第19話① 国を揺るがす“妹至上主義”
盛大な審議の末に、王太子レオナルドの不正が正式に認定され、事実上の降格処分を受けてから数日が経過した。王都の街を歩けば、あれほど絶対的な地位を誇った王太子が失脚したという話題で持ちきりだ。喧騒こそないものの、どこか浮ついた空気が広がり、「あの方が衰退するなんて」と嘆く者もいれば、「これで新しい体制が整う」と安堵する者もいる。いずれにせよ、人々がしきりに口にしているのは、いつからか評判が急上昇したグランデュール家の名前だった。
その中心にいるのは、王太子から一方的に婚約を破棄されたとされる令嬢――コーデリア・フォン・グランデュール。今や誰もが彼女を軽んじるどころか、むしろ遠慮や敬意を示すようになっていた。王太子を糾弾するために集められた証拠の多さと、隣国王子や公爵家の絶大な後押しが一夜で情勢を一変させたと理解しているからだ。王太子の影響力は雲散霧消し、グランデュール家を支持する貴族たちは増える一方。かつてコーデリアを侮っていた人々も、彼女を前にすれば及び腰にならざるを得ない。
この急変を当のコーデリアはどう思っているのか――彼女をよく知る者であれば、「案外、淡々と受け止めている」と答えるだろう。実際、コーデリアはとりたてて派手な行動をせず、むしろ騒ぎが落ち着きつつある今、ようやく穏やかに日常を取り戻したいと考えている。もちろん、王太子への敵意が消えたわけではないが、その報いはじゅうぶん果たされた。今さらしつこく攻め立てるほど執着もしていない。
ところが、肝心の身内――アシュレイとルシアン王子は少々違うようだ。彼らはいずれも「妹を守る」ためなら手段を選ばないという強烈な思いを抱えている。王太子を失墜させる大騒動を起こしたあとも、国同士の関係や軍事的な均衡にまで手を広げ、「妹に危険が及ばない世界」を力づくで実現しようとしていた。その影響が、今まさに国のあちこちで爪痕のように残っているのである。
たとえば、王都の郊外にある貴族地区を訪れれば、先月まで王太子陣営の取り巻きが集っていた館がひっそりと閉ざされている。いまや人影はなく、貼り紙には「ここはグランデュール家の管理下に入りました」との宣言まで書かれていた。どうやら、アシュレイが取り巻き連中を一網打尽にして財務不正の証拠を押さえた結果、その館の所有者が逃げ出したという噂だ。付近の住民は「あそこの令嬢たちは、王太子を持ち上げるばかりで結局グランデュール家に屈したんだわ」とひそひそ話している。
また、隣国との国境付近でさえ、以前は緊張が高まっていたが、今では厳戒態勢が解かれ、交易が活発になっている。これはルシアン王子が国を飛び回って「妹が平和に暮らせる環境づくり」を唱え、そのために軍や兵站を再編した結果だという。地元の商人たちは「おかげで国境を越える取引が増えて潤った」と喜ぶ一方、「でも、少し前までは無用な衝突が起きる恐れもあったんだ。まさに紙一重だったよ」と首を傾げる。あまりにも急転直下の方針転換に驚いているのだ。
こうした変化の数々が、すべてシスコンな兄たちの行動力によるものだと知る者はごく一部。それでも、貴族社会に精通する者ならば薄々察している。「アシュレイは妹のために国すら動かす」「隣国王子も妹のために軍を変える」という噂は、すでにじわじわと広まりつつあった。表向きは「国を安定させるため」とされているが、内情を知る人ほど「本当は妹を守るためにここまでやるのか」と唖然としている。
一方、コーデリア自身はこの動きをどう受け止めているのか。グランデュール家の広間では、彼女が書簡の山に囲まれながら「兄さま、正気なの?」と呆れた声を上げていた。
「兄さま、ここの書簡を見ても、各地の貴族や騎士団から『グランデュール家の指示を仰ぎたい』なんて問い合わせが相次いでいるのよ。そんなに急速に領地の管理や取りまとめを求められても、わたしは困るわ」
テーブルに積まれた手紙の束には、各方面からの要望や提案がぎっしり詰まっている。「先日の王太子事件でグランデュール家を尊敬するに至った」「今後は隣国とも連携を図りたいので、アドバイスをいただきたい」など、コーデリアからすれば過剰ともいえる期待が殺到しているのだ。いつもならアシュレイや家臣が整理するが、件数が多すぎてどうにもならず、コーデリアの手にも回ってきている。
「正気だとも。おまえを守るために、皆が協力してくれるというなら断る理由はない。王太子のもとで蓄積していた不正や不満を解消するには、これくらい徹底しなければならないのさ」
「兄さまはそう言うけど、この書簡の数を全部読むわたしの身にもなって。夜会のあとに、いつ休めばいいのよ……」
