34 不当要求3
「私の実家が密偵だったから、なんだと仰るのですか?」
ティスは言葉を絞り出す。負けるものかと下腹に力を込める。
「別に。この国のことを探って、バールに情報を流しているようなら、処断したかもしれないけど?」
冷たく女王リオナが言う。
やはり謁見の時とは随分と態度も印象も違うのだった。
(なぜかしら?これが素なの?あの時と今では何が違う?)
バール帝国のための探りなど何もしていない。後ろめたいことが無いからこそ、ティスはそちらが気になるのだった。
「残念ながら、そんな様子は見られなかった。バールの密偵として、聖女殿の侍女を装っていたなら、対処、処断するつもりだったが。まったくカートにも困ったものだ。やつは自分の立場がまるで分かっていない」
ヨギラスも忌々しげに言う。
さらには監視までされていたのだ。なぜ、自分がそこまでされなくてはならないのか。処断というのも穏やかではない。
「私の出自がそこまで、問題となるのですか?」
ティスは尋ねずにはいられなかった。
あくまでエルニス公爵家が国内向けに密偵をさせていたのであり、他国に対してティスの生家が密偵をしたことなど無い。
この国に来てからも、あくまでエストの侍女としてしか働いていないのだった。
「そうとも言えるし、そうではないとも言えるわね」
女王リオナが謎めいた言い方をする。
思えば謁見の時から自分に対しては、冷たい眼差しを向けていた。エストには何も含むところはなく、自分に対しては冷たくなる何かがあるのだ。
「女王陛下、ティスも私も、バール帝国とはもうやり取りがほとんどないので」
エストが口添えしようとしてくれた。
悪い主人ではない。ただ気が回らないだけなのである。
僅かにティスはエストに頭を下げた。
「ええ、分かっているわ、エストさん」
エストには微笑んで、女王リオナが言う。
「貴女には含むところなど何もない。これまで通り、貴女は私の友人で。実力を増せばこの国を代表する、誇るべき聖女に。大聖女に相応しい人になるのだと思うわ」
楽しげな女王リオナとは対照的に、エストが複雑な顔で自分と女王とを見比べる。
「ティスはそんな私の、大事なたった1人の侍女ですけど?」
エストが真顔で言う。
「この国も人材は豊富よぉ?増して探りを入れてるかもしれない人間なんかよりも、よほど穏当な人間がいるのよ」
雲行きが怪しくなってきた。女王リオナの笑みが深くなる。
「つまりね。この娘を解雇しなさい」
女王リオナがエストに告げる。
「そんなっ」
エストとティスは同時に声を上げた。
「安心なさいな。ただ私も放り出すわけじゃないから。素直に身を引くなら、路銀や紹介状くらいは幾らでも出してあげる」
女王リオナがはっきりと自分を見た。
「あとはね、ヨギラス」
女王リオナがポンと手を打った。
ヨギラスが無言でテーブルにドンッと布の袋を置く。中身は硬貨だろうか。ジャラリと音が響いた。
「千万ラデン金貨だ。一人なら一生遊んで暮らせるだろう」
低い声でヨギラスが言う。
「この路銀でもって、貴様はバールに帰るがいい」
どう考えても路銀ではない。手切れ金だ。
ティスは女王リオナの視線を正面から受け止める。
女王リオナが口を開く。
「行儀見習いという名目で、実家を出されたのだから。そこは裕福ではない。喉から手が出るほどお金は欲しい。違うかしら?」
口調とは裏腹に氷のような眼差しのまま、女王リオナが言葉を紡ぐ。
(ここまでして、私を排除したいの?カート様と一緒になりたいのなら、他にやりようがあるでしょ)
ティスはエストを見やる。
戸惑うばかりのようで、ただただ自分と女王リオナとを見比べていた。
「この女にとって、千万ラデン金貨など、破格の待遇です」
ヨギラスが勝手に返事をしている。
「これは、手切れ金ですか?カート様から手を引けと?」
掠れ声でティスは問う。
「いいえ、ただの旅費よ。貴女がバールに帰るための。私もお金には疎くて、多めに用立ててしまったかもしれないわね」
しれっと女王リオナが嘘をつく。
ティスは最早、呆れ果てていた。優しく穏やかに気持ちを向けてくれるカートの顔が浮かぶ。
(カート様との関係の、その価値はお金では計れない)
女王リオナ自身も同じ考えだから、これだけの金貨をポンとよこすのではないか。
「では、私がカート様にご同行いただいて、このお金でバール帝国に帰還しても良いということですね?」
試しにティスも尋ねることでやり返す。
途端により一層、女王リオナの視線と雰囲気が極寒となる。
「貴様、言うに事欠いて。お前ごときに我が国のもう一人の象徴を出せるわけがないだろうっ」
ヨギラスの方が激昂してきた。帯剣しているから、斬りかかられると困る。
「いいのよ、ヨギラス。でも、そうね。この娘の生意気な態度で、私も気持ちが固まったわ。貴女がこの国からいなくなれば、私はカートを独占出来る。そう思っていたけど、そんな悠長なことを言っている場合ではないわね。私はカートに私しかいないと気づいてもらいたかったのだけどね」
うっすらと笑って女王リオナが言う。
「女王にさえならずに済めば、私はカートと結ばれた。歴史的にもそういう立場だった。貴女の割って入る余地はなかったのよ」
この言葉でようやくティスは現状を理解した。
政治家としては優れた手腕を発揮してきた女性だが個人としては満たされないものを抱えて生きてきたのだろう。
(だからって、私が同情して身を引く話じゃないわよ)
ティスは女王リオナを睨み返してやった。
「自分から、手を伸ばして掴み取りに行かないで、相手から来てもらうのを待つばかり。相手がそうせざるを得ないように仕向けるなんて、私は嫌です」
静かにティスは告げた。
美しい氷の像のような圧力を発している女王リオナの目が更に細められる。
「貴様っ、陛下に対してなんと非礼なのだ。若い御身で、思いを抑えて国のために尽くしてこられたのだ。ようやく国が落ち着いたのだから、後はご自身の幸せを望んで何が悪いかっ」
ヨギラスが激昂して叫ぶ。
「いいのよ、ヨギラス」
寛容に、しかし氷のような冷たさを帯びたまま女王リオナが言葉を発した。
「その娘の存念は分かったわ。いいでしょう。お金で解決出来ることでは、なくなったわ。私とその娘との勝負。だけど、ここは私の国よ、勝てるとは思わないことね」
静かに告げて女王リオナが去っていく。
「なんで、あたしの家でこんな修羅場をやるのよ」
エストが心の底からの呟きを発するのであった。




