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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私はあくまで聖女ではありません

作者: せいかな

 アリスには想いを寄せる幼なじみがおり、彼とは毎日一緒に学校終わりの帰り道を歩いていた。

 この日も彼の隣を歩いていたのだが、突然の異変にアリスは焦った。


「ガイ、やだ。私の身体がどんどん薄くなっていくわ……」


 手足を見ると薄っすらと向こう側が透けて見える。


「アリス、お前……もしかしたら異世界から召喚されているのかも……」


 この国では稀にそういうことが起こる。気を付けようがないのだが、子どもたちは幼いころから異世界召喚に気を付けるようにと言われて育った。


「やだっ、やだよぉガイ! 私行きたくない!」

「行くな! 行くな、アリス!!」


 ガイはアリスの薄れゆく身体をしっかりと抱きとめるが、アリスの身体はどんどんと薄く透明に近づいていく。


「ガイっ、ガイっ……! どこにいるの!?」


 アリスが目を見開いても目の前は白く靄が掛かってガイの顔が見えなくなる。


「目の前にいる! アリス、よく聞けっ……! 俺はお前のことが──」

「ガイーっ!」



     ◇



「成功だ!」

「黒髪、黒目の少女! 聖女様の召喚に成功したぞー!」


 アリスはガイとの会話の途中で異世界に転移していた。

 魔法陣の描かれた硬い大理石の上に横たわるアリス。それを明らかに異世界の装いをした者たちが囲っている。

 神官のような格好をした者にここはローズベイン王国の大神殿だと説明をされたが、アリスには聞いたこともない国で、やはり異世界に召喚されてしまったのだと青ざめた。


「元の世界に帰してください! 家族もいるし、大切な人がいるんです」


 アリスは泣き叫んで訴えるが、この召喚術は一方通行で元の世界に帰る術はないと言われて絶望する。そしてアリスはこの世界を破滅に導く魔王を封印すべく召喚されたのだと説明を受けた。


「ならっ、せめて彼を……ガイもここへ召喚してください!」


 こんな未知の世界でいきなり魔王を封印しろと言われても、自分にそんな能力があるとは思えないし、とにかく彼に会いたい。

 立ち上がって必死に懇願するが、神官は首を横に振った。


「召喚術は百年間聖魔力を溜めないと出来ないんです。そして今あなたを召喚するために百年分の聖魔力を使い果たしました」

「そ、そんなぁ……」


 アリスは好きな人に会うことが叶わないと知り、その場にへなへなとへたり込んだ。


「お願いします。聖女様。私たちにはあなたの持つ力が希望の光なんです!」


 王宮に豪華な部屋が与えられ、アリスはひと月そこで泣いて過ごした。毎日代わる代わる人がやってきて魔王を封印してくれと説得される。


「私は聖女なんかじゃありません!」


 何度言っても聞き入れてもらえない。

 それどころか魔王の復活によって発生した瘴気によって町ではこんなにたくさんの人が苦しんでいる。瘴気によって発生した魔物にとある村が襲われた。そんな話ばかり聞かされ追い詰められる。


「私にこの国の事情なんて関係ない! あなたたちのしたことなんて誘拐と一緒じゃない! 私を元の世界に帰してよっ!」


 思わず強い言葉で叫んでしまう。


「ごめんね……」


 初めて聞いた謝罪の言葉。誰が発した言葉だろうか。アリスは顔を上げて驚いた。


「ガイっ……!」

「ガイ?」


 目の前の男はよくわからないという顔で首を傾げた。


「っ……! ごめんなさい……人違いです」


 顔立ちがよく似ていたがガイではない。ガイとは瞳の色が同じだったが髪の色は違う。今日アリスを説得に来た銀髪に紫色の瞳の青年はたしかこの国の王太子のアーネストだ。


「もしかして、君の大切な人に似ていたのかな?」


 アリスはコクリと頷いた。


「でも髪の色が違いました」

「彼は何色だったの?」

「黒でした」

「そう」


 翌日アリスの説得にやってきたアーネストを見て唖然とした。


「髪が……」

「少しは君の大切な人の代わりになれるかな……」


 切なそうに髪を黒に染めたアーネストが笑う。でもガイはそんな笑い方はしない。


「ガイ……ガイ……会いたい……」


 その場に泣き崩れたアリスをアーネストがそっと抱きしめた。


 ひとしきり泣いて落ち着いた。

 いつまでも会えない人を思っていても仕方がない。


「アーネスト様……魔王を封印するってどうすればいいのでしょうか……?」

「アリスっ!」



     ◇



 それから二年の月日が過ぎた。

 アリスは魔王を封印するための聖魔法について学び、身体を鍛えた。

 魔王のいる魔界の扉は魔境と呼ばれるこのローズベイン王国の僻地にあるのだが、濃い瘴気に包まれており、付近では魔物が多く発生する。もちろんアリスひとりではそこまで行くのは不可能なので、少数精鋭のメンバーでそこへ向かう。

