第4話② “新たな令嬢”の登場
馬車へ戻る道すがら、コーデリアは先ほどのやり取りを反芻していた。王太子と新たに親密になっているフィオナは、どうやら彼に全面的に心酔しているわけでもなく、どこか計算高さを感じる。それでも堂々と名乗りを上げるとは、よほど自分に自信があるのか、それとも周囲から持ち上げられているだけなのか。
「いずれにしても、殿下を支える存在として表舞台に出たいのでしょうね。でも……あの殿下と一緒にいると、どう転んでも苦労が絶えないんじゃないかしら」
ふっと笑いながら馬車へ乗り込む。彼女の脳裏には、アシュレイが進める「ある計画」が霞んで見えていた。おそらく、レオナルドがどんなに虚勢を張ろうと、兄は容赦しないだろう。もしフィオナが王太子に肩入れし続けるなら、巻き添えを食うのは目に見えている。
「まぁ、それも本人の自由よね。私にとっては、なるようになればいい。だけど、兄さまが仕掛ける網にかかったとき、その華やかな姫気取りがどう立ち回るのか、ちょっと楽しみかも」
そう心中でつぶやいていると、窓の外には前方を横切る壮麗な馬車が見えた。家紋は確認できなかったが、貴族の上位階級であることは間違いない。まばゆい陽の光を反射する飾り金具から、まるで「こちらが王太子陣営です」とでも言いたげな派手さがにじむ。もしかするとレオナルドや、あるいは彼の取り巻きたちが乗っているのかもしれない。
「本当に、あちらはあちらで必死になっているのね。私を貶めれば自分たちの立場が良くなるとでも思っているのかしら」
実際、王太子は既に貴族たちの一部から不信を買っているという話もある。コーデリアへの扱いがあまりに杜撰であったことや、公の場での軽率な発言が重なっているためだ。それでも名分を得るためには「コーデリアこそが悪い」という風説を広める必要があるのだろう。フィオナらはその手伝いをしているだけなのかもしれない。
しかし、コーデリアの考えでは、そんな工作がどれだけ上手くいこうと、兄アシュレイの動きが本格化すれば、いずれ王太子陣営の矛盾が露わになるに違いない。いくら綺麗事を並べたところで、実が伴わなければいつか化けの皮が剥がれるものだ。
「……さて、そろそろ屋敷に戻りましょう。兄さまとも情報を共有しておかないと。フィオナ・ラビエールの顔を直接見られたのは収穫だし、王太子の空回りぶりも確信に変わったわ」
そう結論づけると、コーデリアは窓越しにちらりと邸宅の並ぶ景色を見やり、軽く嘆息する。王太子がどこまで形だけの反撃策を続ける気なのかは分からないが、今のところ、彼が気負えば気負うほど状況は悪くなっていくように思えてならなかった。
馬車が石畳を滑るように走るなか、彼女はレースのカーテンを少し引いて外の光を和らげる。まるでこれからの展開を、さらに暗示しているかのように思えた。王太子が新しい娘を祭り上げ、コーデリアを「冷酷な人間」と糾弾する。そこに自分を過剰に守ろうとする兄が絡み合い、さらに隣国の王子まで一枚噛んでくるというのだから、これからどんな波乱が起こるのか。
「ただ、こちらが先に仕掛けるよりも、向こうが先走って自滅してくれる方が楽ね。わざわざ無駄な手間をかけなくて済むし」
その口元には、どこか余裕ある笑みが宿っていた。いくら華やかな雰囲気をまとった新星の令嬢が現れようとも、レオナルドの中身を知らずに近づくなら、いずれ痛い目を見ることだろう。そこにコーデリア自身が手を下すまでもないかもしれない。とはいえ、兄アシュレイの動向を思うと、あまりに大掛かりな騒ぎにならないよう気を配る必要はある。
「それにしても、フィオナ・ラビエール……あの甘ったるい笑顔の裏にどんな野心が潜んでいるのか、少し興味が湧いてきたわ」
彼女は一人、そう小さくつぶやき、手のひらに残る僅かな温かさに気づく。先ほどフィオナと言葉を交わした際、どことなく「表向きの作り笑顔」というか、仮面をかぶったような雰囲気が伝わってきた。それがレオナルドの寵愛を得るための演技なのか、それとも別の目的があるのか――いずれにせよ、そう簡単に正体をあらわすとは思えない。
王宮近くの喧噪を離れ、グランデュール家に戻ったときには、少し風が冷たく感じられた。門を抜けて玄関へ至るまでに、敷地内の使用人たちが一斉に頭を下げる光景はいつも通りだが、コーデリアにはそこに妙な熱気が混じっているように思えてならない。兄アシュレイがまた何か新しい作戦を進めているのかもしれない。寝ても覚めても頭に浮かぶのは、あの王太子とその取り巻き達に対する制裁プランのことで、家の中が落ち着かないのだ。
