第6話① シスコン同士の意気投合
その日、グランデュール家の正門には、普段よりも多くの兵や使用人が配置されていた。どこか張り詰めた空気が漂うなか、コーデリアは自室の窓辺からその様子を眺めている。兄アシュレイが言うには、隣国の王子が極秘のうちに訪問してくるというのだ。もともとは文書だけのやり取りで十分だったはずが、たった数日で直接会合が決まるあたり、行動の早さには驚かされる。
隣国のルシアン王子――この国とは長らく緊張関係にある強大なリエストリア王国の若き王族。普通であれば、こんな形で公爵家を訪れるなど非公式にもほどがある。だが、アシュレイが妹を侮辱された怒りでひとり突っ走った結果、隣国王子も「自分も妹のためなら何でもする」と共鳴してくれた、というのだから信じがたい話だ。
「本当にそんなにうまくいくのかしら。二人の気性を考えると、逆に不安になってくるわ」
コーデリアは嘆息をつきながら、そっとカーテンを閉じる。おそらく、まもなく馬車が屋敷へ入ってくるだろう。兄アシュレイは執務室で準備に追われ、あちこちに指示を飛ばしている。この訪問を漏らさないよう、家中の使用人たちには口外厳禁の厳命が出ているようだが、果たしてここまで大ごとにしても問題ないのかと心配になる。
「兄さまが大切にしてくれるのはありがたいけれど、毎度ながらやりすぎなのよね」
そう胸の内でこぼした矢先、ドアが軽くノックされ、侍女が恐る恐る顔を出す。
「お嬢様、殿下――ルシアン王子殿下が門をお通りになったようです。アシュレイ様がお迎えの準備を整えるまで、しばらくお部屋でお待ちいただけますか」
「わかったわ。兄さまには『無茶をしないように』って伝えてちょうだい」
侍女は申し訳なさそうに一礼して、急ぎ足で去っていく。コーデリアとしては、あまりわざとらしく着飾ってお出迎えをするつもりもないが、最低限の礼儀としてドレスを整え、髪をまとめ直した。昼下がりだというのに、妙に心臓が高鳴って落ち着かない。それもそのはず、妹を馬鹿にされたと怒り狂う兄が、自分と同じく妹を溺愛する王子と奇妙な協定を結ぼうとしているのだから。
「ルシアン王子までシス……じゃなかった、妹に執着しているなんて、いったいどんな人なのかしら」
思わず声に出しかけ、あわてて口を閉ざす。まさか、そんな軽々しい言葉を用いて出迎えるわけにもいかない。少なくとも相手は他国の王族なのだ。それに、この協定はコーデリアのために組まれているようなものとはいえ、実質的には両国の外交にも影響を及ぼす可能性がある。
しばらくして、廊下があわただしくなったと思ったら、ノックの音が聞こえた。扉を開ければ、今度はアシュレイ本人が姿を見せる。いつもの洗練された服装ながら、どこか興奮を帯びた気配が伝わってくるのがわかる。
「コーデリア、準備はいいか。殿下がもう客間に入られたところだ。今からそちらへ移動するぞ」
「ええ、わかったわ。でも、あまり失礼のないように振る舞ってちょうだいね。私のためだと言って、本当に国と国とを巻き込むのはやめてほしいのだけれど」
「もちろん承知している。……いや、向こうも同じ考えだと思うぞ。戦争まがいの騒ぎは起こしたくないそうだ」
それだけ聞いて、コーデリアはほんの少しほっとする。何しろ、兄が本気を出せば下手をすれば王太子をどうにかしかねない勢いだし、そこに隣国の王子が加われば、万が一にも大事になる可能性がある。それだけは何としても避けたい。
「じゃあ、行きましょうか。私も殿下がどんな人か見てみたいわ」
ドレスの裾をひるがえし、アシュレイのあとに続いて廊下を進む。普段はあまり使わない奥の客間に近づくにつれ、やけに静かな空気が張りつめているのを感じた。扉の前には信頼の厚い家臣数名が控え、アシュレイに一礼して扉を開ける。