 王太子であるアーネストも行くというのでアリスは「王太子なのにそんな危険な旅をしても良いの?」と確認した。


「この国になんの関係もないアリスが命を張って旅に出るのに、王太子の僕が何もしないなんておかしいだろ?」


 アーネストは不敵な笑みを浮かべた。その笑顔は少しガイに似ていた。

 そんなアーネストはあれから髪を染め続けている。


 魔界の扉の向こうには聖女か魔族しか行くことができないと聞いて不安はある。だがアリスはやると決めた。

 王都を旅立ち、死に物狂いで戦って、魔界の扉を目指した。


 旅立ってすぐのころはアーネストはアリスによく構った。少しでも怪我をしようものならすぐに治癒師を呼び治癒させる。


「そんなに過保護にしなくても大丈夫よ」


 そのために身体を鍛えたのだ。後方で皆の役に立てていないことも気になっており、アーネストの過干渉が煩わしいことも少しあった。


「アリスのお世話。楽しかったのにな」


 そんな会話をし、クスクスと笑い合った。

 だが旅が進むにつれアーネストは大神官の娘のカティーナの隣に陣を取るようになった。黒目黒髪の地味な見た目のアリスと違って、金髪碧眼の美少女だ。


「もうアーネスト様を解放してあげたらどうですか?」

「え……」


 魔境にかなり近づいてきたところで大神官の娘のカティーナに呼び出された。


「あなたのために鮮やかな銀の髪を黒く染めるアーネスト様を見るのは嫌なんです。アーネスト様は宿で湯あみを終える度に黒く染めた髪を摘まんで深いため息を吐いていらっしゃることをご存じですか?」


