堺県おとめ戦記譚~特命遊撃士チサト~ 第8.5話「ティクバランの獣害に悩まされるフィリピンでコンパス時計が人気な理由」
垂れ目気味の赤い瞳でスコープを覗き込み、照準を正確に合わせる。
そうすれば、後は引き金に掛けた指へ力を加えるだけ。
この吹田千里准佐に与えられた「赤眸の射星」の二つ名が本領を発揮する瞬間が、いよいよ訪れたよ。
「さあ…待ちに待った時が来たね。」
レーザーライフルの銃身が伝える確かな重量感と、引き金を引く時の静かな緊張感は、いつもと変わらず心地良い。
この凝縮した充実感は、やっぱり堪えられないよ。
勿論、その後に得られる悦楽も普段に負けず劣らずの素晴らしい物だったよ。
「目標捕捉!レーザーライフル、撃ち方始め!」
空気が焼ける独特の芳香を残して、赤いレーザー光線が真っ直ぐ飛んでいく。
支局の地下六階に設けられた地下射撃場の二十五メートル前方に見える、黒い人影の描かれた標的目掛けて。
そしてその成果も、素晴らしい物だったんだ。
「良し、良い感じ!」
眉間の辺りに黒々とした風穴が空いた標的の無残な姿を見て、私は思わず歓喜の声を上げちゃったの。
個人兵装であるレーザーライフルで狙った標的を確実に射抜く、「赤眸の射星」という二つ名を冠した高精度の狙撃手。
それこそが、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第二支局に特命遊撃士として所属する私こと吹田千里准佐の目指すパブリックイメージなのだからね。
そうして上機嫌で地下射撃場を後にした私を、親しげに呼び止める声がするよ。
「お疲れ様です、千里さん。ちょうど私の方も、つい今し方に訓練が終わりましてね。」
「あっ、英里奈ちゃん!」
このシャギーの入った癖のない茶髪のロングヘアーと緑色の大きな瞳が自己主張している白い細面が特徴的な少女士官は生駒英里奈少佐と言って、私にとっては非常に縁深い友達なんだ。
何しろ同じ堺県立御子柴高校の一年A組のクラスメイトであると同時に、訓練生として特命遊撃士養成コースに所属していた頃からの同期生でもあるんだ。
色々あって英里奈ちゃんの方が上官になっちゃったけど、私達の間に育まれた友情は昔と何も変わらないよ。
とは言え私としても、英里奈ちゃんと同じようにこの白い遊撃服の右肩へ金色の飾緒を一日も早く頂きたいんだけどね。
その為にも、こうして訓練に励んだり支局での勤務シフトも積極的に出したりしている訳なんだけど。
「千里さんの御機嫌な御様子から察するに、射撃訓練の成果は上々のようですね。」
「そうなんだよ、英里奈ちゃん!お陰様で私もレーザーライフルも絶好調なんだ!」
空いた左手で黒いツインテールを軽く掻き上げた辺り、私ったら随分と得意気になっていたんだろうな。
厭味ったらしくなってないと良いんだけど。
「それは良う御座いました、千里さん。私も先程にレーザーランスを用いた模擬戦をこなしてきた所なのですが、弾丸突や千本突といった各種の槍術の技も普段以上に好成績で御座いましてね。」
どうやら英里奈ちゃんにとって、私の得意気な様子は嫌味に当たらなかったらしい。
流石は戦国武将として名高い生駒家宗公の血脈を継ぐ、生駒伯爵家の跡取り娘。
その鷹揚な寛大さには、本当に頭が下がるね。
「それじゃさ、英里奈ちゃん。お互いの申し分無い訓練成果を祝して、堺銀座で軽く一杯やってこうよ。」
「それは良う御座いますね、千里さん。もう間もなく、私共もシフト明けで御座いすし。」
オマケに人付き合いも良いんだから、私なんかには本当に勿体ない友達だよ。
こうして堺銀座の馴染みの居酒屋である漁火水産のカウンター席へ腰を下ろした私達は、お通しの餡掛けつくね団子を肴に生中で細やかな祝杯を上げたんだ。
