第5話① 兄妹タッグ始動!
グランデュール家の執務室は、いつにも増して騒然としていた。机の上には大陸中からかき集めたような文書や手紙が山積みになり、家臣たちが出たり入ったりを繰り返している。そんな中、コーデリアが姿を現すと、部屋にいた数名がそろって深々と頭を下げた。その視線の先で、彼女の兄であるアシュレイが背を向けたまま、何やら細かな指示を出している。
「兄さま、少し落ち着いたかしら。朝からずいぶん慌ただしいようだけれど、どういう状況なの?」
コーデリアが問いかけると、アシュレイは書類の一部を家臣へ渡し、ひとまず退室を命じた。部屋に残ったのは二人だけになる。ドアが閉まるや否や、アシュレイは振り返り、その瞳に熱い怒りと決意を宿したまま、妹を見つめた。
「コーデリア、いいところに来た。実はもう作戦を動かさなければならない段階だ」
「作戦……? 王太子殿下に対する報復のことよね。それにしても、何だか急じゃない?」
そう言いつつも、コーデリアには心当たりがあった。王太子レオナルドが新たな令嬢――フィオナ・ラビエールを取り込みながら、自分を糾弾する嘘の噂を広めようとしている。それは、この数日間の動きから推測できることだ。アシュレイはその動きをいち早く察知し、逆手に取る準備を進めていたはずである。
「急も何も、向こうが仕掛けてきている以上、こちらも黙ってはいられない。レオナルドがいくらおまえが悪いと吹聴したところで、証拠など一つも持ってはいない。その穴を突いて、今度はあちらの信用を大きく揺るがす方法を取ろうと思う」
「なるほど……でも、まさか血生臭いことじゃないわよね。兄さまのことだから、そこまでしないと信じたいんだけど」
コーデリアが目を細めると、アシュレイは鼻を鳴らすように短く息をついた。彼女がもっとも危惧しているのは、兄が本気で王太子の廃位や、それこそ戦争じみた騒動を引き起こすことだ。しかし、兄の優秀さを考えれば、それほど乱暴な策には出ないだろうという期待もある。
「安心しろ。俺だって最初から宮廷を火の海にするつもりなどない。ただし、あの王太子が社会的に追いつめられても仕方がない程度の“事実”を、順を追って公にしていこうと思うだけだ」
「王太子の事実……具体的には何を掴んでいるの?」
アシュレイは机の脇に重ねられていた書類の束から、一通の手紙を抜き取った。それは、王太子レオナルドが裏で取り交わしていたとされる怪しい取引に関する噂の断片だ。まだ確定的な証拠ではないが、周囲をうまく誘導すれば十分ダメージを与えられる内容らしい。
「これが本当なら、王太子は権威を振りかざして公金を好き勝手に使っている可能性が高い。あるいは、取り巻きの貴族を甘やかす代わりに後ろ暗い利益を得ているのかもしれない。俺は、こういう軽率な財務管理をいくつも洗い出している途中だ」
「やっぱり、あの方は見栄ばかりで中身が伴っていないのね。そういう弱点は確かに突きやすいわ」
コーデリアは書類を覗き込みながら、納得したようにうなずく。王太子といっても、人の上に立つには未熟すぎる側面があり、その油断が金銭面に出ているのかもしれない。貴族たちの一部は、そんな王太子を利用して甘い汁を吸っているとも考えられる。そこを突けば、王太子の評判は一気に落ち込むに違いない。
「だけど兄さま、それはあくまで噂でしょう? 確たる証拠がないまま動いても、逆にこちらが謀り事を働いたと責められる可能性があるわ」
「わかっている。だからこそ、隣国の王子殿下を利用するのさ」
アシュレイが手に取った次の文書には、隣国の王子からの連絡が走り書きされている。そこには、王太子レオナルドが抱える財務上の問題について、確かに裏付けを得られそうな情報を提供できる見込みがあると記されていた。
「……あの妹好きな王子様ね。あなたと妹を大切にする者同士で妙に意気投合したという」
「笑うなよ。あちらも同じく、妹を侮辱されることには断固抗議する性分らしい。実際、あの王子は自国の情報網を駆使して、レオナルド周辺の不穏な事実をいくつも掴んでいるようだ。交換条件として、俺たちが協力を惜しまないと伝えてある」
「交換条件? まさか、兵や軍備の提供なんて話じゃないでしょうね」
不安げに問いかけるコーデリアに、アシュレイはすぐに首を横に振った。どうやら軍事的な連携ではなく、もっと穏便な形での取引を視野に入れているらしい。隣国の王子は「自分の妹が安全かつ自由に過ごせるよう、国際関係をある程度コントロールしたい」のだそうで、そのためにグランデュール家の外交力や財力が役に立つという判断をしているようだ。