 湯あみを終えた後は基本的に部屋から出ることがないのだからそんなもの知るわけがない。逆になぜカティーナがそれを知っているのかということを知りたい。

 アリスはその日のうちにアーネストに伝えた。


「アーネスト。もう髪、染めなくていいよ」


 アーネストが焦ったように声を出す。


「だが、君は……っ!」

「アーネストはアーネストでしょ? ガイとは違う」

「っ……ありがとう」


 魔境に入り、魔界の扉が近づいてくるとアーネストはまたアリスに構うようになる。


「一人で行かせてごめん。必ず生きて帰ってきて」


 そう言われてアリスは魔界の扉をくぐった。



     ◇



 魔界の扉の前で何日か野営をした。

 扉の中がどうなっているのかはわからないが、過去の伝書によると魔王封印までに数日要すると書いてあった。

 十日もすると魔境に変化が訪れる。


「花が……」

「魔王封印は成功したようですね!」


 瘴気の影響で花の咲かない魔境に花が咲いた。

 よかった。後はアリスが戻ってくるのを待つだけだとアーネストは安堵した。だが……


「さあ、魔界に繋がる扉を封印してしまいましょう!」


 カティーナが一緒に連れてきた神官と魔法使いを魔界の扉の前に立たせた。

 皆が呪文を唱え始めてアーネストは慌てた。


「待て! まだアリスが戻ってきていない!」

「アーネスト様。聖女様は戻っては来ませんよ」


 カティーナが冷めた声で言いアーネストは「え?」と小さく声を漏らした。


「神殿の伝承によれば、異世界から召喚した聖女は魔王封印の人柱です」

「ひと、ばしら……」


 カティーナの説明にアーネストは固まる。しばらく呼吸の仕方を忘れたように声が出なかった。


「………………なぜ、言ってくれなかった」


 絞り出すように声を発する。

 どうやら一緒に旅をした面々はそれを知っていたようでカティーナ以外は皆アーネストと目を合わせない。


「アーネスト様が聖女様にあらぬ感情を抱いている様子でしたから、誰も言い出せなかっただけです」

「アリスは……」

「知っていたら、自ら魔界の扉をくぐってくれなくなりますでしょう?」


 彼女は知らずにこの国を救うために扉をくぐって行ったという。アーネストは胸を掻きむしりたくなった。


「アリス……アリス……!」


 アーネストが急いで扉に向かって駆け出し、手を伸ばして気味の悪い色に蠢く扉へと手をかけるとバチンと雷のような衝撃が走り後ろに飛ばされ尻もちをつく。


「もう助けに行くこともできないのか……!」


 アリスのお陰で魔界への扉の前に色とりどりの小花が咲いている。そんな可愛らしい花を前にアーネストは膝を突いて項垂れた。


 帰りの旅は行きとは比べ物にならないほど平和な旅であった。

 王都へ帰還すると大勢の国民が大通りに出て、凱旋してきたローズベイン王国を救った英雄一行を歓迎した。

 皆がアーネストやカティーナ、同行した騎士や魔法使いの名前を呼ぶが誰一人として聖女であったアリスの名は叫ばない。聖女が同行していたことを知らないのだろう。

 ゆっくりと王宮に近づく馬の手綱をきつく握りしめた。


 アリスが魔王封印の人柱であることは神殿内の人間は知っていた。それを父王が知らないとは思えない。

 王宮内でアーネストがアリスに接触するところは父王も見ていたはずだが、教えてくれなかったということは、おそらく聖女説得の駒として使われたのだろう。


 始めはこの国のために健気に努力する彼女に好感を抱いた。国のルールもマナーも文字すらもわからず、それでも懸命に学ぼうとする彼女をすぐに愛おしく思うようになる。

 泣いてばかりの彼女が逞しく育つ様子は見ていて飽きなかった。


 だが王都を出発して彼女と四六時中一緒に過ごすようになるとマナーや文化の違いなど細かなところが目に付くようになる。アリスの所作は見苦しいというものではない。ただ、食事の前にブツブツと呟いたり、宗教観が違うと神に祈りを捧げる時間にぼーっとしていたりとアーネストから見ると独特で不快に感じる行動が多かった。

 そうなると侯爵家出身で大神官の娘であるカティーナの傍が一番落ち着くことができる。予想外な行動はとらないし、会話も落ち着いていて安心できる。

 アリスから距離を取るうちに、アリスのご機嫌取りのために黒く髪を染めることも煩わしく思えてくる。彼女が聖女としての役目を終えるまでの辛抱だ。そう思って我慢していた。


「アーネストはアーネストでしょ? ガイとは違う」


 アリスからそう言われてハッとした。元の世界の大切な人に重ねて自分を見ているのかと思っていたが、彼女はちゃんとアーネスト自身を見てくれていた。

 では自分はどうなのだろうか。健気に頑張る彼女を愛おしいと思った時期もあったはずなのにいつの間にか聖女としてしか見ていなかった。

 彼女はこれから一人で魔界の扉をくぐって一人で魔王に対峙する。恐怖だってあるだろうが、彼女は気丈にもそんな素振りは見せてこない。


 アーネストは自分の愚かさに気づくと魔界の扉に辿り着くまでの間、再びアリスの世話を焼くようになった。



 だが、魔界への扉の前で別れたっきり、アリスにはもう二度と会えなくなってしまった。アーネストの「必ず生きて帰ってきて」という言葉にアリスは優しく微笑み「うん」と答えた。


 王都へ帰還してからひと月。ローズベイン王国に平和が戻り、王宮では祝賀会が開かれた。

 魔王復活により瘴気の影響を受けていた隣国は魔王封印のために魔術師たちを派遣してくれており、その国の王女が代表で祝賀会に参加してくれた。


「ここだけの話ですが、世界に平和が戻り、父はまた戦争の準備を始めております」


 隣国は大帝国。魔王封印という共通の目的があったためこの国に協力をしてくれたが、敵に回せばこの国などあっという間に掌握される。

 長らく魔王の脅威にさらされ忘れていたが、この世は戦争が絶えなかった。このローズベイン王国も幾度となく小国に攻め入り少しずつ力を増やした。


「アーネスト殿下は独身でいらっしゃるのでしょう。我が国とは早めに同盟を結んだ方がよろしいかと」


 アーネストは王女にダンスカードを出すように求めて名前を書いた。

 帝国の王女はダンスも完璧だった。

 見つめ合って踊ると王女の瞳が黒色であることに気が付いた。顔立ちはなんとなくアリスに似ているだろうか。でもアリスとは違って所作も言葉遣いも完璧で、不快なところは一切ない。

