1 聖女追放の報せ
「隣の国の聖女が追放されて、この国に来るそうだから、保護してきてくれる?」
ラデン王国王都リクロにて、同国歩兵隊長カート・シュルーダーは女王リオナから直々に命じられた。
「は?」
通常の謁見と思い込み、用件を知らされていなかったため、カートは思わず間の抜けた声とともに顔を上げる。
「あの子とは幼い頃に過ごした時期があって。頼られると断れないのよ」
更に笑って女王リオナが加える。
非礼だと分かっていても、直視してしまった。
何もいつもと変わらない。
玉座に座り、いつものように超然と微笑む女王の姿があるばかりだった。今年で自分と同年の21歳となる。腰まで伸ばした金色の髪に、金色の瞳を持つ。色白の肌と相まって、とても美しい女性だ。
「カート殿」
居並ぶ廷臣の誰かが遠慮がちに咎める。自分が断りづらいように、置物代わりに招集された貴族たちだろう。
「申し訳ありません」
軽く謝り、カートは床に置いた自らの杖を見て、さらには脚を見た。杖は木製で黒塗りのものだ。歩くときの支えに使っている。
「しかし、それにしても。俺がやるのですか?」
慎重にカートは尋ねた。
杖と同様に軍服も黒い。上着は黒い長袖、下は黒い長ズボンである。上着の真ん中を大きな白いボタン3つで止めていた。王都リクロ精鋭歩兵部隊の制服である。
「ええ、お願い」
やはり聞き違いではない。事も無げに女王リオナが頷く。
「あなた以上に信用出来る人はいないから」
ころころと笑って女王リオナが加える。
直々に依頼されているという、この状況が信頼の証と言えなくもない。カートはため息をつく。
高い天井の謁見の間。玉座の背後に採光用のはめ込み窓があるため、今日のように晴れた日には後光が差しているかのようになる。
「しかし、俺が女王陛下の、御身のそばを離れるわけには」
自分の任務は女王リオナのいる王都リクロの守備も兼ねている。軽々しく王都を離れるわけにはいかないのだ。
(そして、その割にはホイホイと俺を外へ送り出すんだが。この御方は)
回答はない。ただ女王の金色の瞳が自分を見つめるばかりだ。
(つまり、答えるまでもないと。確定なのだ、と。そういうことか)
カートはさらに深くため息をつく。
「それほどですか?その聖女とやらは」
仕方なく話を進めざるを得なかった。
「ええ、今、あの国では真価を発揮し得ないかもしれないけど、この国に来れば彼女は力を発揮することとなるでしょう」
背筋を伸ばした姿勢のまま女王リオナが頷く。まるで美しい精巧な彫像のようだ。
「未来ですか?それが女王陛下のご覧になった」
カートは確認せずにはいられなかった。
まるで確定しているかのような、確信に満ちた口振りを前にすると、つい訊きたくもなってしまう。
「いいえ、今回は知識に支えられているところが大きいわね」
あっさりと女王リオナが否定する。
予知能力でもあるのではないかと思うほど、以前から女王リオナが未来を言い当ててきたこともあるのだが。
実際、神秘的な金色の瞳は未来を見通すのだという。そんな伝説もあった。
「あまり、その聖女とやらについて。私は良い噂を聞きませんが?」
なおもカートは言い募る。
隣国の元聖女エスト。見た目は麗しいが口ばかりで非力だと言われていた。基本の回復魔術を若干使える程度。聖女らしい光属性の破邪魔術などは、まるで使えないらしい。
とうとう、見切りをつけられて、皇太子の婚約者という立場からも国からも追われることとなった。更には隣国のここ、ラデン王国に逃れるのだという。前情報はカートの耳にも入っていた。
(保護してまで連れて来る。そんな価値ある人材とは思えんが)
カートは思う。視界の隅でも何人かの有力貴族が首を傾げていた。
エストという聖女は、公爵家の出自であるという点も、追放となればむしろ心象が悪い。身分が高くとも追放されるぐらい、素行が悪いということだ。
「彼女は実力を発揮する機会がなかっただけ。それに完璧な人間などいないわよ、カート・シュルーダー」
厳かな雰囲気を発して女王リオナが告げる。
「完璧でないとしても、落ち度を見せない御人が現に目の前にいらっしゃいますが?」
跪いたまま、女王リオナを見据えてカートは告げる。
「あなたは余りに強靭すぎる。他人に余り厳しい目を向けすぎてはダメよ」
また屈託なく笑って女王リオナが言う。世辞をうまくかわされた格好だ。
(この脚でか?)
カートはもう一度、自らの脚を見て思う。
美しく聡明な女王リオナ、早くに引退した父母に代わり、政務を担って早くも数年が経つ。
臣下からの信頼も勝ち取っていて、女王からカートに命じたとなれば誰も疑問を持ってくれない。
「強靭であろうと、使える頭がなければ、ただの木偶でしょう」
吐き捨てるようにカートは告げる。
「強すぎることは、強いだけと同義ではないわよ」
女王リオナが苦笑いだ。
カートは再び自分の脚と漆黒の杖を見た。この脚で国境へ向かえと言うのだろうか。
「その聖女が案内してほしいと依頼でもしたのですか?」
意地悪く更に、カートは尋ねる。さすがにやり過ぎだろうか。
「カート、お願い。あなたでなくてはならないのよ」
とうとう破顔して、女王リオナが懇願してきた。
人懐こい笑顔に、同じ表情のはずながら、まるで女王リオナの中で、人が切り替わったかのような印象だ。
「何か知っているか、打算があるのですね?」
苦笑いでカートは尋ねた。
女王リオナの独断に近いのだろう。相手もカートが護衛に向かうことを知らない。
「そうよ。でも、言えないわ。些細なことで未来は変わる。その中で一番望ましい、良い結果に辿り着けるように、私たちは足掻く。結局、見えても苦労は何も変わらないのよ」
女王リオナがいつものように言う。
カートが無理難題を拒もうとすると言い出すのであった。
そして厄介事や難しいことを頼むときは、どこか少女のような無邪気さを見せる。いつも変わらない。自分は言うことを聞かされるのだ。
「分かりました」
他に選択肢などない。
カートは渋々、頷くのであった。