「兵を動かすのは最終手段。王子殿下もそこまでは望んでいない。狙いはむしろ、王太子とその取り巻きの失態を明るみに出して、今後の国際交渉を有利に導くことだと聞いている」
「なるほど。どうやら利害が一致しているわけね。そういう話なら、私も本腰を入れて協力したほうがいいのかしら」
コーデリアがそうつぶやくと、アシュレイは待っていましたと言わんばかりの表情を浮かべた。これまで妹を守るための作戦と称して、かなり大がかりな動きを独断で進めてきたものの、やはり最終的にはコーデリア本人の意志が鍵を握る。彼女が乗り気になれば、社交界での発言力も増すし、何より貴族たちの反応を直接探れるという利点があるからだ。
「そうだ。ここまで準備を進めたのも、おまえが不当な扱いを受けないため。いっそ一緒にやればいい。この際、レオナルドを徹底的に揺さぶってやろう」
「兄さま、少し言葉が荒いわよ。でも……わかったわ。私も、あの王太子を野放しにしておくのは気が乗らないもの。周囲の嫌がらせにもそろそろ飽き飽きしてきたし、ここらで一度大きな手を打つのも悪くないわ」
コーデリアの言葉に、アシュレイは満足げにうなずく。その瞳には、妹への深い愛情と、王太子への怒りが同時に燃え上がっているのがはっきりと分かった。さらに、彼は机の引き出しから一通の書簡を取り出す。そこには、さきほどの隣国王子との密約の一部が詳しく書かれていた。
「これに従って、まずは俺たちが社交界の有力者数名に働きかける。表向きは王太子を支えるためと言いながら、上手に彼の評判を下げるような流れを作るんだ。たとえば王太子の周囲に不正があるのではないかと噂を立てるだけでも、十分な打撃になる」
「上手に、ね。確かにあくまで懸念を示すだけなら、あちらも全面否定しづらいでしょう。それでいて、貴族たちは実利に敏感だから、怪しい話が広まれば一気に引いていく可能性もある」
コーデリアはすでに頭の中でいくつもの展開を想像している。どのタイミングで噂を流し、どのようにレオナルドを追い詰めるか。そのさじ加減を誤れば、こちらが陰謀を企てていると槍玉に挙げられる恐れもある。しかし、妹を守ることにかけては突き抜けた行動力を発揮するアシュレイと、外交や社交の場での駆け引きに長けたコーデリアが手を組めば、効果的に仕掛けることができるだろう。
「最初の手段としては、王太子周辺が不透明な金の動きをしている、という噂を貴族たちに流すのがいいだろう。あくまでまことしやかに言われているというニュアンスで、確証はまだないという形を取る。だが、実は隣国王子の情報網からある程度の裏付けは得られそうなんだ」
「ということは、時期が来れば、その裏付けを一斉に出すというわけね。ただの噂かと思いきや、やっぱり事実だったとなれば、殿下の信用は一気に崩れる」
アシュレイは「その通りだ」とばかりに拳を握った。こういった陰の作業にはかなりの労力がかかるが、その分成功したときの打撃は甚大だろう。レオナルドの強みは唯一、王家の威光に支えられた立場の高さだ。そこが揺らげば、側近も取り巻きも一気に離れていくはずだ。
「でも、私に求められる役目は何かしら。噂を流すだけなら、他の家臣でもできるでしょう?」
「おまえには、社交界の華やかな場で、時にはわざと被害者を演じてもらいたいんだ。レオナルドの一方的な仕打ちで傷ついた元婚約者として振る舞えば、周囲が同情して味方してくれる層も出てくる」
コーデリアはあからさまに嫌な顔をした。被害者を演じるなど、自分の性には合わない気がする。だが、実際に王太子から恥をかかされたのは事実だし、周囲はそもそも彼女を悪評で包んでいる最中だ。ならば意外性をついて、表面的には少ししおらしく振る舞うのも手段の一つかもしれない。
「やれやれ……わかったわ。正直好みじゃないけど、兄さまがそこまで言うならやってみる。周りをうまく転がすのは得意だけれど、覚悟しておきなさいね」
「覚悟って、おまえは俺に何を……」
「冗談よ。まあ、一連の策がうまくいったら、私が手間賃を請求するくらいは許されるでしょう。ドレスの新調代とか、いくらか負担してもらうわよ」
そこで、アシュレイは初めて苦笑を漏らす。それくらいは構わない、という態度だ。妹を守ることを最優先にしている兄にしてみれば、多少の金など惜しむほどの問題でもないということだろう。