 アーネストはもう二十五歳。そろそろ国のために身を固めるのも良いのかもしれない。


 そう思ったときだった。


 ドーンッと耳をつんざくような大きな音がして、同時に床が大きく揺れた。そして一瞬目の前が靄に包まれる。



「アーネスト! ただいま」

「アリスっ!!」


 靄が晴れて現れたのはアリスだった。最後に別れたときと同じ聖女の装いで彼女はアーネストの前に現れた。


「アリス、良かった! 無事だったんだね」


 アーネストはすぐにアリスの手を取った。


「ねえ、アーネスト。この国は平和になれた?」

「ああ、君のお陰でローズベイン王国には平和が戻ったよ」


 アーネストはアリスとの再会に高揚し、頬を染めてそう話す。アリスは「それは良かった」とにっこり笑う。


「ねえ、アーネスト。約束したよね? 国に平和が戻ったらこの淫紋、解いてくれるって……!」


 アリスは聖女服の腹の部分をちらりとめくる。

 そこにはアーネストが施した淫紋が刻まれている。


「聖女は処女でないといけないからってアーネストが刻んでくれたんだよね」

「あ……」


 そんな伝承は存在しない。だが、当時健気なアリスを愛おしく思い、独占欲が出たアーネストはアリスにそう言って淫紋を刻んだ。

 その淫紋は術を施した者以外はアリスの下腹部に触れることができないというもの。

 アリスには「聖女という珍しい存在を手籠めにしようとする者がいないとも言い切れないからね」と野盗などに襲われた際の護身にもなると補足した。


 この祝賀会には神殿の者も多く出席しており、そんな伝承がないことはすぐにみな気づくだろう。アーネストは顔を真っ赤にしながら解呪の呪文を唱えてアリスの淫紋を解く。


 スーッとアリスの下腹から淫紋が消える。


「あー良かった。私、もうすぐ結婚するのにこのままだったら困っちゃうところだったから」

「え……?」


 アリスの服装が白を基調とした聖女の服装から、赤と黒の扇情的な服装に替わる。腕も太腿も露わで人を魅了する悪魔のようにも見える。

 すると今度はアリスの隣が白い靄に包まれる。そしてそれが晴れるとまた一人の人物が現れた。

 皆が「悪魔だ!」と叫んだが、アーネストはその人物が誰なのかすぐにわかった。何度も鏡で見た顔とよく似ていた。


「ガイ……」


 彼もまたアリスと対になるような赤と黒の服を着ているが、貴族が着るようなフロックコートを緩く着崩していた。背中にはコウモリのような黒い翼が生えている。

 初めて見たが本能で分かる。彼は悪魔だ。

 対峙する悪魔に足が震える。


 するとアリスの方からもブワッと邪悪な気配を感じた。何が起こったのかと彼女を見ると彼女の背中からも同じような翼が出ていた。


「アリス……君……悪魔になってしまったのか……?」


 魔界へと行かせたことでそんな悲劇が起きてしまったのかと顔を青くするがアリスの答えは違った。


「私は初めから人間じゃない。何度も聖女なんかじゃないって言ったでしょう?」


 人間ではない? では一体彼女はなんなのか。


「私は()()()聖女じゃないの」


 アリスは悪魔?


 一瞬思考が停止するがすぐに我に返る。


「君は……ニッポンという異世界から転移してきたのでは……!?」

「いいえ。私は魔界にあるソロモン大魔帝国という国から転移してきた悪魔よ」


 アリスが説明するとガイがアリスのことを隠すように抱きしめて言う。


「よくも俺の恋人を誘拐してくれたな」


 地を這うような恐ろしい声。ガイの目はアーネストと同じ紫色をしているが、その瞳に孕んでいる邪悪さはアーネストにはない。どこも自分には似ていないではないかと少し恨めしい目でアリスを見てしまう。


「私。初めから嘘なんて吐いていないわよ。聞かれたら説明するつもりだったけど、みんなこの国を助けて欲しいってことばかりで誰も私の出自を聞こうとしなかっただけ」


 たしかに伝承にあることを大前提で考え、彼女自身のことは聞かなかったし、知ろうとしなかった。


「私たちは悪魔を召喚してしまったってこと……?」


 祝賀会の一部始終を見ていたカティーナが声を発した。


「そう! 始めから聖女召喚は失敗だったのよ。残念だったね!」


 アリスは楽しそうに笑って言う。


「それならそうと言ってくれても……!」

「聞かれてもいないのにわざわざ言うわけないじゃん。私悪魔なんだよ? 悪魔が親切な生き物だと思ってる? それに……」


 アリスはカティーナの真ん前に移動してズイッと顔を近づける。


「カティーナ様も大事なこと言ってくれませんでしたよね?」


 にっこり笑って小首を傾げた。

 そう。彼らは聖女が人柱であるということアリスに教えなかった。カティーナは「くっ」と苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。