そこは、それほど広くはないが隠密な会合には十分な空間だった。赤い絨毯が敷かれた床と、壁に掛けられた数々の絵画は、グランデュール家の格式の高さを示している。奥のソファには、一人の青年がゆったりと腰掛けており、その隣に控える随員がきびきびとした動作で立ち上がった。
「殿下、アシュレイ様と妹君がお越しになられました」
その声に応じるように、青年が軽く首を動かす。深い青の瞳と金色の髪が印象的で、どこか鋭い印象を与える顔立ちだが、どことなく柔和な雰囲気を漂わせてもいる。コーデリアが思わず息をのんだのは、その視線が非常に落ち着き、堂々とした貫録を放っていたからだ。年齢はあまり変わらないように見えるのに、やはり王族の威厳というものは侮れない。
「グランデュール公爵家へようこそおいでくださいました、殿下。短い日数でのご訪問、恐れ入ります」
「こちらこそ急な申し出を受けていただき感謝している。わたしは……そう、ルシアンと名乗ればいいだろう。公の場とは違い、ここではできるだけ気楽に話をさせてもらいたい」
青年――隣国王子であるルシアンはそう言い、一礼して微笑んだ。その様子は意外なほど人当たりが良く、コーデリアが想像していた厳格なイメージとは少し違う。挨拶を済ませたあと、アシュレイが彼の真正面に座り、コーデリアは少し離れた位置へ腰を下ろす。
「アシュレイ殿からの書簡は拝見した。妹君がひどい仕打ちを受けたという話だね。まったく、その王太子というのは妹に対して何を考えているのか。妹を大切にできぬ男が、どうして国を率いるなどと言えるのかね」
「仰るとおりです、殿下。わが国の王太子はそもそも見栄ばかりで、中身が伴っていない部分があるのです。わたしの妹を軽んじたことが大きな発端ですが、他にも不正や杜撰な財務管理の疑いがある。お互いの利害のためにも、彼を黙らせる手段を模索したいと思いまして」
アシュレイが淡々と応じると、ルシアンはテーブルの上に手を組んで、少しだけ身を乗り出す。
「そう聞いている。実はわたしも、我が国から見てあの王太子の行動は何とも不安定で、いつどんな外交問題を引き起こすか分からないと危惧していた。そこで、同じ考えを持つ貴族と連携したいと思っていたところへ、アシュレイ殿からの使いが来たのだ」
「それで、こんなにも素早く動いてくださったのですね。正直驚いていますわ」
横から口を挟んだコーデリアに、ルシアンはやや照れくさそうに笑みを返す。見れば、彼はコーデリアを見つめる視線に、ある種の親近感のようなものを含んでいるようだ。それは、ただ単に同世代だからというよりは、何か別の要素がある気がする。
「コーデリア嬢、あなたには会ってみたいと思っていたのだ。妹をないがしろにされて憤っているアシュレイ殿の熱意を感じてね。わたしも妹を……大事にしていてね。妹が辛い思いをするなど考えたくもない。だからこそ、こうして早いうちに顔を合わせておきたかった」
「妹君を大事に……って、殿下もまた……?」
コーデリアが言いかけて口ごもる。まさか本当に、兄と同じように妹を溺愛しているのだろうか。ちらりとアシュレイを見ると、彼はむしろ誇らしげにうなずいているから恐れ入る。そこに奇妙な連帯感が生まれたというわけか。
「ええ、妹はわたしにとって何よりも大切だ。そういう意味では、アシュレイ殿とは似たような性質を持っているかもしれない。あなたのためならば、世界を敵に回してもいい――彼がそう言っていたと聞いた時は、思わず拍手したくなったよ」
「兄さま……あなた、そんなことまで言っていたの……?」
コーデリアは頭を抱えたくなる。確かにアシュレイなら言いそうな台詞だが、隣国の王子相手に堂々と宣言するとは思わなかった。しかも、それを聞いたルシアンが同調しているのだから、何だかもう手に負えない気さえする。
