育ってきたのだ。まさか両親に世継ぎが他に生まれないとは思ってもみなかった。
「カートは私が女王だから遠慮しているだけ。誤解さえ解ければ、本来なら、勝負にもならないのよ」
鏡を見て女王リオナは呟く。別に絶世の美女だと自分のことは思わない。だが少なくともティスよりは美しいはずだ。
「それでも身の程知らずに、カートのいっときの迷いに調子づくなら」
女王リオナは鏡の中の自分を見据えて言葉を紡ぐ。
「もっともっと、酷いことをするしかないの?」
レニー・チグリスが嫌がらせを勝手にしていた。
最近では鳴りを潜めているらしい。サカドゴミムシダマシから助けられて、やりづらくなったようだ。
長い年月をかけて、女王リオナはカートの相手には自分しかいない、という雰囲気を醸成してきた。なかなか結び付かないのもカートが遠慮しているだけだ、とも。
(意図的に、本気で何かしてやろうかしら)
だが、そうなると他ならぬカートが邪魔だ。
さり気なくティスの身辺をしっかりと守っている。
(何が憎たらしいって、別に私から守ろうとしているわけじゃないということ)
身分のある自身が親しくしていることでティスに迷惑がかかりかねない。それを警戒しているように見える。
「見ていなさい。どうせ最後にはカートが選ぶのは私。いいえ、そうさせてみせる。選ばざるを得ないようにしてみせる」
低い声で女王リオナは呟く。
久しく出したことの無いような声が出た。
(でも、一旦、カートをあの娘から、いいえ、王都から引き離さないとだわ)
ちょうど黒騎士の追跡にカートの部下パターガーを専従させている。
王都リクロの郊外に逃走で使用した大穴を発見したと、そう報告を受けていた。さらに痕跡をたどると南に逃げたようだ。
真面目に政務の話として、黒騎士は見逃せない。まして王都リクロを急襲して平和を脅かした。治安維持というのは人々の暮らしを平和に保つのに必須だ。そして、平和な環境でこそ、人々は作業に専念できるのである。ひいては国家の隆盛につながる。
「エストさんが安心してわが国で腕を磨くのにも、黒騎士は邪魔だわ」
ティスの登場こそ最悪だったが、カートのことを抜きにして考えれば、エスト本人の来訪は幸いだった。
(バールの皇子は、エストさんの価値を知らなかったみたいね)
大聖女の忘れ形見というのは伊達ではない。幼い頃のエストと交流をして、自身も魔術師である女王リオナは気づいていた。
(あの子の潜在能力は、本当に黒騎士を倒しかねないというもの)
女王リオナは目を細めた。
各国を悩ませる黒騎士をラデン王国が討ち取れば、国際社会では大いなる優位につながる。
(さらに聖女を失ったことで?早速、バールでは大聖女の封印が緩み始めてるみたいだものね)
密偵ぐらいは当然に放っている。
エスト喪失後のバール帝国では、魔獣の出現が増えた。今でこそアーノルド始め強力な戦力により、撃退できているが、遅かれ早かれ対処出来ない魔獣もあらわれることだろう。
その時に完璧な実力を身に着けた聖女エストを抱えているラデン王国がバール帝国に対して優位に立つのである。
「たからその方面では、本当に上手くいっているのよねぇ」
女王リオナは執務室に座る。眺めているのはエストが気に入って連れて行った、クイッドという戦士の資料だ。
手斧使いであり、カートが期待を込めて育てている若者である。
「エストさんはよくわかっているわよねぇ、本当に。カートを引き抜こうとしていたら、今度は私が北に追放していたわ」
ティスよりも更に最初から過激な手に出ていたかもしれない。容姿では到底敵わない、可愛らしい少女なのだから。
「そう、ね。あくまで、私がどうかしてやりたいのは、あのティスって娘よ」
改めて女王リオナは呟くのであった。
情勢を考慮して、方針を決めたのである。