未成年の私達が晩酌を出来るのも、人類防衛機構に所属する少女士官に適用されている部分的成人擬制の賜物だよ。
「ふ〜う、効くぅ…」
「まあ、千里さんったら。もう中ジョッキを空にして仕舞いましたのね。」
そんな具合にアフターファイブの晩酌と洒落込んだ私達だけど、その話題は必然的に直近の作戦行動になっちゃうんだよね。
民間人に聞かれても構わないように、メディアにも公開されているレベルの話しかしないけど。
「先日の浜寺公園で起きたティクバラン騒動は厄介で御座いましたね。この所、特定外来生物関連の案件が相次いでいるように感じられます。」
「全くだよ、英里奈ちゃん。四月には大浜大劇場で南米産のチュパカブラが暴れたばかりだってのに、舌の根が乾かないうちにティクバランだもん!」
都市防衛の為に戦う白兵戦要員である特命遊撃士の私達にとって、深刻な獣害事件の要因とも成り得る危険な特定外来生物の駆除はテロ組織や反政府勢力との戦闘に比べたらより頻度の高い作戦内容と言えるね。
吸血衝動のあるチュパカブラも危険極まりない特定外来生物だけど、フィリピン産の馬頭怪人であるティクバランは人間の女性に悪さを働く習性から本国でも忌み嫌われている厄介者なんだ。
今回の出動案件でも民間人の女子高生がティクバランの被害に遭いかけたのだから、本当に油断ならない相手だよ。
「輪をかけて厄介なのは、ティクバランが脳内神経細胞から特殊な電気信号を放射する事なのですよね。あれで被害者の方向感覚に変調を生じさせた所で襲撃するのですから、被害者も避難し辛いでしょうし…」
「オマケに電子機器にまで影響を及ぼす事もあるから、スマホの地図機能を使って人里へ逃げるのもままならない訳だからね。」
かつてフィリピンの伝説で「テリトリーである山や森林に入った人間を魔術で遭難させ、時には発狂させる。」と恐れられていたティクバランだけど、その秘密のベールも最先端科学の光が当てられる事で綺麗サッパリと剥ぎ取られたの。
だけどそれだけでは、「脅威としては無力化された」とは言えないんだよね。
私達が持っている人類防衛機構モデルの軍用スマホなら高高度核爆発がもたらす電磁パルスへの耐性をも備えているから大丈夫だけど、民間人の持つ市販のスマホだとそうはいかないよ。
運が悪ければ方向感覚を狂わされた上にスマホまでクラッシュさせられて地図アプリが使えなくなり、ティクバランの行動範囲内から脱出出来なくなっちゃうんだ。
その先に待っているのは、ティクバランの餌食になる無残な末路だね。
管轄地域の可愛い民間人には、そんな目に遭って欲しくないけど…
「そうなると気になるのは、ティクバランの生息地であるフィリピンの人達が獣害事件を如何に防いでいるかだよね。流石に無為無策って訳じゃないんでしょ?」
「その通りですよ、千里さん。調べてみました所、フィリピンの女性達はコンパスやコンパス内蔵のコンパスウォッチを欠かさないそうです。」
そうして英里奈ちゃんが軍用スマホの画面に表示してくれたのは、フィリピンの邦人向けネットニュースの注意喚起だったの。
そこにはティクバランの獣害から身を守る為の手段が、色々と記されていたんだ。
「成る程…電磁パルス耐性のスマホと並んで、コンパスやコンパスウォッチが必須品に挙げられているね。もしも日本でもティクバランの獣害事件が相次ぐなら、これらの品々の携行が推奨されるのかな?」
「まあ、そのような事にはなって頂きたくはないのですが…」
それに関しては同感だよ、英里奈ちゃん。
特定外来生物やテロリスト等の悪党には幾らでも腕を振るえる私達だけど、民間人が危険に晒されるのは本意じゃないからね。
だからこそ、公安職である私達がしっかり目を光らせなくちゃならないんだ!