「殿下、うちの兄さまが無礼を働いていませんでしたか? もし不愉快な思いをさせていたなら、私からもお詫びを……」
「いやいや、とんでもない。むしろ嬉しかったくらいだ。おかげで話がスムーズに進んだ。さっきも言ったが、妹を侮辱されて黙っていられるわけがないだろう。そこに国の垣根はない。わたし自身も妹に対しては同じスタンスを貫きたいからね」
ルシアンは柔らかな口調でそう語ると、テーブルに置かれたグランデュール家特製の茶菓を一つ手に取った。抹茶を使った香り高い小菓子で、隣国では珍しいと聞いている。彼はそれを上品に味わいながら、「おいしいね」と微笑む。その表情からは、王族特有の威圧感が少しも感じられない。しかし、その穏やかさの裏には相当な自信と意志が秘められているようでもあった。
「このように直接お会いするのは初めてだが、わたしはアシュレイ殿に協力を惜しまないつもりだ。王太子があなたを侮辱したことは、わが国にとっても決して小さな問題ではない。なぜなら、あなたがもしこのまま不当に扱われるのであれば、わたしの妹だっていつか似たような扱いを受けない保証はないからだ」
「そこまで深刻に捉えていただいているのですね……」
コーデリアは混乱しつつも、この王子が真剣に妹を守る立場をわが身に置きかえているのを感じ取る。国境を越えてまで、妹の身を案じる気持ちに共鳴しているのかと思うと、ありがたいというよりも戸惑いが先に立つ。しかし同時に、王太子の軽率さが周囲にどれほど警戒感を与えているかも再認識する。
「では、殿下としては、具体的にどのように動くおつもりですか? わたしたちは、王太子を社会的に失墜させるための証拠を集める段階にあるのですが、貴国の情報をお借りできるかしら」
「もちろん。もともとわたしが早くに動いたのは、そちらの要請に応じて情報を提供するためでもある。ただ、扱う情報には慎重さが必要だ。もしわたしがこの国の内情を知りすぎていると疑われれば、逆に戦の口実を与えかねないからね」
ルシアンの言葉に、アシュレイがうなずく。二人の間には、既に多少の情報交換が行われているようだが、細部を詰めるには会って話すのが一番だろう。実際、書簡のやりとりだけでは分かりにくいニュアンスも多いはずだ。
「わかりました。それなら、まずは殿下のお持ちの資料と、わたしどもの調査を突き合わせるかたちで進めましょう。あの王太子が貴族から巻き上げた金をどのように使っているのか――そこにどんな不正が潜んでいるのかを暴けば、やつの評判は一気に落ちるはずです」
「ご協力ありがとうございます。妹を傷つける輩に、平穏な将来など与えるわけにはいきませんからね」
兄と王子が息もぴったりに意気投合していくさまを見ていると、コーデリアはなんとも言えない気分になる。自分のためにここまで大がかりな話が動いているという事実もそうだが、何より気が合うポイントが「妹を大事にする」という一点に集中しているのが微妙に可笑しいというか、頼もしいというか。
「コーデリア、おまえも何かあれば言っておけ。殿下は同じ考えを持つ仲間だ。遠慮はいらない」
「仲間……そ、そうね。では素直にお礼を申し上げるわ。ありがとうございます、ルシアン殿下。私の名誉うんぬんだけでなく、国の行く末にも関わることでしょうし、慎重に進めたいと思います」
「わたしも、そのつもりだ。大事なのは、妹が傷つかずに済む世界を実現することだからね」
さらっと口にされるその言葉に、コーデリアは思わず「妹が……」と反復しかけて言葉を飲み込む。王子と兄、二人の意識が完全に「妹を守る」という一点で合致している図は、なかなか見られない光景だ。このまま二人が熱く語り合い始めたら、どんな会話になるのだろうか。




