第5話② 兄妹タッグ始動!
「ところで、王太子だけでなく、あのフィオナ・ラビエールという令嬢も絡んでくるかもしれないわね。最近、殿下にべったりみたいだし。もし彼女が積極的に殿下を擁護するなら、どうするつもり?」
「それも織り込み済みだ。その令嬢についての噂も少し調べている。どうやら彼女もあちこちで『わたしは殿下にすべてを捧げます』と触れ回っているらしいが、正直言って殿下が落ち目になればどう動くかは分からない。まさか一緒に沈んでいく覚悟があるのか、怪しいものだ」
コーデリアは同意を示すようにうなずく。フィオナは、あくまで殿下の庇護を得られるなら好都合というタイプに見えた。実際に王太子が不利となれば、一変して逃げ腰になるか、他の有力者を探しに行く可能性もある。そういう曖昧な立ち位置の者はいずれ深刻な綻びを招くだろう。
「いずれにしても、まずは最初の仕掛けを仕組んでからが本番ね。私もこの数日、社交の場で少し落ち込んでいるけれど前向きにやってますという雰囲気を出してみるわ。兄さまの提案通り、被害者の面をしてみるのも案外楽しいかもしれない」
「助かる。おまえの振る舞い一つで、周囲の反応ががらっと変わるからな。王太子への同情を、ほんの少しずつでもコーデリア側へ移してやるんだ」
アシュレイの声には熱がこもっている。妹を巻き込むのは気が咎めるというより、二人が力を合わせればどんな相手にでも勝てる――そう信じ切っているように見えた。コーデリアもまた、その確信を半ば共有している。表立って争うのではなく、じわじわと敵を追いつめるやり方は、彼女の性に合っているのだ。
「わかったわ。私も本気でやってあげる。でも、絶対にやりすぎないでよ。私だって、あの王太子をとことん痛い目に合わせたい気持ちはあるけれど、国中が大混乱になるのは勘弁してほしいわ」
「そこは安心しろ。隣国の王子も、過度な騒ぎは望んでいない。何より、あくまで目的はおまえを侮辱した報いを与えることだ。戦乱を起こすためではない」
アシュレイの言葉に、コーデリアはわずかにほっとする。兄が「妹のため」と口にすると、時々規模が大きすぎて歯止めが効かなくなりそうで怖いのだ。だが、ここでは隣国王子も絡んでいる手前、一応の常識的なラインは守られるだろう。
「それならいいわ。……それで、具体的にはいつから動くの?」
「もう動き始めている。あとはおまえ自身が社交界に出て、わざとおとなしい態度を示せばいい。多少の下準備は家臣たちがしているから、気に病む必要はないさ。タイミングを見計らって、先ほどの財務不正の疑いを少しずつ広めていく。隣国からの裏取りが届いたら、一気に爆発させる」
コーデリアは、そのプランを頭の中でざっと確認した。舞台は整いつつある。王太子が自分を攻撃していると思っているうちに、実際にはこちらから逆の包囲網を敷いていく。噂を使った手段とはいえ、レオナルド自身が噂を鵜呑みにさせるような軽率さを見せている以上、有効な戦略と言えそうだ。
「それじゃ、わかった。私も乗るわよ、この計画に。兄さまの無茶がどれほどかは気になるけれど、まあ何とかコントロールしてあげる。私に恥をかかせた王太子には、ちょっと痛い思いをしてもらわないと気が済まないし」
「ふっ、それでこそ俺の妹だ」
アシュレイは満足そうに笑い、コーデリアの肩に手を置く。彼女は少しばかり呆れ顔をしつつも、その目にはやる気が宿っていた。外では、まだ取り巻き令嬢たちがこそこそと噂を流し、フィオナ・ラビエールが華やかに王太子を持ち上げているだろう。だが、その裏ではすでにグランデュール兄妹の「最初の仕掛け」が動き始めているのだ。
「じゃあ、具体的な段取りを確認するわ。私がどういうふうに被害者を演じて、いつごろ反撃の材料を仕掛けるか……」
「ああ、二人で細かく擦り合わせていこう。隣国からの情報は、この先も順次届く予定だ。そのたびに計画をアップデートすればいい」