「そう言えばアーネスト、よく政略的に結婚するなんて嫌だって溢していたよね。そこの隣国のお姫様と同盟のために政略結婚するの?」

「え、あ……」


 たしかに聖女という身分しか持たないアリスにそんな愚痴を溢していた。

 アリスの問いに上手く返事ができないでいると……


「あなたたちが魔王って呼んでた魔界のアバドン王国の王。ガイが復活させてくれるよ」

「え……?」

「平和を求めるのに戦争するっておかしな話だよな。魔王がいた方が国々が協力しあえて仲良くできるならその方がいいだろう?」


 ガイが悪い笑みを浮かべ、背筋に寒気が走った。


「よかったね、アーネスト。これで政略結婚なんてしなくて済むよ」


 これはありがとうと言うべきところなのか。アーネストはよくわからず震えることしかできなかった。


「ちょっとあなたっ!」


 アーネストと婚姻を結ぶ流れであった帝国の王女がアーネストの前に出た。


「さっきから何を勝手なことを……! ──ひっ!」


 ガイがなんの躊躇いもなく王女の首に爪を立てた。その爪は人の爪とは違い、腕ごと大きく変化した悪竜の爪を思わせるような先端が鋭く尖った爪だった。

 王女の喉から一筋の血が垂れる。


「始めに勝手なことをしたのはお前たち人間どもだろう」


 ガイの顔から表情が消えた。悪魔だから人を傷つけることに何の感情も湧かないのだろうと想像できる。


「だいたいせっかくアリスが平和にした世界をまた戦争でめちゃくちゃにしようとしているのはお前の国だ。だから俺がまた国同士が手を取り合えるようにしてやるって言ってんだよ。それとももっと濃い瘴気で世界中を覆ってやろうか? 俺をアバドン程度の悪魔と一緒にするなよ。俺の本気はあんなんじゃない」

「人間たちには理解しづらいかもしれないけど、ガイは魔界で一番の大魔帝国の皇太子なの。もちろん悪魔としての力も魔帝陛下に次ぐ強大なもの。逆らわない方がいいよ」


 アリスはそう言って、ガイの身体にしな垂れかかる。

 爪を立てられた王女は真っ青な顔をしていた。


 突如現れた悪魔に会場の皆が打ち震えていると外からおかしな音が聞こえる。


 ──ピィギャアーーッピィーッピギャーッ……


 気味の悪い鳥の鳴き声。

 会場の窓の方を見ると夕暮れ時でまだ薄っすら明るいはずの外が黒いたくさんの鳥のようなものに覆われていた。


「アバドンが復活したみたいだな。じゃあ、アリス。俺たちの国へ戻ろうか。帰ったら結婚式だ」

「うん。絶対だよ」

「ああ」


 二人は見つめ合って微笑み合い、ガイがアリスを片手で抱くと二人は竜巻のようなものに包まれた。次の瞬間二人の姿は消え去っていた。


「な、なんだったの……」


 真っ青な顔をした王女は緊張が解けたようにその場にぺたんと座り込んだ。


「大変です! 瘴気が……! 国中が瘴気に包まれて、魔物が大量発生しています!」


 そんな声が飛んできて、祝賀会は恐怖に包まれた。



     ◇



「魔帝陛下に結婚を認めてもらえて良かった」

「アリスが頑張ったお陰だな」

「転移した場所が魔界と繋がっていた世界で本当に良かった」


 アリスたちが住んでいたソロモン大魔帝国では、悪魔召喚により異世界に召喚されてしまう悪魔が多い。悪魔としての力が強い者は召喚された地で人々を恐怖に陥れ悪魔の力を発揮する者もいる。


 ソロモン大魔帝国では皇太子であるガイに対し、アリスはしがない男爵家の娘で悪魔としての力も弱かった。力の差、身分の差によってアリスはガイに恋心を抱きつつも想いを告げられずにいた。きっとガイの方も同じ事情でアリスに気持ちを言えずにいたのだろう。