玄関ホールを通り抜けようとすると、使用人の一人が走り寄ってきた。
「お嬢様、お帰りなさいませ。アシュレイ様がお待ちかねです。早急に執務室へお越しいただくように、とのことです」
「わかったわ。どうやら急ぎの話があるのね」
コーデリアはため息混じりに階段を上がる。ドレスの裾をさばきながら頭の中で思案を巡らせるが、もしや王太子側の新たな動きが入ったのだろうか。あるいは隣国王子との交渉に進展があったのかもしれない。いずれにせよ、落ち着いてはいられない状況がますます激化している気がした。
「フィオナのような華やかな新人が加わったからといって、あちらが余裕の立場にいると考えたら大間違い。むしろ、足元が揺らいでいるのを必死で隠しているだけ……そんな可能性のほうが高いわ」
階段を上りきったところで、彼女は扉の前で一瞬だけ足を止めた。これまで暗中模索だった流れが、少しずつ次の段階へ移りつつあることを実感する。レオナルドが自分を悪く言い立てるほどに、逆に弱みをさらしているのと同じ。フィオナがどれほど麗しい存在を装っても、彼女が王太子を支えるには実力や策略が必要になるはずだ。
「ならば、私のほうは冷酷でも自己中心的でも構わないわ。最後に笑うのが私なら、どんな呼ばれ方をしようと気にしない」
そう心に言い聞かせると、彼女は扉をノックしてから中へ入った。そこには書類の山に囲まれたアシュレイが、まさに今、家臣たちと何やら激しい議論を交わしている最中のようだ。部屋の空気は張り詰め、まるで戦場の前線を思わせるほどだ。
これからどんな展開になるのか――コーデリアの胸には期待と不安が入り混じった感情が広がる。フィオナ・ラビエールが加担した王太子の迷走は続き、彼女自身もアシュレイとともにさらに策を巡らせなければならないだろう。噂や中傷の嵐はますます勢いを増すに違いない。しかし、その嵐が大きくなればなるほど、最終的にどちらが飲み込まれるのかは誰も予測できないのだ。
「さて、あの甘ったるい新顔と王太子のコンビが、これからどんな愚行を重ねるのか……楽しみに見守っておくとしましょう」
扉を閉める音が静かに室内に響くと、アシュレイの声が一瞬止まった。コーデリアはすぐに歩みを進め、彼らの会話に耳を澄ませる。そこには王太子が企んでいるらしき計画や、隣国王子からの新しい連絡などが入り混じった気配があった。先ほどフィオナと交わした言葉が頭をかすめるが、それを思い出している暇はなさそうだ。
こうして、フィオナの「華やかな姫」アピールは、コーデリアにとっては滑稽なほどの空回りに見えていた。だが、それがいつまでも空回りのままで終わるかどうかはわからない。もし本当に実力者たちを巻き込んで勢力を得ていくなら、兄と隣国王子の計画も合わせて、一気に大混乱を招く可能性がある。
いずれにせよ、今のコーデリアは後戻りを考える気など微塵もない。嫌がらせや噂話が相変わらず続いていようと、新たなヒロイン気取りの令嬢が現れていようと、彼女にはもう恐れるものはなかった。むしろ、自分が果たすべき一手を慎重に見極めながら、王太子とその取り巻きたちの動向を最後まで傍観するつもりでいる。
この先に待ち受ける騒乱の予兆を、誰もが肌で感じている――コーデリア自身を含め、レオナルドやフィオナもまた、運命を分かつ岐路に立たされているのかもしれない。けれど、世間にはまだそのことが十分に知られていない。噂や中傷という軽々しい手段に熱狂している者たちは、真実が明るみに出たとき、いったいどんな反応を示すのだろうか。
コーデリアは、そんな想像をしながら、淡々とした足取りでアシュレイの机に近づいた。薄く笑みを浮かべる彼女の瞳には、次の戦いに対する静かな決意が宿っている。兄の背中越しに積まれた書類の山や、隣国へ送られる手紙の束がちらりと視界に入り、さらに気を引き締める。
「さあ、王太子とフィオナの迷走が始まったのなら、こちらも相応の手段を用意しておかなくちゃ。誰がどう動こうと、私にとって譲れないものははっきりしているのだから」
その言葉は声にならずに消えていったが、コーデリアの決意は揺るぎない。レオナルド陣営と名乗る者たちが、いくら陰口や中傷を重ねようと、堂々とした構えで受けて立つつもりだ。今まさに、両者の準備が整い始めている。そのぶつかり合いがいつ花開くかは、もう時間の問題なのかもしれない。