そう言いながら、アシュレイは机に残る紙束をかき集め、いくつかをコーデリアに手渡した。彼女はさらりと目を通すが、そのなかにはもうすでに、数人の貴族との懇談スケジュールや、王太子に疑いを向けるための話題作りに使えそうな資料がまとめられている。まるで、軍の作戦書でも読むかのように整理されていて、その徹底ぶりにコーデリアは思わず感心してしまう。
「ここまでできあがっていれば、あとは実行するだけね。兄さま、相変わらず手際が良すぎるわ」
コーデリアが褒めると、アシュレイは「妹を侮辱する者は絶対に許さないだけだ」とさも当然のように胸を張る。普段は冷静沈着と評されることの多い彼だが、妹のこととなると情熱と行動力が常軌を逸した形で噴出する。そこに隣国王子という新たな同志が加わったことで、王太子レオナルドへ向けた包囲網は着実に固まりつつあるのだ。
「まさか、レオナルドがこんな短期間で追いつめられるなんて、誰も思っていないでしょうね。私としては、あの人の高慢な態度を崩すには、ちょうどいい機会だと思うけれど」
「俺もそう思う。おまえが傷ついた分は、しっかりと返してやる。いや、それ以上でも構わない」
そこまで言い切るアシュレイに、コーデリアは「やりすぎだけはやめてよ」と釘を刺しつつも、心底頼もしさを覚えていた。王太子の不正を立証する証拠が揃えば、今まで好き放題してきた彼の評判はがらりと変わるだろう。取り巻きの令嬢たちも、いずれは混乱の渦に巻き込まれるに違いない。
「では、私も今日あたりから本格的に動くとするわ。お茶会や夜会に顔を出して、意外に大人しくしているコーデリアを演出してみる。これまでの私を知っている人たちは、その変化に驚くでしょうけど、それくらいがちょうどいいわよね」
「そうだ。それこそが狙いだ。周囲がどうしたんだろうと探り始めたときに、こちらが指し示す王太子の疑惑の噂が広まれば、一気に真実味を増す」
コーデリアは書類の束を小脇に抱え、弟子入りしたばかりの軍師のような気分を味わいながら笑う。兄妹とはいえ、ここまで大規模な策略を打ち合わせるのは初めてかもしれない。以前なら考えもしなかったが、今はレオナルドの振る舞いが許しがたいほど不愉快なのだ。彼から受けた屈辱を思い出せば、これくらいはして当然だとも思えてくる。
「こういう時に、あのフィオナや取り巻きの子たちがどう反応するかも興味深いわね。私への中傷を続けるほど、彼女たちも同じ渦に巻き込まれることになるのに」
「まったく自覚がないのだろう。だからこそ、あの王子殿下の空虚な演説に踊らされる。おまえが冷静に対応すればするほど、あちらの言葉は軽くなるはずだ」
二人は顔を見合わせ、どこか勝ち気な笑みを浮かべ合う。これから始まるのは、王太子とその取り巻きが築いてきた無責任な関係を崩し、彼らを痛い目に遭わせるための最初の一手だ。コーデリアは改めて心を決めた。自分を嘲笑した相手に、笑われっぱなしで終わるつもりはない。兄と力を合わせてこそ成し得る大きな逆転劇を、今まさに始動させるのだ。
「それじゃ、兄さま。私も早速動き出すから、詳しい段取りは後で文書にまとめて渡して頂戴。何があっても、くれぐれも国を巻き込むような大規模戦にはしないでよね」
「わかってる。おまえがそう願うなら、なるべく穏便に済ませるさ。……でも、もしあいつらが無闇に手を出してきたら、俺は止まらないぞ?」
「ほどほどにね。私もあまり大騒ぎになるのは望んでいないのだから」
アシュレイが微かに苦笑し、コーデリアも軽く肩をすくめた。だが、両者ともに内心は燃えるような意志を隠していない。これは自分たちが仕掛ける最初の戦い――互いにそう認識しているのだ。
やがてコーデリアが執務室を後にすると、アシュレイは窓辺に立ち、外の景色を一瞥した。庭には花が咲き乱れているが、その穏やかな色彩とは裏腹に、屋敷の内部では着々と次の手段が検討されている。人を走らせ、隣国と連絡を取り合い、さらに社交界へのさりげない波状攻撃を繰り返す。すべては妹を守るため――彼の中では、その思いがどんな理屈よりも優先されるのだ。
