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歩兵隊長は聖女の侍女に恋をする  作者: 黒笠


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17 ティスの決断〜魔獣襲来を受けて1

 日暮れ前、町が落ち着かない。いつもとは違う喧騒に、ティスは買い物に出た市場で気付く。すれ違う人々の表情に恐怖と怯えを感じた。

 それでも物の売買はなされているところに商人のたくましさを感じる。自分も直接、脅威を感じるのでなければ動こうという気になれない。

(当面の生活には困らないけど)

 ティスは購入した野菜など食材に支払いをしつつ思う。

 手切れ金と称して、主のエストがバール帝国皇太子のデズモンドからせしめた多額の金品は、両国で通用する貸金庫に預けてある。

(普通なら死ぬまで遊んで暮らせるほどの額だったけど)

 ティスは屋敷へと戻る道を歩きつつ思う。

 信用第一の貸金庫業者に預けておけば、年端もいかない貴族子女でも堅実で安全ではあった。

「凄いところは凄い人なんだけど」

 思わずティスは独り呟く。

 婚約破棄されるあの場面で、自身の破談理由の薄弱さを指摘し、手切れ金の要求など自分ならば出来ない。

 それをやったのが主であるエストなのだが。

(今はまだいいのかも。大人しく資料漁りをしているだけだから。動き出したら、何を始めるのか、知れたものじゃない)

 そしてせっかくの大金も経費と称して使いまくるのではないか。

 支出と収入の天秤など考えてくれそうもないエストの顔を思い浮かべ、ティスはため息をつくのであった。

(で、そのかわり、細々としたことや本人に出来ないことは全部、私。みすぼらしい思いをするのも、私なんだから)

 カートにお茶を勧めることも出来なかった惨めさをティスは思う。

 せっかく気にかけて立ち寄ってくれたのだ。本来なら上がってもらってお茶ぐらいは飲んでいってもらいたかった。

(埃とガラクタまみれじゃなかったらよ)

 ティスはため息をつく。ただ拭けば良いような汚れなどは流石にもう片付いている。問題は大きな廃棄しなくてはならない家財の残骸などだ。

 それも一つ一つ片付けていくしかない。

 対するエスト本人には悩める様子も何もなくて、ひたすら書庫に籠って読み物をしてばかりだ。生活面のことになど、まるで手を貸してくれない。

(御母上様の古い本やら資料やらがいっぱい残っていたって話だけど)

 そんなことよりもまずは片付けたい。書庫の埃まみれの本など、ティスにとっては掃除する対象としか見えなかった。

 それでも幼い頃から一緒で、時には自身が姉のようになって、見守ってきた相手でもある。ティス自身もエストの母には目をかけてもらっていた。

 深々とティスはため息をつく。

「行くぞおっ!」

 武装した灰色の軍服を着た一団が大通りを駆けていった。精鋭のカート達が漆黒の軍服であるのに対し、通常の兵士は灰色であることを、ティスも既に把握している。

「何があったんですか?」

 近くにいた老婆にティスは尋ねる。不安げな顔でほかにも立ち尽くす人々が何人もいた。

「魔獣だよ。かなり大きくて凶暴だとさ。軍が出ないとならないほどだなんて。この国じゃ滅多に無いことなんだよ」

 白髪頭を横に振りつつ老婆が教えてくれた。

 途中からティスが他国から来たばかりだと気付いたらしく、説明も加えてくれた様子である。

 親切なラデン王国の民らしさを、ティスは老婆から感じた。肝心の女王からは感じなかったのだが。

「ありがとうございます」

 ティスは素直に頭を下げる。

 頭では別のことを考えていた。

(魔獣があらわれて、軍が出動するっていうのなら、カート様も戦うのかしら)

 一般兵で手に負えなければ、カートやクイッドたちの出番なのではないのか。或いは既に出撃した後だろうか。

 屋敷へと歩を進めつつティスは考えていた。どれほどの敵がでたのかも、今の自分には分からない。

(カート様たちなら、どうとでも出来る。私なんか助けにもならないし、お嬢様もいるんだから。知らないフリをするのが多分、一番良い。またあの人、足手まといになるのに、突っ込んでいっちゃうんだから)

 ランパートの森では、早速、危険な目に遭った。

 ティスの制止になどまるで耳を傾けないエストのせいだ。魔獣の巣窟だというのに、ティスを前衛代わりに使おうとした顔は今でも覚えている。

(その結果は散々だった)

 エストを攫われて、自分も魔獣ブラックバックに囲まれた。

(助けが来ていなかったら、私もエスト様もどうなっていたか分からない)

 ティスとしては厄介事も争いごとも懲り懲りなのだが、エストの方にはまるで堪えた様子がない。

 クイッドというカートの若い部下に助けられていても、当然という顔だった。

「エスト様には報せない方がいいわね」

 ティスは結論づける。

「あら?」

 みすぼらしい正門を潜る前にティスは声を上げた。

 場違いなほどに立派な馬車が止まっており、幾人かの令嬢がクスクスと笑い声をあげていたからだ。

「あの、何か?」

 声をかけてティスはすぐに後悔する。

「貴女、こんな屋敷にカート様をお連れしてるの?恥知らずもいいところねぇ」

 レニー・チグリス侯爵令嬢だ。淡い緑色の扇子を口元に当てて、嘲るような声音で告げる。

「貴女には関係ありません」

 硬い声でティスは告げる。

 惨めだった。自分もレニーと同じ気持ちだからと遅れて気づく。こんなところにカートを呼び寄せることがどれだけ恥ずかしいことか。

「貴女なんて、カート様には相応しくないわ。ちゃんと屋敷を管理できる使用人と、バールで交代してもらうべきではないかしら?」

 無視して屋敷に入ろうとするティスに追いすがってレニー・チグリスが言う。

 ティスは目を合わさないようにして、屋敷の中へと急いだ。さすがに敷地内にまではレニー・チグリスも追っては来ない。

「カート様のいるべき場所は女王陛下のお隣よ。他国人は身を引きなさいっ」

 レニー・チグリスの声が屋敷に入る自分を追いかけてきた。

「ただいま戻りました」

 既に薄暗い時間帯だ。

 まだ灯りのほとんどついていない屋敷の扉を開ける。自分で灯りをつけることすらしないのが自分の主エストなのであった。

 エストの実家エルニス公爵家の方針というよりも、何でもかんでもティスがしてあげすぎたせいだ。

(でも、貴族の御令嬢なんて、バール帝国ではそんなものだったし)

 ティスは祖国の貴族たちを思い出す。

 そして、エストがいるはずの図書室の扉を開けた。

「遅かったわね?夕飯はまだ?」

 そして仁王立ちしているエストの可憐な容姿を観て、ティスは今後の接し方を変えようかと。八つ当たり気味に考え始めるのであった。



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