コーデリアがさすり上げるようにこめかみを抑えると、アシュレイは「必要なところだけ読めばいい」とさらりと返す。妹の負担を減らすつもりはあるようで、同時に「国の管理を一括してまとめ上げたい」という野心めいた気配を隠そうともしていない。以前からの「妹最優先」の方針はぶれることなく、結果として、王太子の空いた穴を埋める形であちこちの貴族がグランデュール家へ頼ってくるのだ。
「まったく……最初はただ、王太子に一矢報いるだけでよかったと思っていたのに、気づけば国中が兄さまの意向で動いているみたい。ルシアン王子も似たようなものだわ。だって、ここにある手紙なんて、『ぜひ貴国と交易を拡大したいからグランデュール家に口添えを』ですって」
「おまえに害を及ぼす存在を根絶やしにしようと動けば、自然とこうなる。嫌ならば、強く断ってもいいが、俺は大事なチャンスだと思う。安定させるにはうってつけじゃないか」
「兄さまが止まらないと、結局わたしも巻き込まれてやるしかないわけね……でも、わかったわ、やるのならきちんと協力するわ」
コーデリアは半ば呆れ、半ば諦めたように力を抜く。この状況が続けば、彼女が国中の要請に応える立場になるかもしれない。すでに貴族社会では、王太子の権威ではなくグランデュール家と隣国王子の連合に頼るのが自然だという雰囲気ができあがりつつあるからだ。その源が「妹を守る」という一途な思いによる過剰な行動力だと思うと、笑うしかない。
一方、もう一人の「妹至上主義者」であるルシアン王子も相変わらずだ。少し前にグランデュール家を再訪した際には、妹の体調が気がかりだからと、また膨大な資料を持ち込み、「妹が安心して暮らせる環境を作るために、貴国ともこれこれこういう協定を進めたい」とアシュレイに提案していた。アシュレイも「大賛成だ!」と勢いよく同意し、結果として隣国との交流がさらなる活性化の方向へ進む。商人たちは喜ぶものの、王宮では「こんな速度で国同士の契約が増えていくとは」と悲鳴が上がっている。
そんな状況をコーデリアは横目で見ながら、「いったいどこまでやりすぎる気なのよ……」と溜め息をつかずにいられない。同時に、こうした大規模な動きがなければ、王太子による数々の陰謀は解明されず、彼女の名誉が取り戻されることもなかったのだ。思えば、狂気じみた妹愛こそが最大の武器となり、あの不可解な財務不正や婚約破棄の裏側を暴き出したと言っていい。
結局のところ、国中がこの兄妹と隣国王子の連携に翻弄されている形跡はあちこちに残っている。廃嫡寸前の王太子が沈んでいくのと同時に、国境では新たな同盟が動き出し、王都の貴族地区では「妹をうやまえ」とばかりの風潮が広がった。一部の令嬢たちは「今こそ、わたしも『妹至上』を公言しておけば得になるかしら?」などと勘違いしているという噂まで立っている。
それらを総合的に見て、コーデリアは心の底で苦笑してしまう。王太子に婚約破棄された当初は、自分こそがあざ笑われ、貶められていた。あんなに目立つ行動を望んでいなかったのに、結果としてここまで派手な逆転を演じることになり、その余波が国全体に及んでいる。まさに、兄たちの「妹への愛」がもたらした爪痕といえるだろう。
しかし、こうして困惑や呆れを抱えつつも、コーデリアは決して不快ではない。むしろ、ほんのりとした感謝さえ感じている。あのまま王太子の言いなりになっていたら、名誉を失い、今頃は社交界で針のむしろだったかもしれない。それを一変させてくれたのは、アシュレイやルシアン王子の過剰ともいえる行動力のおかげなのだから。
「兄さま、わたし……やっぱりあなたにお礼を言わなきゃいけないわね。この書簡の山を見ていると、正直大変だけど、一方でわたしが今こんなに自由に振る舞えているのは、あなたのおかげなんだもの」
書面に目を走らせながら、コーデリアがぽつりとつぶやくと、アシュレイは意外そうにまばたきをした。
「おまえがお礼を言うなんて珍しいじゃないか。まぁ、わたしはおまえが笑っていればそれでいい。あの王太子の残党が何か企もうと、国全体が妹を推す流れになっている今、手出しなどできまい」
「ええ、そこだけは感謝してるわ。……でも、お願いだからこれ以上、戦争だの廃嫡だの、危険な方へ突き進もうとしないでよね。わたし、心臓に悪いわ」
「ふはは、心配するな。おまえが元気で、幸せでいてくれれば俺はそれ以上望まない。ルシアン王子とも協力して、さらに妹に優しい世の中を作るつもりだが、戦争をする気は一切ない。俺たちはあくまで防衛や同盟を強化しているだけだからな」
アシュレイが大真面目に断言する姿は、コーデリアから見れば「またどこかで無茶をしそう」と思わせるものの、少なくとも彼が妹を害する戦いを望んでいないのは確かだろう。この「シスコン」気質ゆえに、余計な大波を起こしがちなのが難点とはいえ、争いを起こす動機とは縁遠い。むしろ、妹を泣かせないためなら軍も政治も動かすという発想なのだ。呆れるのを通り越して滑稽ですらある。