 アリスとガイは人目を忍んで逢瀬を重ねるのが精いっぱいだった。

 そんななかアリスが悪魔召喚によって異世界に飛ばされた。


 アリスは始め、ガイに会いたい想いだけでただ泣いていた。だが、魔王を封印する方法を聞き、魔界へと繋がる扉があると説明を受け考えが変わる。

 アリスの生家である男爵家は悪魔の力が弱く落ちこぼれの男爵家とも有名であった。だがそれには秘密がある。男爵家には人間の血が流れているというものだ。

 アリスの祖先には聖女がいる。アリスのときと同じようにとある人間の国に聖女として召喚された日本人女性。

 その女性も魔王を封印してほしいと聖魔法を学ばされ、魔界の扉をくぐって魔王を封印した。その女性は来た扉から召喚された世界へ戻ろうとしたが、その扉もまた封印されてしまって聖女は魔界に取り残された。その聖女を娶ったのが当時男爵だったアリスの曽祖父だ。それから男爵家には聖女の血が流れるようになる。

 アリスが聖魔法を使うことができたのもその血のお陰だろう。

 だから、アーネストたちが聖女召喚に失敗したというのは厳密には違う。聖女召喚で聖女の力を持った悪魔を召喚してしまったというのが正しいところなのだろう。


 アリスは魔界の扉をくぐってすぐに自国へ戻る。途中でアリスを捜索していたガイと涙の再会を果たした。

 ガイはずっとアリスを捜索してくれていた。周りの誰に聞いてもガイはアリスを探し魔界中を駆け回り、アリスの召喚された異世界へ行く方法を探し、一途にアリスのことだけを想っていたという。その話を聞きとても嬉しかった。

 人間の王子とは大違いだ。


 始めこそアーネストにガイの面影を探したアリスだったが、すぐにアーネストはガイとは全然違うと感じた。


「少しは君の大切な人の代わりになれるかな……」


 アーネストにそう言われたが、ガイの代わりは誰もできない。アリスは毎日黒髪に染めて現れるアーネストに首を傾げながらガイを想い魔界への扉をくぐることだけを考えて日々を過ごした。


 魔界の扉をくぐり魔王を封印するとその扉も封印されてしまうことは男爵家の言い伝えにより知っていた。だがアリスはアーネストに淫紋を刻まれていたので一旦は魔王を封印する必要があった。

 淫紋があってはガイとは結ばれない。必ずアーネストに淫紋を解いてもらわなければならない。


 人間界と魔界を繋げることができる場所さえわかれば、ガイに扉を作ってもらえばいい。アバドン王国の王にそれができるなら、ガイなら容易にやってくれるだろう。


「召喚した聖女を魔界に置き去りになんてするからこうなるのよ……」


 始めに召喚した聖女が魔王を封印して魔界の扉から戻ってきたときに、彼女を保護していれば悪魔の中に聖女の血が流れることなどなかっただろう。

 基本的に悪魔として育てられたアリスは聖魔法の使い方など知らなかったが、ここで魔界の一国の王を封印できるほどの力を身につけることができ、アリスの魔界での評価が変わる。

 ガイがアバドン王国の王を復活させたが、アーネストのいるローズベイン王国はアリスを召喚したことで、あと百年魔王を封印できる聖女は召喚できない。

 アバドンの王は百年間は聖女の脅威にさらされることはない。ソロモン大魔帝国は一国に恩を売ることができ、ソロモン魔帝陛下はアリスを称賛しガイとの婚姻を認めた。

 もうアリスを力の弱い男爵令嬢とは誰も言わない。


「アリス……お前が好きだ。愛してる」

「ガイ、私もだよ」


 二人はあの日伝えられなかった想いを二年越しに伝え合った。

拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。

評価、感想いただけると嬉しいです。



(7/14 20:00~ムーンライトノベルズにて連載開始しております)

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― 新着の感想 ―
騙された…あくまじゃん、そんでハッピーエンドじゃん、痛快。誘拐犯のお国はしょうがないよね滅びても
淫紋!!きも!!! 結局、おうち帰るのに皆さん付き合ってもらっただけ(頼んでない)っていう…w
話の筋道がしっかり通っていてとてもすっきりした物語だなと思いました。 今後アリスのライバル的な女性が現れても「ああん?封印すっぞ」で蹴散らせるの強い…。 途中までアーネストに絆されちゃうのかと心配し…
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