一方、コーデリアは廊下を進みながら、さっそく頭の中で今日からの行動予定を組み立て始めていた。お茶会や夜会で、どんな言葉を使って哀れな元婚約者を演じるか。効果的に周囲の関心を集めておき、噂が王太子の不正へと繋がるように仕向ける。その一連の流れは、きっと想像以上の破壊力を発揮するに違いない。
「少しだけ気が進まない部分もあるけれど、これが最適なやり方なら仕方ないわね。あのレオナルドには、そろそろしっぺ返しが必要だし」
そう小さくつぶやいて、コーデリアは使用人を呼び止める。まずは幾つかの貴族宅に、自分が元気ではあるけれど、少々落ち込みがちという雰囲気を伝える手配をしなければならない。一見、相反する表現のようだが、そこにこそ周囲の興味を誘う矛盾が生まれるというものだ。王太子を見限られたにもかかわらず、健気に日々を過ごしていると受け取られれば、より一層「本当に悪いのはどちら?」という疑念を呼び起こせる。
「レオナルド陣営が仕掛けてくるより先に、こっちから土台を固めておけばいい。私を笑い者にしようとしたのが、最終的に自分たちの首を絞める結果になるというわけね」
心のうちでそう確信を深め、コーデリアは足早に廊下を進む。わずかばかりの緊張と興奮が入り混じった気持ちを抱えつつ、彼女の唇にはうっすらと笑みが浮かんでいた。兄との連携を本格的に始動させる今こそ、長かった屈辱を晴らす絶好の好機。周囲の中傷は一時的には激しくなるかもしれないが、最終的な結果を考えれば問題ではない。
「さあ、ここからが本番。王太子やフィオナ、それに取り巻きたちがどんなに騒ごうと、もう止まらないわよ」
コーデリアは胸に抱えた書類をそっと抱きしめるようにして、次なる行動へ思いを巡らせる。廊下の先では、既にアシュレイの命令を受けた家臣たちが動き始めていた。そこには見えない糸のように複雑な思惑が絡まり合い、やがてレオナルドの周囲を締めつけていくのだろう。
こうしてグランデュール兄妹は、最初の一手を打つための態勢を整えた。王太子への仕返しは、ただの思いつきではなく、隣国王子や貴族社会を巻き込む大きな流れになろうとしている。しかし、コーデリアにとっては、これがほんの序章にすぎないとも感じられる。あの王太子がそう容易く退くとは思えないし、フィオナたちも必死に抵抗してくるだろう。
それでも、彼女は一歩も引く気はない。結局のところ、自分を侮辱した者には相応の代償を払わせる。それがコーデリア・フォン・グランデュールという存在なのだ――彼女の瞳がそう物語っているかのように、部屋の窓辺から差し込む淡い陽光が、ほんのりとした影を床に伸ばしていた。部屋の中では、まだ小走りであちこち行き交う者が絶えないが、彼女の心はむしろ澄み渡っている。
「やると決めたからには、一切の手加減はしない。兄さま、どうか張り切りすぎないでね……まあ、言ったところで止まらないだろうけど」
最後にそうつぶやくと、コーデリアは執務室を再び覗く。そこでアシュレイが新たな報告を受けているらしく、すぐに陣頭指揮を執っているのが見えた。妹のために、あらゆる手段を講じる兄の姿に、もはや苦笑しか浮かばない。それでも――不思議な安心感がある。幼いころから変わらない、絶対的な守護者がここにいると思うと、どんな困難にも打ち勝てる気がしてくるのだ。
そして、その思いに呼応するように、コーデリアは静かに口角を上げた。外では相変わらず彼女への中傷が飛び交っているだろうが、恐れる必要などない。今こそ仕返しの舞台に上がるとき――兄妹が心を一つにして最初の一手を打つ。その瞬間を迎えたのだ。世の中に知られない裏側で、グランデュール家が王太子に放つ逆襲の端緒は、すでに動き出している。